第1話 僕の生活
頭上で目覚まし時計が朝を知らせる。幼稚園のころから使っているそれは中学生になった今でも毎日聞きなれた昭和を思い起こさせるベルを鳴らし、僕は体に鞭打つようにむりやり体を起こす。カーテンを開け朝日のまぶしさに目をそらす。階段をのそのそと下り、閉めきったままのひんやりした空気に包まれた和室に足を入れ、僕は仏壇においてある遺影を手にとり、埃をはらう。慣れた手つきで蝋燭に火を灯し、りんを布巾で念入りに艶が出るまで磨く。叩くと、かぁーんと、甲高い音が部屋に響いた。僕はいつも通りに遺影に向かって手を合わせ、小さく呟く。
「父さん、兄ちゃん」
近況報告を兼ねて祈る。それからどれくらい経っただろうか。僕は母さんがドアを開ける音にも気付かなかった。背後に聞こえる母さんの声に大げさなくらい驚いてしまい派手に尻もちをついてしまう。僕は立ちあがって母さんの待つ食卓についた。カーテンの隙間から木漏れ日だけが暗い食事風景を明るくしようと熱心に降り注ぐ。重くなった空気を打破しようと試みるが弱虫な僕には口を金魚のようにパクパクとさせることが限界だった。こんな風になってしまったのはすべて僕のせいだ。
いつもより幾分か帰りが遅かったあの日、ついに僕はばれてしまったのだ。いつかはそうなると思っていたが、母さんが受けたらしいショックは僕の想像を凌駕していた。その日の食卓ほど味気ないものを僕は今までに味わったことはない。
僕は イジメラレテイタ…。
それからだ。毎晩遺影に向かってむせび泣く声が家中に響きわたるようになったのは。
他の誰のせいでもない、“僕のせい”だ。
「いってきます…」
蚊の羽音に負けてしまいそうな声。重い足取りで学校を目指す僕。と、そっと玄関から首だけ出している母さん。バレバレなのにと小さく笑う。
『そうたくーん(笑)』
おぞましい声で名前を呼ばれる。声の主は幾度となく僕の夢見る平穏な学校生活を阻んできた、アイツだ。無意識のうちに肩がこわばる。身長が150センチの足らずの僕を嘲笑うかのように見下ろしてくる。逃げられないように肩を組んでくる。殴られると身構え、ぎゅうっと目をつぶる。どこか上の方で神様がこの哀れな少年を見ていたのかもしれない。予鈴が鳴った。アイツのクラス担任の鬼教師が扉から顔を出して怒鳴った。僕にドスのきいた小声で
「逃がさねえからな」
と捨て台詞を吐くとすぐさま優等生の仮面をかぶって教室へと戻って行った。不幸中の幸いとも呼べるのはクラスが違うことだけだ。そんな僕の悲痛な心内が反映されたのだろうか。先刻までのキャンバスに描いたかのような雲ひとつない青空は見当たらず、ゲームに出てくるボスキャラを再現した色をまとった積乱雲が広がっていた。クラスのカースト上位軍はかんかん照りの太陽に文句をいい、いざ雨が降れば遊びに行けないと文句を言っている。どしゃぶりの雨をみて顔がほころんだのは全世界探しまわっても僕ひとりだろう。母さんの仕事は雨の日は何もできないから僕を迎えに学校までわざわざ来てくれる。幼いころに父さんと兄ちゃんを失い、学校では見捨てられている僕にとってそのときは、そのとき“だけ”は母さんに甘えられた。
先生の黒板にチョークを走らせる音は妙にリズミカルだ。腰にかかるくらいの髪の毛をポニーテールに結い、紅いリップでぷるぷるの唇、少しキツめに引かれたアイライン。どこをとっても非の打ちどころも隙も見当たらない容姿に目を奪われる。女の子はポニーテールが一番綺麗に見えるとどこかのだれかが言っていた本当にその通りだと思う。そんなアホなことを考えている生徒を先生が見過ごすはずはなかった。案の定、くるりとキレイなターンで振り返った先生に当てられた。普段だったら先生の授業を一言一句聞き逃すまいと気を張っている僕も雨のせいかぼーっと聞いていたから咄嗟の先生の質問に答えられずうつむく。先生は僕が答えられなかったことに心底驚いたようだった。先生の助け船でやっと僕は答えを導けた。クラス中の視線を一身に受けることなんてない。恥辱にまみれた僕の今日が始まりを告げる。頬に熱が集まり、肩をふるわせるその姿は傍から見れば泣いているように見えたかもしれない。実際、涙こそ出なかったものの心中では号泣、嵐が吹き荒れていた。同様に窓をなぐりつけるように雨が降っていた。
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