第161話 仏性その四 言葉を盲信するな

 「世尊道せそんどうの「一切衆生いっさいしゅじょう悉有仏性しつうぶっしょう」は、その宗旨そうしいかん。是什麼物恁麼来ししもぶついんもらい(是れ什麼物なにものか恁麼いんもに来る)の道転法輪どうてんぽうりんなり。 」

 釈尊のおっしゃる「一切衆生、悉有仏性」の根本の意味はどういうものであろうか。「このなにものかがこのように目の前に来ている」を言い表した言葉である。

「是什麼物恁麼来」というのは六祖大鑑慧能だいかんえのう禅師が南嶽懐譲なんがくえじょう禅師への問いとして有名。そしてこの問いが解でもある。

 大宇宙の真実・真理は間違いなく絶対的に存在する。しかし、それは「これこれこういうもの」と言葉で説明できるものではない。「何とも言えない何かがこんなふうに存在している」というしかない。

 言葉で説明できないものは存在しないなどというのは、言葉を過信しすぎている。もちろん言葉で表現することは重要だ。具体的に何かを実行するときに言葉で説明できなきゃ話にならない。そういう個別具体的なもの、学問、科学という限定的な範囲では言葉は重要であり、有用だ。

 しかし、人間の根源、宇宙の根源、真実・真理の根源は言葉では説明できない。しかし存在する。

 「一切衆生、悉有仏性」これは真実・真理だ。敢えて言葉で表現するならば「是什麼物恁麼来」となる。

 真実・真理は坐禅して身心で受け止めるしかないのだ。ここに至らない限り人類の未来は無い。

 言葉遊びはもういい。言葉に引きずり回され、盲信し、妄想に憑りつかれている状態から目覚めないといけない。

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