第77話 辨道話その六十五 生きて死ぬことが真理なのだ

 「しかのみならず、生死しょうじはすなはち涅槃ねはんなりと覚了かくりょうすべし。いまだ生死のほかに涅槃を談ずることなし。いはむや、こころをはなれて常住なりと領解りょうげするをもて、生死をはなれたる仏智に妄計もうけすといふとも、この領解智覚りょうげちかくの心は、すなはちなほ生滅して、またく常住ならず。これはかなきにあらずや。」

  身心一如のみならず、生きて死ぬことがそのまま大宇宙の真実・真理を実現・実証することである、そこに人間の生きる価値がある、涅槃なのだとしっかりわからなければいけない。仏教において生死の他に涅槃があるなどということはかつて話されたことはない。ましてや、心が身を離れて永遠に存在するなどとわかったような気になったことをもって生死の苦から逃れることができる仏の智慧だなどと妄想したとしても、このような真実・真理でないことを考える心は結局やはり落ち着かず消えたり浮かんだりして、全く永遠のものではない。これは儚いとしか言いようがない。

 人間は生まれて死ぬ。そのこと自体が大宇宙の真実・真理そのものだ。人間は本来大宇宙の真実・真理そのものなのだ。ただ人間はそこから離れてしまいがちであるので、坐禅して大宇宙の真実・真理を実現・実証する必要がある。本来の姿に戻ることが普通の状態、自然な状態、平穏な安心な状態、つまり涅槃なのだ。

 死から逃れようなどと不自然なことをするから苦しむ。死んでも霊魂は永遠だなどと無茶苦茶なことを信じようなんてことをするから苦しむのだ。

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