第46話 シン Shin

 移動性低気圧に覆われた西の都では、春雨が音もなく降りしきっていた。本格的な春の訪れを告げる暖かい空気が流れ込んで、メガロポリスの巨大なビル群も周辺の荒れ果てたスラム街の廃墟も、すっぽり白い霞みに包まれている。


 とうの昔に廃業したアーケード街で、シンはキャットと落ち合った。

 街灯の灯りだけが、ぼんやりと打ち捨てられた廃墟を照らしている。傷んだアーケードの屋根はところどころ雨漏りして、滴り落ちる水の音が絶え間なく響いていた。


「ブツを持ってきたぜ。こんな骨董品、今どきいったい誰が使うってんだ?」

「さあ、知らないっちゃ。うちは調達を頼まれただけだから」

 スーツケースを受け取ったキャットは、中を確認しながら答えた。とうの昔にすたれた武骨な造りのトランシーバーが入っていた。


「なあ、お前、いったいどこの組織に所属してるんだ?」

「うちはフリーランスだっちゃ!組織に縛られるのは性に合わないっちゃ」 

 人類の組織には属してないからあながち嘘でもない、とキャットはシンの質問を受け流した。 

「だろうな。猫は独立心旺盛だって言うからな、お前らしいや。ところでカヤコープって知ってるか?」

「知ってるっちゃよ、名前だけなら。確かシティの大企業だっちゃね?それが何だっちゃ?」

 これは真っ赤な嘘だったから、キャットは内心後ろめたく感じずにはいられない。シンに会うのは今夜で三度目である。このストリートギャングの若者が折にふれて見せる好意は、決して心地悪いものではなく、キャットの心にシンへの親近感が芽生え始めていた。


「一年ぐらい前だ。俺は珍しいブツを偶然手に入れたんだが、プラウドがブラックマーケットで競りに出したら、高値がついてぼろ儲けした。それで俺も正式に幹部になれそうなんだ。ところがだ、競り落とした代理人はカヤコープに雇われてたらしい。今日、ブラウドのボスから聞いたんだ」(*)

「ふ~ん、それはお手柄だったっちゃね~。それで、カヤコープは何を競り落としたっちゃ?」

 素知らぬ顔でキャットは尋ねたが、嘘を重ねてしまいかなり居心地が悪い。

「ロボティックマウスだ。ちっぽけな手のひらサイズのロボットなんだが、最先端技術の塊みてえなマシンで、何と三億の値がついた。信じられるか?」

「すごいっちゃね~。うちもそんなマウスを捕まえてみたいっちゃ!」

 冗談めかしたキャットは、さりげなくヒップポケットに右手を入れ、左手でイヤーモジュールに触れてホログラスに目をやる。キラッと暗視グラスに街灯の光が反射したのに気づいていた。


「ハハハッ、言えてる!猫の好物だもんな。だがな、あのロボットを持ちこんだのは、アメリカ海軍の女パイロットだったんだ。俺たちは下請けで女を尾行してたんだが、そのマウスを使われてまんまと取り逃がした。ところが、それがとんだお宝だったってわけだ。おかげで俺のミスは帳消しになって、大助かりだったんだが・・・」

 シンはキャットと会うとつい緊張して、話をしていないと間が持たなくなる。前回はドローンの尾行までまかれて、この正体不明の美少女は油断ならないと知りつつも、つい見栄を張って自慢話まで口にする自分にちょっぴり自己嫌悪さえ覚えていた。

「それで、何だっちゃ?」

「だってよ~、おかしいだろ?競り落としたのが、あのカヤコープなんだぜ。大企業なのに、上場しねえでオーナー一族が株を占有してやがる。非上場の同族会社で実態不明ってとこは、世界最大の建設会社ベクテルと同じだ。何か裏があるに決まってるぜ!」

「シン、あんたって、結構頭が切れるっちゃね~」

 キャットはシンを持ち上げたが、内心ではドキッとした。自分も株主なのはともかく、新人類の実社会での後ろ盾がカヤ・コープと悟られるのは拙い。


 その時、キャットのイヤーモジュールに反応音が入った。

「まあな!俺たち裏社会の人間は汚れ仕事を引き受けて、世間様から叩かれるが、世間体のいい大企業様だって、一歩裏に回ればあくどいことをやらかしているもんだ。政治家や官僚やメディアとつるんでいるから、世間にバレてないだけだ!」

「でも、ケガの功名だっちゃね、それって。だって尾行をミスったのに、その装置のおかげで幹部候補になれたんだから!」 

 話しながらキャットはシンのそばに身を寄せてささやいた。

「うちに抱きついてキスして。でも、何も言っちゃダメ!」 

 シンは度肝を抜かれて一瞬固まったが、すぐさま事態を察知して素早く行動に移った。いきなりキャットを抱きすくめて激しくキスをするなり、身体を斜めに回転させて地面に緩やかに倒れこんだ。

 固いレンガの路面に背中をつけたシンにのしかかる恰好になったキャットは、抵抗する振りをしながらシンのカーゴパンツの背後を片手で探った。後ろポケットに取り付けられた盗聴ボタンを路面に強く押しつけて潰し、引きちぎって取り外した。

 信号が途絶えたのをホログラスで確認する。


「もう、いいっちゃ!」

と、耳元でささやいて身体を引き離すと、シンを乱暴に引きり起こして、いきなり激しい平手打ちをかませた。

「な、なにすんのよッ、いきなりッ!バカっ!もう、あんたとは絶交だっちゃッ!」

 大声で叫んだキャットは、手で頬を押さえるシンに向かって、素早くウィンクして軽く顎をしゃくった。シンがわずかに目を細めてうなずき返すと、憤然と背中を向けて、スーツケースをぶら下げ、廃墟のアーケード街を靴音を響かせて歩き去った。


 シンはぼんやりとその後姿を見送ってから、気持ちを切り替えようと頭を振った。イヤーモジュールの赤外線探知を作動させ、周囲に尾行者や盗撮ドローンが潜んでいないかホログラスで確認したが、監視していたのが何者にせよ、すでに姿を消していた。

 痛ぇー、あいつ、本気で引っぱたきやがった・・・

 愚痴りながらワークパンツの後ろポケットに手をやると、ボタンが消えていた。


「キャットのやつ、盗撮ドローンに気づいたのか?雨音で集音マイクは使い物にならないから、盗聴器もスキャンしたな。芝居を打って、盗聴に気づかなかったように見せかけやがった。切れ者はあいつの方だが・・・」 

 プラウドに盗聴されていたのはショックだったが、それ以上に、あのキスの間に一瞬垣間見た幻の方がはるかに衝撃的だった。

「なんだったんだ、アレは?なぜ俺が西洋の騎士の恰好で、あいつとキスをしていたんだ・・・」

と、シンはしきりに首を傾げた。


 キャットもシンに劣らず動揺して、雨の中をひたすら速足で歩き続けた。

「何だったの、あれッ?ウソでしょ!・・・オパル王宮の庭園だったっちゃ。どうして、あんな記憶が蘇ったの?」

 だが、今はトランシーバーをシティに運ばなければならない。それに明日はサンクチュアリの「収穫の日」だ。しかも、うまくことが運べばついに今夜、匠が覚醒する・・・

 気持ちを落ち着かせようと自分に言い聞かせた。

「さっきの出来事は後で考えよう。今はそれどころじゃないっちゃ。それにシンもプラウドも、あのマウスの秘密に気づいてない。とりあえず良かった!」


 しかし、この夜のムードもへったくれもない初めての口づけが、キャットとシンにとって、生涯忘れ難い神秘のキスとなったのである。



 *「ブラック・スワン~黒鳥の要塞~」第9話「ストリートファイター」

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