第43話 蘇生 Revival

 タリスと出会った過去をこの召使いに悟られたら、ニムエに伝わるかも知れない。そうなったらタリスが危ない!

 匠はあわてて話題を変えた。

「・・・すまない。世話をしてくれているのに、君の名前もまだ聞いてなかったね、ラナ」


 動揺を隠そうとしたのだが、不愛想な召使いは匠の魂胆に感づいていた。手を休めて両手を腰に当て、匠をまじまじと見つめて言った。

「あんた、お偉方なのにちっとも威張りくさったところがないね。感心してただよ!村でも評判が良くてね。戦争に行かない腰抜けって、悪口を言う奴も中にはいるだども、治療してもらった村人たちはみんな感謝してるだよ」

 にこりともせずに続けた。

「んだども、王家の嘘がまかり通って、村人の間じゃ、あんたはしばらく外国を旅しているってことになってるだ」

と、ラナは皮肉をこめて言葉を結んだ。


 匠には初耳だった。アトレイア公爵領にはいくつか村落があるが、村人の生活の実態までは知らずに過ごしていた。内戦が終わってから薬師くすしの勉強を始め、薬草を採りに森に入るようになって、初めて多少の関わりが出来たぐらいだ。

 たまたま出会った村人たちに薬草を分け与えたのがきっかけで、その後は頼まれた薬草を調達しては、公爵家の屋敷まで取りに来てもらっていた。

 けれども、封建主義時代の階級社会には超えがたい壁がある。村人たちの心の内までは知るすべもなかった。


 ラナは打ち解けるとあれこれ話をしてくれたが、実は匠をずっと気遣ってくれていたらしい。今も体調が優れないんだから長話は良くないと言って、最後に声を潜めて付け加えた。

「村じゃ、国王様の悪い噂も伝わっているだ。だども、タリスなら大丈夫だ。あの子には神様がついているだ。あの子は自分から進んでここに来た。だから公爵様も助かるかも知んねえ。少なくともオラはそう祈ってるだよ!」


 もう死にかけているのに、体調が優れないと言う表現もラナなりの思いやりのようだ。敗血症を起こしかけてもう助かりっこないのに、神様がついているから助かるかも知れないとは、いかにも素朴な村人らしい。

 けれども、たとえ気休めでもその心遣いはうれしかった。人生最後の日にも面白い発見があるものだと思ったが、その日の午後になっても、なぜかニムエは姿を見せなかった。


 夕刻には急激に熱が上がり頭を上げているのも辛くなった。うなだれたまませわしなく呼吸するのに精一杯で、何度も意識が薄れてこのまま衰弱死するのかと思うと、また目が覚める。


 うとうとしては悪夢にうなされた。サウロンが有無を言わさぬ口調で匠に迫る・・・

「さあ、剣を取れ!」

・・・血まみれで床に横たわるサウロンの傍らで、匠は声を振り絞っていた。

「サウロン、すまない!」


 そこでハッと目を覚ました。目を開けるとタリスの姿があった。ふっくらと小さな白い手を胸の前で組み合わせ、真顔で匠の顔を見上げている。目が合うとに澄み切った黒い目を細めて微笑ほほえんだ。

「私を覚えていますね?」


 この神秘的な小間使いが、狩猟小屋のあの少女だったとは・・・

 あの日、匠は少女の顔を見ていなかったため、ラナに名前を聞くまで気づかなかったのである。

 口を開く力もなく無言でうなずくと、タリスは続けた。

「あなたに託すべきかどうか、判断がつかずに迷っていました」


 匠にはタリスが何を言っているのかさっぱり理解できない。意識も朦朧もうろうとして、これも夢なのかもしれないと思った。

「いいえ、夢ではありません」

 そう言ってタリスは右手を伸ばすと、この二晩と同じように匠の額に当てた。

 その身体は、柔らかな白い光に薄っすらと包まれていた。


 目の迷いではなかった。その光が彼女の柔らかく温かい小さな手から、全身に伝わってくるのを感じる。急激に身体が軽くなるような、言葉に尽くせない安らかな感触に自然に意識がまどろんでゆく。衰弱し切って苦痛しか感じなかったのが嘘のようだった。

 この心地良い感覚は薬草が原因ではなかったらしいが、いったい何が起きているのか匠には見当もつかなかった。


 激痛と恐怖と孤独に苛まれたこの数日、匠はいっそひと思いに殺して欲しいとさえ願った。それほど苦しんだ高熱と傷口の痛みが、驚いたことに急激に和らいでいく。同時に孤独感も恐怖も薄れ、匠は目を閉じたままこみ上げてくる深い安堵感に浸っていた。


 その後、何が自分の身に起きたか、後になっていくら思い返してみても、匠にはついに理解できなかった・・・


 この二晩もこれまで経験がない安らぎを覚えたが、この夜はさらに深く深く深く入ってゆく。目を閉じているのに、白い柔らかな光に全身がすっぽり包まれるのを鮮明に感じた。激しい傷口の痛みも、衰弱した身体の不快感や熱もほとんど消え去って、しまいには思考までが途切れて消えてしまう。身体全体が信じられないほど深い平安の中へ溶け込んでいった。

 その後、いきなり前触れもなくまったく痛みもなく、右の太腿から滑らかに矢が抜かれるのを感じた。次に左の太腿からも同じように矢がするすると抜け落ち、石畳に当たって乾いた音を立てた。六本の矢がすべて抜け落ちるまでの間、匠の脳裏には何が起きているか確かめたい、という考えさえ浮かばなかった。

 脇の下のロープが解かれると、自由になった両手を扉につけ身体を支えたままただじっと目を閉じていた。信じ難いほど安らかでくつろいだ気分に包まれ、この心地良い感覚にずっと浸っていたいという思いさえ、頭の中で言葉にならない。


「あの日の出来事を思い浮かべて下さい」

 タリスに促されるままに、狩猟小屋に出かけたあの運命の日を思い返した。抜け落ちていた記憶の断片が、次第に脳裏によみがえってくる。


 サウロンを殺害したのはタリスではない。アトレイア公爵でもなかった。


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