第36話 虜囚 Captured Alive

 ロベルト・プロスペロは恰幅の良い五十代の男で、茫洋ぼうようとした風貌から、その名宰相ぶりはちょっと想像がつかない。


 先代国王夫妻の謎の死を受け、若干二十歳で王位に着いた嫡子サウロンを支え、地方の豪族との間で勃発した内戦を収拾するため、プロスペロは日夜奔走した。

 内戦終結後も、混乱に乗じて侵略して来た隣国ポイタインを、サウロン率いる国防軍が撃退するまで、プロスペロは周辺国との折衝を一手に引き受け、比類のない政治手腕を発揮して、ポイタイン王国を孤立に追い込み、有利な条件で和平にこぎつけたのである。

 前代未聞の奇襲と速攻で全土に勇名を馳せたサウロンを、陰で支えた和平の最大の立役者である。


 しかし、ようやく平和が訪れたかに見えたオパル公国は、サウロン暗殺という思いがけない事件で、再び大きく揺らいでいた。


 三か月前、宰相の息子でニムエの側近を務めるダニエル・プロスペロは、王宮に戻らぬサウロンの捜索に出て、北の狩猟小屋で王の遺体を発見する。父親に似て機転の利くダニエルは、遺体を密かに王宮に運び、同行した従者にも固く口止めしたのだった。

 国内の動揺を抑え周辺国からつけこまれないよう、宰相のプロスペロはサウロンの死因を事故と公表した。先代王妃の弟デビアス伯爵はじめ、側近も含めてほんの数人しか国王暗殺の事実を知る者はいなかった・・・


 あれから三か月。


 プロスペロ宰相はダニエルを執務室に呼んだ。血の掟は仇討を独力で行うものと定めているため、アトレイア公爵らしい人物の情報を追って、王女ニムエが独り国境を越えてはや一ヵ月が過ぎていた。

「ニムエ様の伝書鳩が先ほど王宮に着いた。公爵を捕らえて、今日夕刻までに帰還なさる。デビアス伯爵とトロセロ将軍を、内密に城にお招きしてくれ。誰にも知られぬよう、お前が直にお伝えするように」

「承知しました、父上」

 ダニエルは固い表情で、一瞬もの問いたげに宰相を見つめたが、無言で王宮を後にした。


「公爵様が国王様を殺めるとはどうしても解せぬ。だが、小屋で見つけた上着もブラックロータスの小瓶も公爵様の物。他に容疑者が浮かばない・・・」

 馬上の人となったダニエルは、初夏を彩る美しい花々も香り立つ新緑も目に入らず、黒い長髪をなびかせた端正な顔に憂いの色を湛えて、ひたすら道を急いだ。


 その日の夕刻。


 サウロンとニムエの叔父カルデロン・デビアス伯爵、サウロンの右腕だったパオロ・トロセロ将軍、プロスペロ宰相の三人は、秘密の地下道を抜けて帰還した王女を密かに王宮に迎え入れた。

 アトレイア公爵はみすぼらしい平民の服を身に着け、全身埃にまみれて傷だらけの悲惨な姿で、時おり激しく咳きこんで喘いでいた。見事な金髪も見る影もなく土ぼこりで白っぽく変色している。

 トロセロとプロスペロは変わり果てた公爵の姿に、声をかけるのをためらったが、デビアスは不快そうに鼻を寄せて、蔑みとも怒りともつかない表情を浮かべていた。公爵の姿に言葉の出ない三人に向かって、ニムエが口を開いた。


「検問所を避け、国境を抜けてからギャロップと声をかけたら、バレーノときたら、わたしを見て首を傾げたわ。まるで、こいつに同情するみたいに!ランポにも平気で乗っていたと言うし、動物と話でもできるのかしら?でも、兄上を殺したんだから容赦しなくていい、とバレーノに言い聞かせた。こいつは途中で転んだから、そのまま引き摺り回してやったわ!」

 ニムエは冷ややかに匠を睨んだ。

 ここまでの道中、王女はひと言も口を聞こうともせず、徒歩で地下道を抜ける間も、よろめき歩く匠の背中や腰を時おり激しく蹴りつけた。

 内戦と敵国との戦いがようやく終わったかと思えば、慕っていた兄王が事もあろうに幼馴染に殺された。王位継承の重圧も加わって、溜りに溜まっていた悲しみと怒りをついに爆発させたのである。


 サウロンを殺したなら何をされても耐えるしかない、と匠は覚悟していた。けれども、馬で引き摺られたり後ろから蹴りつけられるより、無言のまま犯罪人扱いされるのがたまらなく辛かった。

 面と向かって心の内の怒りをぶつけて欲しかった・・・


 無残な公爵の姿を見かねてプロスペロが提案した。

「処遇を決定する前に、せめて身を清めさせてはどうでしょう?衛兵や召使たちに知られぬようダニエルに見張らせます」


「いいわ。一ヵ月もオパルを離れていたから、わたしも王宮の皆に帰還の挨拶をしなければならない。一時間後に宰相の執務室へ連れてきて頂戴。それから、城の者を遠ざけるよう手配して!」

 長旅の疲れも見せず指示を出すニムエは、すでに女王の威厳を漂わせている。


 秘密裏に行われた会議でも、公爵の有罪を主張するニムエの滔々とうとうした話しぶりは、新女王の自覚と威厳に溢れていた。

「この男は兄上の愛馬に乗って狩猟小屋の方へ向かう姿を、村人たちに目撃されているわ。小屋で見つかった血まみれの上着も、ブラックロータスの粉と小瓶も公爵の持ち物。動機も見当がつく。兄上に私と会うなと言われて逆上したに違いない!子供の頃から、わたしに恋慕の情を寄せていたから」


「しかも、狩猟小屋から姿をくらまし隣国に滞在していた上に、記憶が戻った後も、兄上の殺害と逃げ出した時のことは覚えていないと言い張っている。あなた方はどう思う?そんな都合の良い話は信じられっこないでしょう?罪を逃れるため記憶喪失を装っているとしか思えないッ!」


 プロスペロとトロセロは、沈痛な面持ちでニムエの報告に耳を傾けていた。二人に限らず他の貴族たちも、毛色の変わった公爵家の跡継ぎにそれとなく好意を抱いてきいたからである。国防軍に加わらない公爵は揶揄やゆされることこそあっても、ヒーラーとしての腕は確かで、貴族たちやその家族との関係はおおむね良好だったのだ。


「アトレイア公爵、これが最後の機会です。申し開きがあれば仰って下さい」

 ニムエが話し終えると、プロスペロが促した。しかし、匠は怒りを爆発させたニムエに徹底的に犯罪人扱いされ、とっくに反論する気力も失せていた。

 この数年、過酷な体験を重ねて来た王女と公爵は、立場こそ正反対だがサウロンの死によって、共に心が耐えられる限界を超えてしまったのだ。


 終始俯うつむいたままだった匠は、ようやく顔を上げて、辛うじて言葉を紡ぎ出した。

「王女が仰った通り、私は国王の殺害に関わったかどうか記憶がありません。あの小屋からどうやって出て、どうやって国境を越えたのかも覚えていないのです・・・」


「・・・ブラックロータスの粉を吸ったとしか考えられないのです。ですが、私はサウロン、いえ国王様に限らず、人に殺意を抱いたことは一度たりともありません。申し上げたいことは、それだけです」


 匠が話し終わると、ニムエは横目で匠を睨んでフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。プロスペロはトロセロとデビアスに話しかけた。

「デビアス伯爵、こうして容疑者を捕らえた以上、条件として要求された血の掟は果たされ、ニムエ様の王位継承は認められると考えます。トロセロ将軍も異存はないものと存じますが、いかがでしょう?」


 これ以上王位の空白が長引けば、再び内戦や侵略を招く。捕らえさえすれば処刑は既定事項とその場にいる全員が承知していた。


 トロセロは気まずそうに匠を見やってから黙ってうなずいた。だが、会合の間中、渋い顔でどこか上の空だったデビアスは、宰相には答えずニムエに向かって話しかけた。王位を逃した悔し紛れに、ニムエが一瞬顔を引き攣らせるほどの嫌味を平然と口にした。


「お前に恋したのが、公爵殿の不幸だったな!恋路を邪魔したからと逆恨みして、サウロンを殺害したヤツなど、責め殺してやるがいい!惚れた女に恨まれて嬲り殺しにされるとは、男冥利に尽きるというものだろう?」


 最後は匠に向けた憎まれ口だったが、匠の耳にはもう何も届いていなかった。

 喪失感と虚無感にさいなまれ、分厚いすりガラスに隔てられたように世界は現実味を失っていた。


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