第26話 進化の特異点 The Third Generation 

  貴美の気持ちが落ち着いた頃合いを見計らって、ナラニは話を戻した。


「サンクチュアリへ移住を始めてから、今の形に整備されるまでに五十年近くかかったの。その後の出来事については、詳しい記録が残っているわ。それ以前については、実はわからない事の方が多いの。いつふたりの冬眠が始まったのか、今の第二世代は誰も知らない」


 サンクチュアリの歴史もこれまでほとんど聞いていなかっただけに、貴美は一心に耳を傾けた。「いずれ、あなたもあの場所を訪ねる日が来るわ。それまではタクのことに集中してね」と、ナラニから指示されていたのである。


「キャットが冬眠から目覚めたのはつい最近で、今年に入ってからなの。あの子の冬眠が、例がないぐらい異常に長いのは確かよ。あのふたりは、サンクチュアリに移住した最初の第二世代の一員かも知れない。もしそうなら、五十年以上冬眠していた可能性もあるの」

「冬眠が五十年?そんなことってあるの?せいぜい六か月ってあなたから聞いたわ!」

 貴美が驚いて尋ねると、ナラニは電話口でうなずいた。

「ええ、これまで六か月以上冬眠した第二世代はほとんどいない。身体と脳の細胞が蘇るには、六か月あれば普通は十分なの。だから、ふたりはどこか特別だと思うわ。あの言い伝えと関係があるのかも知れない。オメガがタクを指しているとしたら、ふたりはおそらく再臨したトリニティね」

「トリニティは三人組とか三位一体という意味でしょう?するともうひとりいるのかしら?」

「ええ、たぶんもうひとりいるはず。それとね、カミ・・・」


 ナラニは不意に語気を強めた。

「問題は同じ部屋に居たもうひとりなの。キャットより早く、七年前に冬眠から覚めた。でも、誰も彼女の姿を見ていない。部屋から出るのを見た者もいないわ。冬眠から覚めるや否や、サンクチュアリから忽然こつぜんと消えてしまったの・・・あそこでは朝夕、冬眠中の仲間の様子を体調モニターで必ず確認するわ。ところがある朝、部屋に入ったらカプセルが開いていて姿が消えていたと言うの」


「テレポーテーションなのね・・・」

 無意識に貴美の口をついて出た言葉は、ナラニをひどく驚かせたようだった。

「カミ、あなたもそう思うのね!?失踪した後、サンクチュアリの皆は、隠し通路がないか地下全体を隈なく調べたわ。ところが、どこにも抜け道はなかった!・・・第二世代には、体外遊離が簡単にできる者もいる。でも、体外遊離なら身体はその場に残るし、戻らなければ身体はいずれ死んでしまう」


 ナラニは冗談めかして貴美に尋ねた。

「と言って、身体をこの世から消滅させるなんてあり得ないでしょう?もしできたとしたら、核爆弾どころじゃないエネルギーになってしまうわね?」

「ええ、ヒロシマ原爆が解放したエネルギーは、正味わずか 0.7 gの質量と推定されている。中間的な質量数の原子は安定同位体だから、核分裂も核融合もしないわ。でもE=mc2だから、そうね・・・理論的には人体の全エネルギーを解放したら、地球も月も気化して吹き飛ぶんじゃないかしら?でも、第二世代でもテレポーテーションはできないでしょう?」


 テレポーテーションという現象が可能なのか、科学者も含めて誰も手掛かりすらつかめていない。テレパシーや超人的な身体能力なら、元もと脳や身体に備わった能力の延長線上にあると想像はつく。つまり進化の賜物と見なすことができる。体外遊離にしても、原因が脳の機能にあるのか、それとも魂のような別次元の存在にあるのかは別として、これまで数多くの実例が報告されている。

 けれども、第二世代が進化した能力を発揮するとは言っても、物体を通り抜けて移動できるものだろうか?

 貴美はいくら何でも荒唐無稽こうとうむけいだと思った。


「そうね。過去に何人も試みたけれど、誰ひとり成功していない。だから、テレポートしたという確証もまったくなかったわ。そこでひとりが消えた後、サンクチュアリでは、キャットの冬眠を注意深く見守ってきたの。部屋の中に監視カメラもとり付けたわ。でも、キャットは目覚めても部屋から突然消えたりしなかった」


「それじゃ、キャットはテレポーテーションしてないと言ってるのね?それと、七年前に消えたもうひとりの行方はわからないの?」

 ナラニは電話越しに深くため息をついた。

「まったくわからないわ・・・ただ、キャットは彼女をよく知っているらしいの。冬眠から覚めた直後、一緒に冬眠していた仲間の姿がないので、騒いで大泣きしたそうよ。アスカが言うには、母親に捨てられたと叫んでいたとか・・・過去生での母娘だったのかも知れない」

「ともかく、空き地には走って行ったの一点張りで、キャットは消えた仲間についても口を閉ざしている。他にも何か隠しているのは間違いないわ。時々ふっと姿を消して、いつの間にか戻っていたりするらしいの。テレポーテーションではないなら、異常に動きが速いのかも知れない。どちらにしても一筋縄ではいかない子なのは確かね」

 ナラニの口ぶりには、風変わりな仲間を白眼視する響きはまったく感じられない。むしろ、困った子ねと言いつつ、暖かく見守る母親のように思いやりに溢れていた。


「第二世代ではないのでは、と思う理由は他にもあるわ。感情の起伏が激し過ぎるの。まるで、新人類に進化する以前の人格がそのまま残っているようだ、とアスカは言っているの。第二世代でも冬眠の後はしばらく情緒不安定になることはあるわ。ところが、キャットの場合は、それともまるで感じが違うらしい。あなたが知らせてくれたタクの記憶でもそうだった。第二世代があんなに気性が激しいなんてあり得ないもの」


 ナラニはさらに驚くべき話を持ち出した。

「カミ、あの子たちは言ってみれば、そうね、第三世代かも知れない・・・進化の特異点のような存在ね。何か役割があって冬眠したのかも知れない。だから、キャットがトリニティの一人なら、私たちは干渉しないで見守る方が良いと思うの。しばらくは好きなようにさせて様子を見るつもりよ」


 第三世代・・・何てこと!貴美は想像もしていなかった展開に、頭が混乱するのを感じた。けれども、ようやくタクに生じた現象を解明する手掛かりをつかめたのでは、とも思った。

「わかったわ。ともかくキャットの他にふたりの第三世代がいるのね?それじゃ、脳心理研究所の監視カメラの映像を消して、わたしに宅配便で連絡して来たのも彼らなのかしら?」

「まだ何とも言えないわ。トリニティは言い伝えに過ぎないし、仮に実在しているとしても、他にも何者かが動いているは間違いない」

 ナラニは釘を刺した。

「プライムが関わっているのを忘れないでね。プライムがノヴァの存在を予想してから、何者かが動き出している。予測が公表された裏にも何か意図があるはず。トリニティが実在するなら、彼らはタクの覚醒を助けるわ。でも、プライムは人類の側について、妨害工作を仕掛けてくるでしょうね」

「そうね・・・わかったわ、ナラニ。私、そろそろ戻るわね。タクの様子をみるわ!」

 匠に事実を告げられないのがもどかしいが、今は何より弟の身の安全を確保しなければならない。貴美は改めて決意を固めていた。

 姉としてでなく、諜報員として割り切って対応する。感情より目的本位で動こう!


 「カミ、こちらも何か掴んだらまたメールを入れるわ」

 二人は別れの挨拶を交わして電話を切った。帰る道すがら、ナラニは私の胸の内を最初から見抜いていたのね、と貴美は思う。おかげで気持ちの整理がついて、頭がすっきりした。


「それにしても、第三世代にテレポーテーションなんて・・・これから何が起きても不思議はなさそうね」


 貴美は胸でつぶやいたが、それはもはや予感ではなく確信だった。




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