第10話 データ欠測? Missing Data?

 国際大学の専門学部と大学院のキャンパスは、企業が集まるシティの中心街に隣接している。学生時代から、世界的企業の研究開発部門でインターンとして働く者も少なからずいる。職業と表裏一体となった実践的な学業への取り組み方を自然に身につけ、卒業してフルタイムで働き出す前に、プロとして通用する学力と経験をものにすることも可能だ。


 専門学部の研究室で、一時間ほどかけて昨日のフィールドワークの報告書を書き上げた匠は、研究棟を出る間際に大学院生の助手に呼び止められた。

「昨日は山脈まで飛んだんだってね~?大学生に入域許可が出たのは初めてじゃないか?それにしても、あのサンプルは凄いね~。あんな高濃度に汚染された土壌は、久々に見たよ」

 専門学部に移って二年、放射線技術研究室の常勤助手とはすでに顔馴染みだった。

「新井さんが分析してくれたんですよね。ありがとうございます。天気は荒れ模様だし、寒いし独りぼっちで、めちゃめちゃ緊張しましたよ!」


 匠が礼を言うと、新井は鷹揚おうようにうなずいた。

「そりゃそうだろう!あそこまで入るのは専門家チームか、日米合同軍事訓練の特殊部隊ぐらいだからね~。私なんか測定するだけでも緊張したよ」

 そして、ふと思い出したようにつけ加えた。

「他のサンプルは、規定通り容器に九分目まできっちり入ってたのに、あの山脈のサンプルだけ、七分目までしかなかったね。ラベルも破れていた。採取マシンに異常なかった?」

「えッ?いえ・・・急いで採取したせいかもしれません」

 あの草地に降りた後の記憶は、ほぼ完全に欠け落ちている・・・

 匠は答えに詰まった。

「よほど気が急いていたんだね~、無理もないよ。おおかたマシンが地面に密着してなかったんだろうね~」

 独り合点した新井は、匠の肩を叩いて研究室に戻って行った。


 エアスクーターでエリア21の教養学部キャンパスに向かう道中も、新井の言葉が気になったが、あの草地に降りた後の出来事は思い出そうとするほど、頭がぼんやりと霞んでしまうのだった。


「あらっ、ロバじゃないッ!」

 学生ラウンジに入った途端、うるさいのにつかまった。目を輝かせてすり寄って来たのは、新入生の木村真弓だった。ボブカットの艶やかな黒髪の下で、インド・アーリア系のような大きな目が輝いている。

 春休みを控えた三月第一週、期末試験も終わり、レポート提出や部活に来た学生でラウンジはにぎわっていた。くすくす笑ったり、匠に目配せしながらそばを通り過ぎてゆく。長身で太いクッキリ眉に甘いマスクの専門学部生が、作年九月に入学したばかりの教養学部生にむしられているとあって、また始まったと周囲は面白がっていた。


「マユ、頼むよ。ロバはやめろって言ってるだろう!あこがれの先輩のイメージがぶち壊しじゃんか」

 しかめっ面で真弓にささやいたが、内心ではおかしくてしかたない。真弓はまじまじと匠を見つめ返すと、ばっかみたいと言わんばかりに切り返した。

「へ~、あこがれの先輩なの、ロバが?ふ~ん、それはいったいどういう風の吹き回しなのかしら?」

 真弓の日本語は第二言語で、時どき妙に古めかしい言い回しが紛れこむのだ。

「マユ、お願いだよ!君をこんなに想っているのに、驢馬なんて呼ばれたら胸が張り裂けそうだ!」

 匠が胸に両手を当てまじめくさって切り返すと、真弓の顔は目に見えて赤くなった。

「ばーか!」

 照れかくしにそう言い捨てるなり、くるりと背中を向けてそそくさとラウンジを出て行った。威勢よく振舞っていてもまだ十七歳の真弓には、純情でウブなところがある。形勢不利と見て今日は退散してくれた。

  

「ダメじゃないですか、新入生をイジメちゃ~」

 ニヤニヤしながら声をかけてきたのは、二年生の小田おだ敦盛あつもりだ。銀色の全天候型ジャケットとトラウザーズを着ているせいで、身動きするだけで虹のように全身の光沢が変わる。何でも平家の血筋を引く家系とかで、悲運の若武者、平敦盛たいらのあつもりの名を受け継いだそうだ。

「平安時代の飛騨工ひだのたくみと同じ名前なんですね」

と、話しかけて来たのが、二人が知り合ったきっかけだった。


「イジメられているのはこっちだよ。ミドルネームがロバートだって言わなきゃよかったよ」

「優しいからな~、飛騨乃さんは。マユが大学に馴染めないで、ぽつんとしてたから声かけたんですよね。懐に飛び込んだ子猫に、今じゃやりたい放題むしられちゃって!」

「うん、むしられっぱなし。手に負えない・・・」

 ふざけて沈痛な声を出した匠は、ラウンジのソファに腰を下ろし、バックパックから測定器を取り出して木製の丸テーブルの上に置いた。


「ダストモニター、ありがとう」

「いいですよ、こっちも実地試験になるんで。データ通信を装備していたら良かったんですけどね、間に合わなくて」

 小田は小型パソコンを開いて測定器を接続した。小田が非常勤で働く大手機器メーカー研究開発チームの専用機器で、盗撮されないようホログラムは使っていない。


「どうでした、あの山脈は?強風なのにエアバイクで出かけたから心配しましたよ」

 パソコンをいじりながら小田が尋ねた。

「大変だった!高層ビル群はビル風が凄くて大きく迂回だし、行きは風にあおられっぱなしで自動操縦も使えなかった」

 匠は思い出してもゾッとすると身震いした。アポカリプス後「人類の墓標」と呼ばれた高層ビル群も、今では半壊して緑に覆われている。無残な廃墟の近くを飛行する度に、「諸行無常」という言葉が頭をかすめるのだった。


「衛星画像で見ても、エアカーが着陸できる場所が近くになかったですもんね」

 汚染地帯はとっくに原生林と化した。風雨や地盤の変動の影響で、森の様子は絶え間なく変化する。フィールドトリップの度に、あらかじめ現地の状況を確認する必要があった。

「うん。あの強風じゃ、エアカーをホバリングして防護服で降りるのはごめんだ。立ち往生したら、救援が来るまであそこの放射線を浴びるからね」

「中装防護服じゃ、あの場所の放射線は防ぎきれないですからね・・・」

 不意に小田が「あれっ?」と素っ頓狂な声を出した。ダストモニターを接続したパソコンを覗き、怪訝そうに顔をしかめている。


「おかしいな・・・エアバイクが揺れたって言ってましたよね?このモニター、どこかにぶつけませんでした?」

「いいや、防護服に付けてたけど、どこにもぶつけてないよ。ずっとハンドルを握っていたからね。何で?」

「データが一部変なんですよ。放射線値と核種濃度が三十分ぐらい異常に低くなって、ほぼゼロまで下がっているんです。あり得ないでしょう?」

「変だな~?・・・あっ、そう言えば、山岳地帯まで来たついでに土壌サンプルを取ろうと思いついて、戻る前に一箇所だけ降りたっけ」

「それ、何時頃だったか覚えてます?」

「山火事検知器のデータボックスを交換した後だから、たぶん二時半くらいだよ」


「ああ、それじゃぴったりその時間帯ですよ!これ、見て下さい!」

 小田は勢いこんでパソコンのモニターを匠に見せた。空間線量とダスト濃度の時系列データの折れ線グラフだった。

 フィールドトリップのコースへ向かうまで緩やかに上昇して、そこから山麓へ向かう間に急上昇している。ところが二時半前に谷型に急降下して、データが欠測したようにゼロ近辺まで下がっていた。


「あ~、何だ、これ!?これじゃ、精密測定用の遮蔽室並みに低い。世界的に屋外じゃあり得ないよ。特にあそこは世界一放射線量が高い場所なんだから!」

 匠も驚いてグラフを見つめた。シティ当局が支給する個人測定器より高性能で、検出限界も低いから、不具合がない限りゼロになるはずがない。

 

「でしょう!バイクを着地させて、プロトコル通り放射能チェックしたんですよね?」

 小田が相づちを打った。

「もちろん。バイクの駆動系統は正常だったし、空間線量も・・・」

 匠はそこで言いよどんで口を閉じた。金色の髪の女性の夢と重なるように、おぼろげに記憶の断片が脳裏をかすめた。

 彼女と話したような気がする・・・でも、現実には誰にも会っていない。だいたい、汚染地帯で人に出会うはずがないのだ・・・


「飛騨乃さん、大丈夫ですか?何かぼうっとしちゃって、らしくないですよ」

と、小田が心配そうに声をかけた。

「大丈夫、ちょっと疲れているだけだよ。ところでさ、バイクと防護服の線量計とダストモニターは、測定値をシティに自動送信しているだろう。そちらは何も問題なかったよ。二時半ごろの測定値は爆上がりしていた。さっき報告書を書いたばかりだから間違いないよ。それに、あの山岳地帯で採取した土壌もこれまで最悪に汚染されていたからね」

 けれども、匠はどこか腑に落ちなかった。

 あの場所で何かが起きたような気がしてならない・・・


「ああ、自動測定値はプライムが管理しているから、間違いないですよね。それじゃあ、この測定器の不具合かな~?ソフトのバグで高線量を計測し損なったのかも。ショックアブソーバーもないから、何かの衝撃で欠測したか・・・」

 小田はぶつぶつボヤいていたが、ぼんやり考えこんでいる匠に気づいて、再度声をかけた。

「飛騨乃さん、何だか上の空じゃないですか?あの山裾は放射線量が異常に高いですからね。短時間なんで、脳に影響が出るほど被曝しないはずですけどね・・・」


 それでも心ここにあらずで黙りこくっている匠に、小田は話題を変えることにした。元もと、頭の回転が早過ぎるほど早い小田は、ころころ話題を振る癖がある。

「あっ、そうだ!昨日の夜、スーパーに寄ったんですけどね、イルカちゃんいましたよ!」


 匠はぴくっとして顔を上げた。

 イルカちゃん?・・・あの不思議少女か!

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