第21話
暗い山道を配られた懐中電灯の微かな明かりを頼りに歩いていく。
さすがに山奥とあって、辺りは暗く、月の光も微かにしか届かない。風に揺られた木々、その葉の擦れ合う音。虫の鳴き声、フクロウか何かの鳥の声も聞こえてくる。
それだけで怖い。引き返したい。
「い、今岡達はどんな仕掛けしてるんだろうな?」
沈黙しているとさらに怖いこともあって俺は伊吹さんに話しかけた。
……話しかけるのが苦手なんて言ってられない。
「えっと……わかりません。……ごめんなさい」
振り向いて申し訳無さそうに言う伊吹さん。
そうだよね。分かるわけないよね。てか分かっちゃったら仕掛けの意味がないよね。
「あ、いや……別に謝らなくて――ひぃっ!?」
自分で踏んだ枝の折れる音にビックリして悲鳴を上げてしまった。
「ふふ……ほんとに怖がり……なんですね」
それを見た伊吹さんに笑われる。
俺は恥ずかしさから顔を逸らし、
「あ、うん……まぁ」
頬を掻く。
「あ、ごめんなさい……笑っちゃって」
また申し訳なさそうに頭を下げる伊吹さん。
「え? いや、別に……」
俺は顔を逸らしたままぶっきらぼうに呟いた。
笑われたのは別になんとも思ってないし。
怖がりだと思われたのが恥ずかしいだけだし。
「そ、そんなことよりっ……さっさと進んで終わらせよう!」
俺は気まずさを紛らわせるように言った。
「は、はい……わかりました」
そう返事して歩き出す伊吹さん……の後に続いて俺も足を動かした。
……情けなくも俺は、伊吹さんの後ろを歩いているのだった。正直なところ……怖いし前を歩くのは無理だと思ったから前を歩くことは伊吹さんにお願いした。
早く終わらせたい一心で自然と早足になってしまう。そんな俺は、同じ速度で歩き続ける伊吹さんの背中にぶつかってしまいそうなほど近づいてしまう。その度に速度を落とし、ある程度離れるとまた無意識に早足になってしまう。そんなことを何度か繰り返すうちに、ふと……伊吹さんが立ち止まった。
「え、なに、なんかあったの!? アレか、今岡達が仕掛けた罠か!?」
ここに来るまで、怖かったけど何事もなかった。だからついにきたのか、と思った俺は立ち止まった伊吹さんに問いかける……目を瞑って。
「………………」
だがいくら待とうとも伊吹さんの返答はなかった。それどころか前に立っている伊吹さんから動く気配すら感じられない。
「……あの~」
俺は薄く目を開け伊吹さんを見やる。
伊吹さんは前方を見つめたまま動かない。
「伊吹さ――っっ!?」
どうしたのだろうと声をかけつつ伊吹さんの見ている『モノ』を見た俺はそれ以上の言葉を発することが出来なかった。
なにか……いる。
懐中電灯に照らされる黒い影。
照らされているのになお黒いその影。
黒い……毛? 体毛?
え、人間じゃない?
頭が混乱する。
「…………」
「………………」
俺も伊吹さんもただ無言で前方の黒い影を見つめていた。
そして――伊吹さんは徐々に上へと懐中電灯の光を移動させる。
「……っ!?」
絶句した。
俺も伊吹さんも。
熊。前にいるそれは熊だった。一瞬光に照らされ見えた顔は紛れもなく熊のものだった。
「……き……」
伊吹さんが驚きのあまり懐中電灯を地面へ落とした。
「キャ――――ッッッ!!」
そして、伊吹さんとは思えない大きな悲鳴を上げた。
「――に、逃げよう!!」
伊吹さんの悲鳴を聞いてようやく体を動かすことの出来た俺は伊吹さんの手を引いて走り出した。
それからは無我夢中で走った。それはもう必死に……。途中で後ろを振り返る勇気はなかったので、熊が追いかけてきているかも分からない。
「はぁ……はぁ、はぁっ!」
苦しい。
こんなに本気で走ったのは久しぶりだ。
もうそろそろ限界だ。もし熊が着いてきているとしたら逃げ切れる自信がない。
怖いけど後ろを振り返るしかない。
「はぁ、はっ……はぁ~」
俺は止まって後ろを見た。
「……良かった~」
熊は追いかけてきてなかった。
「い、伊吹さん……あ、ごめん!」
安心したことで自分が伊吹さんの手を握っていたことに気がついた。慌てて手を離す。
「だ、大丈夫……です」
そう返事した伊吹さんはたいして息も上がっていない様子だった。
「あ、あれ……熊だったよね?」
見間違いじゃないことを確認する為に伊吹さんに尋ねる。
「は、はい。……熊、だったと……思います」
やっぱり見間違いじゃなかったんだな。
「ほんと……予想通りの展開すぎる」
俺の予感ってなんで嫌な方ばかり当たるんだろう。
「凄い……です」
妙に感心したように伊吹さんが呟く。だけど、そんなことで感心されても正直言って嬉しくはない。
と、俺はここである重大な事実に気がついた。
「伊吹さん……あのさ」
「なん……ですか?」
「ここ……どこだか分かる?」
俺は辺りを見渡して呆然と問いかけた。
見渡す限りの木、木、木。というか樹。どっちから来てどこへ向かえばいいのか全く見当もつかない。
「ま、迷……った? い、伊吹さんは帰り道分かる!?」
「あの……えっと……ごめんなさい」
「と、とにかく動こう。歩いてればそのうち帰れるよ」
俺はここで大きな間違いを犯してしまった。こういった場合はじっとして助けを待つほうが懸命だ。動けば体力も減るし、危険もあるかもしれない。だけどこのときの俺はそんな判断は出来なかった。
伊吹さんと二人で歩き出す。
だが懐中電灯を落としてしまった今、暗闇にも慣れうっすらと見えてはいるが足元が覚束ない。
足元を探りつつ進む。途中――
「あ、ご、ごめん!」
「い、いえ……こちらこそ」
伊吹さんと体が何度もぶつかる。
暗くてお互いの距離が上手く掴めないからだった。下手したら直ぐにはぐれてしまいそうだ。
「伊吹さん……ごめん!」
俺は伊吹さんの手を再び握った。
「あ、あの…っ」
伊吹さんの焦った声。
「あの、嫌かもしれないけどはぐれたら大変だから……今だけごめん」
「あ、はい……驚いただけで……大丈夫、です」
伊吹さんから了解ももらえた。嫌がられてなくてよかった。
……実は怖いから、恥ずかしいより怖いという思いが勝ってしまった結果手を繋ぐという暴挙に出たなんてことは、ない。ないからな。
伊吹さんの手を引いて足を踏み出した。
「早くみんなの所へ帰――うわっ!?」
踏み出した先には……何もなかった。足が何かを踏みしめる感触は感じられない。
「――え?」
伊吹さんの呆気に取られた声。
そして
「わあぁぁぁぁぁっ!!」
「きゃぁ――――!!」
足を踏み外した俺、そんな俺と手を繋いでしまっていた伊吹さん。
二人一緒に落ちていった。
「…………ん?」
目を覚ます。
「そうか……落ちたんだよな。あんまり高くなかったのかな……怪我もないし」
俺は寝たままの体勢で体を触って異変がないか確かめる。
怪我がないことを確認してから視線だけ動かして周りを見てみる。辺りはまだ暗かった。あまり時間が経ってないのか……それとも一日以上気絶してしまっていたのか。現状ではそれらを確認する術がない。
携帯をテントに置いてきてしまったのを後悔する。
「……っ!?」
起き上がろうと体を触っていた手を動かしたとき、なんだか柔らかいものに触れた。地面では有り得ない柔らかさだった。
……自分の体でもない。
上半身を起こして手で触れているモノを確かめる。
「――伊吹さんっ!?」
それは気絶している伊吹さんだった。
そうだった。俺の所為で伊吹さんも落ちてしまったんだった。
「伊吹さん、大丈夫!?」
俺は伊吹さんの体を揺さぶる。
「…………んぅ……」
吐息を漏らす伊吹さん。
良かった……生きてる。
俺はさらに伊吹さんを揺さぶる。暫くして伊吹さんが目を覚ます。
「……えっ……春田君?」
起きて直ぐ、目の前に居る俺に驚いて目を見開いた。
その後、伊吹さんにも怪我や異変がないか自分で調べてもらった。
「……ぃたっ……!」
伊吹さんは足首を怪我していた。
捻ったのか……折れてはいないが歩くのは辛そうだった。俺達は自力での帰還を諦めざるをえなかった。
「……ごめんなさい」
申し訳無さそうに謝る伊吹さん。
「あ、謝るのは俺の方だって! 俺の所為で怪我させちゃったんだし」
女の子に怪我をさせてしまう状況がこんなにも罪悪感を感じさせるなんて初めて知った。……最悪の気分だった。
「みんなも探してくれてると思うし……ここで待つしかないよね」
「それが……良いと思います」
俺の意見に伊吹さんも賛同してくれる。
「はぁ~……お、お腹減ったな!」
少しでも気を紛らわせようと全く関係のない話を始める俺。なんの脈絡もなさすぎたか……伊吹さんがキョトンとしてる。
「……ふふ……そうですね。夕飯……あれだけ……ですもんね」
あれだけってのはあれだよな。
三上さんと今岡が米を流してしまったせいで、他の班に分けてもらったとはいえ、やはりその量は多くはなかった。
「うん。伊吹さんはお腹減らない?」
伊吹さんが話に乗ってきてくれたのは有難かった。俺はさらにその線で会話を試みることにした。
「ちょっとだけ……空きました」
「だよね。てか米が流れるってどういう状況なんだろう?」
「ミサちゃん……お料理……その、なんて言うか、出来ないから」
ミサちゃん……? ああ、三上さんのことか。美咲だからミサちゃんね。
「今岡も……どう考えても出来ないしなぁ。組み合わせが間違いだったな」
「……そうですね」
そして俺と伊吹さんは笑い合う。
そのとき――
「……っ!?」
背後でガサリと音がした。
助けに来てくれた誰かなら声をかけてくるはずだ。
隣を見ると伊吹さんも固まっている。
ガサッ、ガサリ、とまた音がする。それも段々近づいてきているようだ。
「い、伊吹さ――」
言いかけて止まる。
背後から俺の目の前に何かが投げられたからだ。
拾ってみるとそれは――落としたはずの懐中電灯だった。
明かりは……点く!
俺は怪我をした伊吹さんの盾になる位置に移動して振り返った。
明かりを向ける。
「…………なっ!?」
驚愕の声を上げる。
そこに立っているのは見覚えのある熊。
そこからさらに顔へと明かりを移動させ――
「がおー」
両手を上げてこちらを威嚇する熊――の口の中にさらに顔があって、それは……アリサさんだった。
「がおーじゃねぇっ!」
懐中電灯を投げつけてやった。
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