第19話

 近くに温泉があるらしい。

 晩ご飯が終われば入浴なのだが……こんなところにある温泉だ。全員が入れるほど大きくはない。そうなるといくつかのグループに別れて入っていくことになる。

 さらに言えば、ここは別に宿泊施設とかそういったものではない。ということは男女別になっている……なんてこともない。

 これも順番になるわけだ。

 そうなると男子と女子で揉める。

 最初は『男子は一日ぐらい入らなくてもいいのでは』という女子の主張があったのだが、男子全員の反対により却下された。 

 男子の意見はもっぱら「女子、お先にどうぞ」だ。それに対して女子はといえば「男子の後は汚れてそうで嫌。でも先に入るのも何か嫌」ということで。

 女子の気持ちも分かる。なぜなら男子からは『女子の残り湯万歳!』といった気持ちがオーラとなって見えているような錯覚に陥るほど、異様な興奮で妙にテンションが上がっていたりする。

 勿論――

「紳士的にレディーファーストでお先にどうぞって言ってんだよ! 何だよ、何か嫌って!」

 女子に向かってそう叫ぶ今岡もそのひとりだ。今岡の後ろに控える男子生徒たちから「そうだ、そうだ!」と声があがる。

「何か嫌なもんは何か嫌なのよ!」

 そんな今岡に対して大声を出すのは三上さん。こちらも女子から「そうよそうよ!」との声。

「大体、その顔が嫌なのよ。如何にも変なこと考えてますって顔してるじゃない!」

 三上さんは今岡とその後ろの男子たちを指差して言う。

「そうかよ! じゃあ俺らが先でいいんだな!?」

 今岡の問いに、

「それも嫌って言ってんでしょ!」

 即答だった。

 俺は少し離れたところから見ているのだが、これはもうどうしようもないんじゃないかと思った。

 特に女子。先に入るのも嫌だし、後でも嫌じゃこの問題は解決できない。

 嫌がっている割には風呂はナシって話にはならない辺り、やはり入りたい気持ちはあるんだろう。今日は汗掻いたと思うし。女子だし。

「ならどうしろっつーんだよ!?」

 今岡が女子に叫ぶ。

「ちょっと待ってなさいよ! 今、相談してるんだから」

 女子は三上さんを中心に集まり、しゃがみ込んで相談している。

 先か後か……それは女子にとってとてつもない選択であるらしい。やけに真剣に相談している。

 やがて決断したのか、女子達は一度顔を見合わせ頷く。そして三上さんが立ち上がり今岡に近づいてゆく。

「先で……いいわ」

 小さな声で言った。

 今岡はそれを聞いて満足そうにうんうんと頷き、

「じゃあ、先に入ってくれ。全員入ったら知らせに来てくれれば良い」

 極めて紳士的な態度だった。今岡の後ろの男子達も優しげな顔で微笑んでいた。

 三上さんが訝しげな瞳を向ける。他の女子も同様だ。  

 女子じゃなくても怪しいと思うだろう。現に俺が思ってる。

「…………言っとくけど、覗いたら殺すから」

 殺意のこもった視線を今岡に突き刺す三上さん。

「覗くわけないだろ」

 今岡は答えるが、女子の怪しげな眼差しは消えない。

 それでも、そろそろ入り始めないと時間もヤバイということで怪しみながらも女子達は温泉へと向かっていった。

「………………」

 優しげな顔で見送っていた男子達。女子の姿が見えなくなった途端に騒ぎ出す。

「よっしゃ覗くぞぉ――――っっっ!」

 今岡が叫ぶ。

『うおぉぉぉぉ!!』

 他の男子も拳を突き上げて叫ぶ。

 この場は今、異様な熱気に包まれていた。

 これは……係わり合いにならない方が良さそうだ。絶対ロクなことにならない。

「よし、行くぞ春田!」

 いつのまにか隣にいる今岡に肩を捕まれる。

「え~……行かないと駄目なのか?」

「当たり前だろ!? 行かないとかお前それでも男か!」

 覗かなかったら男じゃないとか、それもどうかと思う。

「んじゃ、行こうぜ!」

 返事をする前に今岡に凄い力で引きずられ、強制的に参加させられてしまった。


 それは過酷な道のりだった。

 ひとり、またひとりと次々に脱落していく。残ったのは俺と今岡を含め数名だった。

「ご、ごめん……俺……もう駄目みたいだ」

 指に力が入らない。もういつ話してしまっても不思議じゃない。

「バカッ――何諦めてんだよ! 諦めたら終わりだろうが!」  

 今岡の叱咤の声。

「でも……もう限界なんだ」

 正直なんで俺、こんなに頑張ってるんだろう。乗り気でない覗きの為に。

 次々と脱落していく者達の『あとは……任せたぜ……がくっ』という声になんだか知らないうちにゴール(女湯)まで辿り着かなければいけないという気持ちにさせられてしまったからだろう。

 だがそれもここまでのようだ。

 温泉の周りに張り巡らされた防壁(ただの壁)、あとはここを登りきれば辿り着けたのに……。俺の体はその中腹で限界に達してしまったのだ。

 あとは……リタイアしていった人達と同じく、残っている今岡達に全てを託して――

「お前は……最後まで頑張れよ」

 そう今岡に笑みを向ける。心境は『俺を残してお前は行け』的な気分だった。そして俺は指の力を抜いた。

 重力に従って登っていた距離をそのまま落下する……かに思えた。

「――――っ!?」

 だが、それより早く、今岡の手が俺の腕を掴んでいた。

「な、何を……そんなことしたらお前まで!?」

 片手で自分を支え、もう片方の手で俺を支えるなんて……こんなことしたら二人とも落ちてしまう。

「離せよ。お前まで落ちることねえよ」

「バカヤロ――ッ!」

 今岡が叫ぶ。

「俺達は友達だろ。お前と一緒じゃなきゃ……意味ねぇよ」

「い、今岡」

「さあ、行こうぜ」

「あ、ああ!」

 限界だと思っていた体から不思議な力が湧いてくる。

 俺と今岡は再び壁を登りだす。

 そして――

「つ、着いた! 着いたぞ、今岡!」

 壁の一番上に手をかける。

「あ、ああ……やっと、やっと辿り着いたんだな」

 今岡も限界だったのか疲れきった顔をしていたが、その目は輝いていた。

 辿り着けたのは俺達だけのようだ。

「じゃあ、『せ~の』で一緒に見ようぜ」   

 今岡が俺の隣までやってきてそう言った。

「…………ああ」

 俺は今岡の顔を見て頷いた。

「それじゃ……せ~のっ!」

 今岡の声に合わせ、二人で壁から頭を出す。

 そして視線の先には――

「覗くなっつったでしょぉがっっっ!」

「ぐおっ!」

「いつっ!?」

 顔面に何かが当たる。凄い勢いと衝撃だった。

 今岡も俺も思わず手を離してしまった。そのまま地上へ落下。

 落ちたところで壁の向こうから三上さんの怒る声が聞こえた。

「あんだけ大声で叫んでれば誰だって気付くわよバカ!」  

 ……そりゃそうだ。熱くなってバカみたいに騒いだからな、今岡と。

 

 その後、俺と今岡は三上さんに折檻された。

 正座で説教。その間も何度殴られたことか。

「結局見えなかったんだからいいじゃん」

 という、今岡の反論が余計三上さんの怒りに火をつけてしまった形だ。

 他の男子どもは自分は関係ないですとばかりにそそくさと入浴に向かっていった。

 やっぱり……ロクなことにならなかった、な。

 俺は三上さんの怒声を聞きながら溜息を吐いた。

「何溜息吐いてんのよ! ちゃんと反省してんのかお前は!?」

「ぐえっ……」

 それに怒った三上さんに首を絞められた。

 ほんと、散々だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る