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運転疲れがあったのか明星はずっと眠っていて、チェックアウト三十分前にようやくのそのそ起き出し顔を洗った。相変わらず無精髭が目立つ、というか剃り方が適当なんだろうなとわかってきた。もう何日だ、三日目か。俺の部屋に入り浸っていたときも同じくらいべったり一緒にはいたはずなのに心境はかなり違っていて不思議だ。じっと顔を見つめていると明星はぼさぼさの髪を掻き回しながらにやりと笑う。
「実家に今日帰るって連絡入れた?」
「入れた」
「ふふふ、極まってきたな、大河さん。行こうぜ」
「お前さあ」
「なに?」
「……いやいいよ、文句は小出しじゃなくてまとめてにする」
「どっちでも変わりないと思うけどね」
「俺も思うよ」
また笑い出した明星の肩を強めに叩く。まあでもそんなので怯むような男なら俺もここまでハマってもいないだろう。身支度を整えてチェックアウトすると青空が高くてずいぶん眩しい。秋晴れってやつだ、ひとまずの清々しさを胸に車へと乗り込めば昨日とはまた違うCDに迎えられる。明星は音楽が好きなんだろう。実家までの時間つぶしがてら行楽日和雰囲気がてら、俺は明星に音楽について尋ねてみる。無精髭の横顔はたっぷり五分は黙っていた。流れていくのはクラシック、道中散々聴いていたのはオーケストラだったけど今はピアノ曲になっていて、聞き覚えもあった。有名なクラシックに違いないが相変わらず曲名は不明でCDケースを手に取り確かめてみようとするがその前に明星が話し出す。
「グレン・グールドだよ」
普通に誰だそれって顔をしてしまって笑われるかと思ったが明星は静かな顔のまま続ける。
「これはゴールドベルク変奏曲。つってもね、オレも詳しいわけじゃねえんだ。さっきまでかけてたCDはオレが持ち込んだやつだけど、クラシック類は全部別の人間が持ち込んだ」
「女からのプレゼントか?」
「いや、父親からのプレゼント」
反射で黙ると一声だけ笑いが届いた。
「死んだんだよ、三週間くらい前に。だから、大河さんだけじゃなくて誰からの連絡も無視してた。忙しかったっつうか、独居老人じみた最期っつうか、あー多分オレもこんな感じで死ぬなっていう、まあまあ現実的でそこそこ理想的な死に様だったよ。母さんも一緒に大変だったわけだし大河さん、あんたは本当にふざけてるよね」
「はっ?」
また唐突に話が飛んでいる。明星は説明を重ねるつもりはないらしい。朝ごはん買うかーなどと間延びした調子で言って見えてきたファーストフード店のほうに曲がった。ドライブスルーで買って駐車場に停まって食べ始めた。期間限定のパイナップルが挟まっているちょっとやばそうなハンバーガーを明星はフラットな顔で食べ進めて甘そうな色のシェイクで飲み下す。どれだけ甘党なんだと若干引きつつ俺はピクルスがうまいチーズ入りのハンバーガーをもりもり食べる。朝の添加物はとても効く。アイスコーヒーもかなり効く。脳をどうにか回して何故急に明星に詰られたのかを考える。また間をすっ飛ばしたなこの男。でもすっ飛ばされた間については想像はそこまで難しくなくて、なんせ明星母子は夫あるいは父親の逝去によって忙しい日々を過ごした、この忙しさは俺も生きていれば見舞われるし友人の顔を思い出す。朝陽は彼女が自殺してから相当忙しかったようで連絡があまりつかなくなっていたし遊びの誘いにも乗らなくなった。今は落ち着いているようだけど詳細は語ろうとしないしこっちも根掘り葉掘りしようとも思わないし大学時代の友人グループ内ではほぼ禁句くらいの扱いだ。死ぬってそういうことだ。俺は朝陽が、あいつに限ってそんな行動にはでないだろうけどでも、後追いなんてしたらって考えなかったわけじゃない。誰か死ぬと自分も死ぬが近くなる、気がする。現象として近くに来てしまうと考える。それは俺にも嫌になるほどよくわかる。一緒に死ねよと言った男と一緒に来て死に場所を探しているような状態だから。
つまり明星は父親の死に思うところがなかったわけじゃない。死が近くって、死ねよって言い出した。とりあえずそう補填する。明星陽平が実際に何を考えているかなんて俺はおろか母親にも父親にも誰にも本当にはわかっていなくてどこまでもそれは明星だけのものなのだと思う。
だと思うけど俺はなんで詰られたんだよ。そこにはどうも辿り着けない、ああチーズバーガーが消え去った。
「この期間限定のやつけっこういけるよ、ソースも甘いしなんか花の味がする」
明星は指についた花の味らしいソースを無造作に舐めながら平常運転で報告してくれる。俺が食べ終わっているのを見ればエンジンをかける。ゴールドベルクとやらがまた始まる。車は俺の実家がある、大分県でも山間のそこそこ田舎な土地へと向かう。
その道中、明星はまた気が向いたらしく話し始める。でも断片的だった。大分にいた頃、父と母がまだいた頃、離婚自体は円満で、いわゆる性格の不一致だって話、俺と平行して会っていた女は肉体が不一致で、父親の葬式前に入った喫茶店のパフェがつまんない味で、バイトを転々としているけど賭け事のほうがよっぽど儲かって。そんな断片を時系列も考えずに無茶苦茶に喋る。会話というかラジオ状態で聴いている。明星の声に重なりながらピアノがしっとりしたり暴れ出したり音色の奥になんか話し声も聞こえていたりと鳴っている。もしかして明星も別に故郷なんて見たくはないんじゃないかと思う。じゃあお互いに自傷、いや、刺し合ってる? 俺も明星もそれが不毛で荒地で焦土だってわかってやっているのだからどうにもならない。
グレンのピアノだけが上澄みも奥深くもとにかく透いてて健全だ。
実家には直ぐに辿り着き、実際は直ぐではなくCDは一周していたが話を聞いていたから体感はそうでもなかった。妹は確か大学を卒業してこっちで就職したんだったか。弟はずっと実家にいる。両親もいるし離れには祖父母も住んでいる。大所帯ってだけで指先が嫌な震え方をする。世の中に出回る田舎のテンプレというものに、実家は綺麗にはまってくれている。
「大河、おかえり! もっと早う言うちくれりゃあ色々準備も出来たにぃ……そっちが明星くん? よう来ちくれたねえ! 人ぅ連れちくるっち言うけん彼女さん思うちしもうた、大河、そっちはどうなん?」
出迎えてくれた母親の台詞にすぐさま黙って飲み残してあったコーヒーを啜る。のを、俺の癖を既に知っている明星が意外にも取り成す。
「こんにちは、お邪魔します。大きい家ですねえ、俺のところは母と二人暮らしなので新鮮です。大河さん、入らせて貰ってもいい?」
完璧に標準語のイントネーションだ。自分も出身地だと言うつもりは一切ないらしい。コーヒーから口を離して頷き、母親に元気だったかとか変わりなさそうで良かったとか常套句を投げながら明星を家の中へと招き入れた。しかし後輩を連れて行くという言葉に嘘偽りはないにしろ、なんでわざわざ同性の後輩をと不審に思われれば堪らない、とか、言い出しても今更でもある。母親は案の定じろじろと明星を見上げていてマジでやめろよと既に帰りたくなってくる。居間に通されて二人分のお茶を用意されて母親はまた喋る。それはそれは喋る。とても朗らかに俺の近況を聞いてきて言葉の端々にはやっぱりこう、結婚して家に戻るのはまだかという圧力を感じる。家に戻れまではなくともおじいちゃんおばあちゃんももう長うねえんやし孫とまではゆわんけどぼつぼつ身ぅ固めち安心させちゃっち欲しいちわたしもお父さんも思うちょんけん勿論大河ん好きにすりゃいいけどでもちったあ考えち欲しゅうて、ここまでを捲くし立てられてほとんど思考が停止して俺はたまに頷きながらお茶を飲む機械に成り代わる。そのうちにおじいちゃんおばあちゃんも大河帰っち来たんか! って元気に現れてしかし一様にやっぱり当然、明星は奇異の目を受ける。それはそうだ。遂にはここまでずるずるやってきたんだし一緒に死ねよって言われて頷いて俺なりに考えはしていざ家族を目の前にした今この瞬間、一緒に死んでやるよ明星って、俺はお茶を飲み干してようやく踏ん切りをつける。それを見透かしたような顔で明星は笑い、まったくスマートに、そりゃモテるだろうなってくらい極自然に俺の腰をさらっと抱いた。母と祖父母は黙った。俺は息を吸い込んだ。
「こいつ、俺ん恋人なんや。今まで黙っちょてごめん、俺、女と結婚やらは、一生出来んち思う」
この時の静まり返った実家の居間の空気を俺は一生忘れないだろう。
とてもとても楽しそうに笑いながら一緒に死んだ明星の、眩しいぐらいに輝いていた瞳と共に。
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