第六話

 その翌朝の朝食はオレンジ・ポピーシード・ケーキだった。父様が余った甜橙の皮を用いて作る菓子としては他にダンディーケーキというのもあるのだが、僕はこっちの方が好きだ。プチプチしたポピーシードの食感がいい。軽くてすっきりしているので、今のような暑い季節には向いている。皇帝もいちばん上座の席で僕と同じものを食べていた。


「母様。昨日の話なのですが」

「駄目です」


 にべもなかった。


「イリス・レティクラタ・シルヴェストリス・シルヴェストリスの名において命じます。その件はもう忘れなさい」


 かなりシビアなお説教の時にしか出てこない言い回しが来た。


「俺も正直なところ、賛成する気にはなれないな」

「父様」


 父もさすがにこんなことでまで助け舟を出してはくれない。この問題については沈黙を保っている皇帝を除外すると、僕の味方と言えるのは一人だけだ。


「我はアリエルの申していることはまったき正論だと思うのですが。父上、如何でしょうか?」


 僕が冒険家になりたい、大海原に漕ぎ出したい、という夢を語るとき、それを決して笑ったりせず、ちゃんと真面目に聞いてくれる人間は昔からミカ一人だった。


「その儀、宮殿に持ち帰って検討の対象としよう。今言えることはそれだけだ」


 割と何でも即断即決の陛下にしては珍しく歯切れが悪かった。ちなみに皇帝の隣の席に座っているのはルービィ叔母様で、皇帝の首筋には僕の座ってる位置からでもそれと分かるキスマークが並んでいた。二人はまだ三十歳になったばかりくらいである。お盛んであった。


「……と、いうわけなんだけど」


 皇帝はお帰りになった。僕は自分の部屋に尻を落ち着ける。リョウカ以外の召使いは全員下がらせた。


「航海に出るのですか?」

「そうしたいけど、みんなに反対されてる。リョウカはどう思う?」


 と、言うとリョウカは何と涙を流し始めた。


「流浪の異邦の方々を、お命をかけてまで故郷へと送り届けんとするその心意気! リョウカは感激いたしました! その際は、ぜひともあたしも連れて行ってくださいませ! きっとお力になって見せますから!」

「そ、そう。でも危険だよ?」

「危険がなんですか! あたしの身命はとうにチユキ様のものでございます! どうぞご遠慮なく、火の中でも水の中でも、なんとでもお命じください!」


 別に火の中とか水の中に行ってもらう用事はない。とりあえず今は落ち着いてほしい。


「はっ。つい興奮してしまいました。これ、あたしの昔からの悪い癖でして」


 まあ、人間なくて七癖と言うからな。奴隷商人が書いたリョウカの身上書にそんなことは書かれてはいなかったが、それは別に驚くには値しないし。


 と、部屋のドアがノックされた。リョウカが応対に出る。ミカとミネオラだった。


「入ってもいいか?」

「……いいけど」


 僕は警戒する。ミカはずかずかと入ってきて、僕の隣に座った。ベッドの上である。兄妹も同然の仲とはいえ、いや兄妹同然の仲だからこそ、そういうことをされるのは本当に微妙なのだが。ミネオラとリョウカは少し離れたところで椅子に座っている。


「なんとか父君を説得する方策を考えてみようと思うのだが――」


 長い会話になる。ミカは僕の味方だ。それは本当に頼もしかった。


「で、やはり船長が必要になるわけだが。それは我に任せて欲しい。いいか?」

「いいよ」


 真面目にできる相談には限りがあるわけで、だんだん与太話になり始めた。と、ミカの片腕が僕の肩に回った。


「アリエル。航海から生きて帰れたら、その時は我の子を産んでほしい」

「ミネオラ」


 僕がそう呼ぶと、ミネオラが立ち上がり、ミカの頭を拳で殴った。リョウカは目をぱちくりさせている。


「リョウカも覚えておいて。こういうときはこいつ、殴っていいから」

「分かりました、が……あれ、その方は皇太子殿下なのでは……?」

「そうだけど、でも殴っていい。ただしこの部屋の中に限ってだけど」

「わ、分かりました」


 部屋から追い出した。というか、ミネオラが首根っこ引っ掴んで連れて行った。ミカはこういう奴なのである。で、リョウカと二人になったので、僕は呟く。


「……どうしていつもいつも、口説くなら二人きりの時にしてくれないのかな。ミハイルのバカったれ」


 リョウカが大きく目を見開いた。

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