F17.5:末路(S視点)

S、忍視点です。

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 どうしてこうなってしまったのか?

 最近、そんな自問自答ばかりしている。拘置所の時間は、取り調べの時間を除けば基本的に暇である。スマホを持ち込んであれこれすることは出来ないし、何かしら持ち込んで遊ぶことも出来ない。一人エッチはする気にもなれない。ないない尽くしだ。

 クソッ! クソッ! クソッ!

 苛立ちを誤魔化すように地面を何度か叩くが、何にもならない。冷たく硬い床は、大きな音を出すことすらない。


「ああああああああ」


 拘置所に入れられたばかりの頃を思い出し、俺は意味のない声を漏らした。

 あの時はただ荒れていた。あのキモオタのせいだ、茜や翔真が裏切った、杏里が悪いと罵りながら、ただ冷たく硬い床や壁を殴っていた。

 そんな俺を、職員は冷たい目で見ていた。罵声どころか、注意もない。嘲笑もない。何もない。その理由を、数日前に新しく入った奴の姿で俺は知った。姿は見えずとも、音だけで分かる。そいつのやること、為すこと、入れられたばかりの頃の俺と全く同じだった。要するに、俺もそいつ等と何ら変わらないということだ。クソが!

 どうしてこうなってしまったのか?

 退屈はひたすら己を自問自答へ向かわせ、現実を客観視させる。出来るかどうか分からないが、面会希望は誰も来ない。十数年勤めた会社からは、人伝に解雇通知が渡された。失望したとか、上司や同僚からのそういった罵声も何もない。無である。恐らく、もう奴等にとって俺の存在はないものなのだろう。

 逮捕された時に翔真が俺に向けた、まるで親の仇を見るような視線が忘れられない。俺が親だぞ? 俺が親だぞ? そう怒鳴り散らしたかったが。

 どうしてこうなってしまったのか?

 翔真が生まれたばかりの頃、幼稚園児くらいの頃、俺達は普通の親子であった筈だ。3人で公園に行って遊んだり、何処かへ出掛けていったり、家の中でも普通の家庭だった筈だ。

 嗚呼、その普通が退屈だったんだなぁ。俺は思い出した。

 アラサーになると、茜は次第にオバサン化してきた。崩れ始めたプロポーションに俺は次第に興奮出来なくなっていき、ベッドを共にする回数が減った。

 茜では勃たない。だが、PCやスマホでヌードを見れば、いつでもカッチカチにフル勃起した。街中で若い女を見掛けると、あちらこちらにフル勃起出来そうな女で溢れていた。

 何故、俺にはそんなフル勃起出来る女がいない? 何故、俺は勃てない茜なんかに縛られている?

 そう思った俺は、ひとまず風俗へと向かった。ピンサロ程度ではイマイチだったが、やはりソープは良かった。非常に良かった。ただ、そんなソープへ頻繁に通う軍資金など、俺にはなかった。確か、親父の遺産が結構あった筈だが。


「茜、親父の残した遺産が入った通帳が何処かにあっただろう? 何処やったか分かるか?」

「金庫です。ところでそんな大きなお金、何に使うのですか?」

「ああ? 何だっていいだろうがっ!」


 苛立った俺は茜の手を乱暴に振り払い、金庫に向かった。しかしガチャガチャといくら回しても、解錠の番号が俺には分からなかった。

 俺は後ろに立っていた茜に再び訊ねた。


「何番か分かるか?」

「分かります。ですが、そんな大きなお金を何に使うのですか?」

「ああ? うっせぇよ! 何に使おうが、俺の勝手だろうが! 俺が相続した、俺の金だぞ!」


 気が付くと、俺は茜を殴っていた。それが茜に対する初めての暴力だったと気付くのはしばらく後になってからだ。

 そんな初めての暴力だったが、受けた茜は俺に言った。


「いいえ、いいえ! お義父さんは私達に言ったじゃないですか。この残すお金は、残された家族の為に使えと。家族の将来の為に使えと!」

「う!」


 うるせえっ! と、怒鳴ることはその頃の俺にも出来なかった。死んだ親父にも問われているようだったからだ。俺の遺産を何に使うつもりだと。そこで「ソープに通う資金だ!」と声高に言えるような度胸までは持ち合わせていない。

 金の入手が上手く行かなかった俺は、自身の小遣いの範囲内でどうにかするしかなくなった。行けるソープは次第に安価なブスばかりの店となって、次第に勃たなくなった。

 出会い系を使ってみたが、上手くはいかなかった。まあ、そもそも金をかけずに若く綺麗な女とヤりたいだけな俺にとって、それはニーズに合わないものだった。ただ、それを使うことで集う野郎共と情報交換出来るようになったのは良かった。飲みばかりやっている緩いサークル情報、バカ共の集まり、それらは気軽に食うのには最高の情報だった。

 そうして俺は飲んだくれたバカな女何人かとヤって、そうしてこれからもヤっていくのだろうと思った時に、杏里と会った。

 杏里は最初、ヤった女の一人でしかなかった。酔って、ヤって、それでさようなら。酔いから覚めると、全ての女がそうだったのだが。

 杏里とはそうはならなかった。アイツが俺と会おうとしたからだ。俺の悪い雰囲気が気に入ったらしい。意味が分からなかったが、ヤれるならばそれで良かった。その頃にはもう飲みサーという名のヤリサーは問題視され、中々女が引っ掛からなくなったので、俺にも都合が良かった。

 とは言え、杏里はあくまでも遊び相手でしかなかった。だから、しばらく会えない期間があってもヤれずに不便だが、風俗でも行っておくか程度にしか思わなかったし、杏里が結婚せざるをえなくなると聞いても、何とも思わなかった。きっと、そこで別れ話をされても止めたりしなかっただろう。

 それなのに、杏里との仲は切れなかった。そして、切れなくなってからの方が楽しかった。初夜の花嫁を寝取るのは興奮したし、新郎を置き去りにした新婚旅行という名の不倫旅行も最高だった。それが終わった後、金銭不足でラブホテル代を出すのも厳しくなってきたが、杏里の家ならばタダだと思い付き、それは最高の案だと思った。

 隣室に杏里の旦那がいて、トチ狂って馬鹿騒ぎしたので、ちょっと脅してやろうと殴り込みに行ったら、そいつは想像以上のヘタレだった。

 俺も別に喧嘩は強くないが、キモオタと杏里が罵るそいつを殴っただけで、何か強くなれた気がした。そいつが隣でみっともなく泣いている隣室で、そいつの妻を寝取っているだけで支配者になれた気がした。そいつの部屋のドアを叩きまくって、脅してマウントを取るのも最高だった。最高だったのだが、それは間もなく崩れ始めた。

 不愉快なことに、近隣住民が文句をたれてきたのだ。ジジィやババァや色々なしけた顔したクソ共が文句をたれてきた。面倒だったので、暴力団と関わりがあると嘘を言ってやったら静かになった。ああ、こいつ等もキモオタと同じ、みっともなく支配される者だったか。そいつ等を嘲笑うのも良かったが。

 そういった興奮も、幾度となく身体を重ねると慣れてきて、興奮にはならなくなってきた。そうなると杏里もまたアラサーで、次第に勃ちが悪くなっていた。だから、ここらで杏里との仲も終わりだなと思っていたら、その杏里が言ったのだ。


「できたみたい。忍、貴方との子よ」

「そうか、ククハハハハ」


 それはとても笑えることだった。あのキモオタは頑張って働いて、自分とは何の繋がりもない子を育てる。搾取され続ける。その様を想像するだけで大いに笑えた。それだけで、子が生まれるくらいまでは別れずにいてやろうと思うくらいに。

 キモオタの未来、末路を想像したのか、杏里も大いに笑っていたのだが。



 そんなある日、俺達は逮捕された。



 ああだこうだと罪状を告げられ、証拠をつきつけられ、有罪とされた。あのキモオタは隣室で泣いていたのではなく、俺達を陥れる為のブツを揃えていたらしい。

 卑怯な! 男ならば拳で戦え! そう言いたかったが、俺も弱い相手にしか出来そうになかったので言えはしなかった。

 言えないまま俺は金をむしり取られ、ブタ箱へ叩き込まれ、そして今日に至った。そして、改めて思った。

 どうしてこうなってしまったのか?

 実害が少なかったので、裁判が終わって少し経ったら俺は出所となった。出所しても誰の迎えもなく、自分の家に帰ってもそこには誰もいない。閑散としていて、そして誰も住まなくなったせいでボロくなった家があるだけ。

 誰もいなくなった家のリビングには、一通の封筒が置かれていた。恐らく茜からの手紙だろう。そう思い、俺は迷わず開封した。

 それは予想通り茜からの手紙で、こう書いてあった。



 忍さんへ

 もう会うことはありませんから、少しだけ残しておこうと思います。とは言え、私達のことに興味はないと思いますので、お知らせ事項のみ記します。

 金庫に保管していたお義父さん・お義母さんの遺産につきましては、裁判の結果通り3分の2を頂きました。些か多いと思いますが、翔真の将来がありますのでご理解下さい。

 3分の1を残した通帳は金庫に戻してあります。解錠の番号は『私の誕生日』です。それは私を専業主婦とする時、茜こそが和田家の番人なのだからと言って、アナタが定めたものです。前に番号を聞かれましたが、その時にはもう私達は終わっていたのでしょう。

 これまでのアナタを考えると、あの人と一緒になることはないと思います。そうなると、アナタはこれからずっと独りとなるでしょう。少しでも健康に気を遣い、せめて少しでも長生きしてもらえればと願います。

 では、さようなら。

                                  茜



 俺はその手紙を読み終えると、ソッコー投げて金庫へ向かった。

 何はともあれ金だ、金だ、金だ! アイツの誕生日だと言うならば楽勝だ。ソッコー開けてやるぜ!

 そう思っていたのだが、1130と入れてガチャガチャ回しても開かない。何度入れても開かない。

 何だよ、茜のヤツ。嘘書いて残しやがったか。そう思って俺はムカついたのだが、その時はたと気が付いた。気が付いてしまった。11月30日は最近注目しているAV女優の誕生日であって、茜の誕生日ではないと。

 じゃあ、茜の誕生日はいつだった? 俺はそれを思い出せなかった。

 俺はそれから過去のLINEやメール、スケジュール帳などを引っ張り出して調べ、その結果10年近く前まで調べ、それでも何度か間違えてようやく金庫の解錠に成功した。尚、正解は9月25日。一つも合っていなかった。

 通帳の残高を見ると、そこにはまだ少なくない金額が残されているように見えた。だが、それを見ても俺はその金を使う気にはなれなかった。使える気がしなかった。

 俺は最低だ。誰よりも最低だ。金庫の番号はあんなに単純だったのに、あれだけ俺は苦戦した。それは、それだけ俺が家庭を省みなかった証拠だった。

 去年、茜の誕生日に何か買って、祝ってあげたか? 何もしなかったし、そもそも意識すらしなかった。

 では、一昨年は? その前は? 前の前は? 祝ってあげたのはどのくらい前なのか?

 そのどれもにイエスと言えないどころか、最後の自問に返す回答すら見付からなかった。そして、こんな俺だ。翔真の誕生日を思い出すことはもっとなかった。

 だからせめて、この俺の取り分も2人に渡してしまおうと考え、俺は自分の担当だった弁護士に連絡した。この程度で許されるものではないと分かっているけれど。








 どうしてこうなってしまったのか?

 時が過ぎても、そう思ってしまうことはよくある。親父の遺産を茜・翔真に全部渡してからも俺の後悔は続いていた。生きていく為に仕事を探し、前の会社よりもさらに安月給なブラックっぽい、いや完全にブラックな会社に俺は就職した。朝から夜遅くまで働き、それでいて初任給レベルの薄給。残業代はない。正にクソだった。

 前科がなければ、もっと正当な会社で働くことは出来ただろう。もっと真面目にやっていれば、安い弁当と安酒で暮らすこともなかっただろう。こうなってしまったのは全て俺の自業自得と分かってはいるが、それでも街中で幸せそうに笑う連中を見ると、妬む気持ちが抑えられない。

 俺が苦しんでいるのに、何故お前たちはそんなに楽しそうにしていやがる?

 俺はずっと独りだというのに、何故お前たちは仲間になって笑い合っていやがる?

 そう考えると、その直後に泣きたくなる。その楽しそうなのも、笑い合える仲間も、以前は俺の手元にあったというのに、それを捨てたのは他の誰でもなく俺自身の選択だったからだ。

どうしてこうなってしまったのか? どうしてこうなってしまったのか?

 答えの出ない自問を繰り返し、俺の中で死にたいという感情の鬱が湧き上がる。いつもの俺はそれを自宅の安アパートで安酒を呷り、ネットで拾ったエロ画像でオナニーをして誤魔化していた。新人のAV女優のサンプル画像何かは特に良い。俺のようなオッサンが若い女の子を騙し、AVに出演させて穢すといった妄想が捗り、実に興奮する。

 嗚呼、あんなことがあっても俺のイチモツは勃起するのだ。勃起してしまうのだ。ガタンゴトン、ガタンゴトン、電車の中でそんな回想をしただけでちょっと起き上がってしまう程に。


「あ」


 そんな俺の鼻を、心地良い香水の匂いがくすぐった。その方向、左側を見るとうら若き女性が立っていた。ぷっくりとした唇は美味そうで、今すぐにでも貪りたい。膨らんだ胸は柔らかそうで、今すぐにでももみくちゃにしたい。綺麗に丸い尻は、ああ、ああ、ああああっ!

 ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい!

 気が付くと俺はその女性の腰を抱き寄せ、尻に股間を押し付けていた。ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい! ヤりたい!

 そうなると、当然。


「きゃぁああああっ! 痴漢です! 痴漢です! この人、痴漢ですっ!」


 女性は騒ぎ出し、あっと言う間に俺は周囲の人によって引き剥がされ、取り押さえられ、鉄道警察へと引き渡された。

 どうしてこうなってしまったのか? どうしてこうなってしまったのか?

 警察へ連れて行かれる間もそんな自問を繰り返していたが、その一方で頭の片隅にはさっきの女性の尻の感触が焼き付いていて、俺のイチモツはまだ勃起し続けていた。


「どうしてこんなことをしたんだ?」

「理由なんてないですよ? ヤりたい。ただそれだけです」


 警察との問答で、俺はそう答えた。その頃には自分の未来、末路が想像出来ていた。

 今のブラックな会社もクビになり、さらに怪しい会社にしか行けなくなるだろう。そこもクビになったら、ホームレスしか道はないが、この俺の性格ではそこでも上手くやれないだろう。後はもう、野垂れ死んで地獄に墜ちるだけだ。

 それを分かっていてもヤりたいと願い、イチモツは勃起し続け、俺はそれに逆らえない。ただ、その中で自問自答は果てなく繰り返す。


 嗚呼、どうしてこうなってしまったのか?

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