F14:参観

 わいわいがやがや。わいわいがやがや。岸本部長夫婦に糞野郎共のクソな行動を生で見せるという誘いをして、それが実行となる金曜日の夜、僕の部屋はかつてない賑わいに包まれていた。

 こういうことをするよっていうのをLINEで報せたところ、多くの参加希望者が出たからだ。仙波先輩に奈緒美お姉さん、古田さん、中谷さん・佐伯さんと糞ビッチと松永さんというもう一人の元同じサークルの同級生だった人、茜さんと翔真君、茜さんのご両親とお兄さん、僕と茜さんを担当している弁護士の先生、って僕の部屋は6畳しかないんですけど? 尚、まーちゃんは仙波家のお爺ちゃんお婆ちゃんの所に行っているらしい、と情報を補完しつつ。

 全員が部屋に入ることは出来ないので、一部の人を残して他の人達はちょっと離れた場所で待機してもらうこととなった。監視カメラ画像が飛べばいいのだけれど、そこまでWifiは強くないので『最低最悪を討つ会』によるLINE中継である。

 部屋に残ったのは岸本部長夫妻と茜さんとそのお兄さん、仙波先輩と古田さん(中継係)で、ファミレスで夕食を取った後、2班に別れての行動とした。その2班に別れる前のファミレスでの食事の際、皆で入店した時に店員が見せたドン引きな表情はしばらく笑い話になりそうだった。何名様……ですか? 15人です(ドヤ顔)。……少々お待ち下さいませ。気持ちは分かる。と、ああ閑話休題。

 家に帰った僕は、現地班の前で堂々と監視カメラを設置していった。リビング、糞ビッチの部屋、やることは変わらない。もっとも、そんなことせずとも音声なんか丸分かりではあるが、念の為だ。


「こう設置していたのか。分からないものなのかな?」

「あるかもしれない。そう考えないと難しいんじゃない?」


 岸本部長夫妻がそんな会話をしていた。ああ、言うまでもなくカモフラージュはしますよ? リビングでは目が届きにくい場所で、さらに家具を隠れ蓑にして。糞ビッチの部屋では本棚に置き、その前には僕謹製な本の背表紙に擬態した隠れ蓑を設置。カメラ用の穴はあるが、それこそ意識して本棚近くに行かないと分からないだろう。ましてや、設置していたのは週末の夜だけなので、尚のこと。


「こりゃ分からんわ。此処までしてたのか」

「最初は何もせずとも撮れっちゃったんですが、念の為ですね」


 仙波先輩の感嘆と言うよりはちょっと呆れ気味の声に、僕はそう答えた。

 それから僕以外の靴を回収し、僕の部屋へ安置。それで準備万端だ。アレの到来を待つのみ。








 午後7時、奴等が来るとしたら2〜3時間後くらいだろう。それまでの待ち時間、僕達は各々静かにするという範囲内で自由に過ごした。

 岸本部長は僕のタブレットで、イヤホンをしながらアレの証拠映像を観ていた。あの糞ビッチの交尾と言うか、娘のソレなんか観るもんじゃないと思うが、改めて現実を客観視しようと思ったのだろう。険しい顔で眉間に皺をこれ以上ないって程に寄せていた。

 岸本部長の奥さんはその様を横目で見つつ、大きく長い溜め息をついた。それから僕に話し掛けてきた。


「ごめんなさい、政樹さん。知らなかったとは言え、あんな娘を貴方に押し付けてしまって」

「いえ、気付けなかったのは僕も同じですから」


 糞ビッチと見合いをして、結婚すると決めたのは僕だ。岸本部長夫妻ではない。そして、糞ビッチを糞ビッチであると見抜けなかったのは、僕の落ち度。それを考えると、岸本部長夫妻を責める言葉を僕は持てずにいた。

 もっとも、糞ビッチ本人は別だが。


「こうなってしまって、こんな娘になってしまって、私はずっと後悔しているの。今までの何がいけなかったのか。親として何が間違っていたのかって。政樹さんも後悔しているでしょう?」

「後悔? それはちょっと分からないですね」

「え?」

「結婚生活はもう、親御さんの前で言ってしまうのもなんですが、そりゃあ酷いものでした。そもそも結婚したのかと、ハテナマークを付けたくなる程に。でも、それによって手に入れられたものや、気付けたこともありましたので」


 糞ビッチと結婚してしまった。それは僕のこれまでの人生で一番の過ちであるが、その過ちがあったからこそ今があるのもまた事実だった。今までの僕だったならば、僕はずっと独りだと思っていたし、人から助けてもらえるなんて思ってもいなかった。

 大きな失敗はあったが、それでも前に進むことは出来た。より良い自分にはなれたような気もした。その点では良かった筈だ。


「後悔だけじゃないなら、何か得るものがあったならば良かったわ。何もなく、政樹さんは傷を負っただけ、失っただけでは、親としてあまりも申し訳なさ過ぎて何も言えなくなってしまうもの」


 そんな話を奥さんとした。








「渡辺。俺はな、お前が結婚するって言った時、とても嬉しかったんだ。お前も結婚すれば、もしかしたら家族ぐるみで付き合ったりも出来るんじゃないかって思ってな。一緒にキャンプする妄想までしてしまったくらいだ」

「そう、ですか」


 突然、仙波先輩が僕にそう言ったが、僕はその言葉にちょっと首を傾げた。結構なアウトドア派の仙波先輩と違って、ド級のインドア派な僕とキャンプ自体が結びつかないからだ。仮に糞ビッチが結婚前の『偽り』のままであっても、アレもまたアウトドア派ではないだろうから、キャンプとは結びつかないだろう。

 現実味のない話だ。だが、最近山梨県のJKがキャンプするアニメを観たので、そんな未来があってもいいような気もしていた。だから、僕はこう言った。


「キャンプくらい、いつかやればいいじゃないですか。もっとも、やるとしたら僕はこれから道具を揃えないといけないですけど」

「あ、ああ。そうだな。これからがあるもんな」


 仙波先輩はそう言って笑い。


「じゃあ、私も付き合いますよ。その時は絶対誘ってくださいね」


 古田さんもまた、微笑みながらそう言って、手をあげていた。








「渡辺さん、今日はありがとうございます」

「?」


 茜さんは突然、そうお礼を言ってきた。何のことだろう? 僕はそう思って首を傾げた。特にお礼を言われるようなことをした覚えがなかったからだ。『最低最悪を討つ会』のLINEで今日のことを上げて、茜さんはそれに参加すると言っただけだ。


「ああ、今までの一連のことです。貴女に紹介してもらったから弁護士の先生とお話も出来、前に進むことが出来ました。グループに参加させてもらえたから、独りじゃないって思えて、あの人と戦おうって思えたんです。私だけじゃきっと、震えているだけでしょうから」

「俺からも例を言わせてくれ。渡辺君、君が妹の力になってくれたから、妹がきちんと立ち上がる意志を見せてくれた。ありがとう、ありがとう」

「いえ。いいえ」


 茜さんに続いて、お兄さんもお礼を言ってきた。僕のお陰だなんて言ってくれている。そうじゃない。そうじゃない。

僕は首を横に振って否定した。そんなお礼を言われるようなものではないと。


「僕はただ、茜さんが此処へ来たから、話をしたいとやって来たから、それに応じて話をして、そして選択肢を提示しただけです。僕が僕の力で助けたことなんて何もないです。それどころか、茜さんが此処へ来るまで僕は茜さんのような人がいるって考えもしませんでしたから」


 糞ビッチは僕と結婚する前から、既婚者の人と不倫をしていた。そう分かっていながら、僕は茜さんに会うその日まで糞ビッチの相手の配偶者についてあれこれ考えることはなかった。なかったのだ。

 僕ならばきっと糞野郎、和田の家に行こうとは思えなかっただろう。酷い目に遭うことは目に見えているからだ。それを考えると、此処に来ただけでも凄い勇気だ。僕がそう付け加えると、茜さんは苦笑いを浮かべた。


「あれは、ほぼ勢いだけでした。話がありますと言ったにも関わらず、いざ話をして見ればろくに話すことも出来なかった。ただ、このままでは翔真の為にならないと思い、その想いのままに調べ、その想いのままに足を踏み出した。それだけでしたから」

「それでも、それでもです。僕は愚図で、中々前へは進めずにいましたから」


 新婚初夜から虚仮にされ、馬鹿にされ続けていたというのに、それを断ち切る意志を持つまでに時間をかけてしまった。道を変える意志を持つまでに時間を要してしまった。それだけ愚図で、ダメな男だったと僕は自分を思っていた。

 しかしながら、そんな僕に対して茜さんは笑った。お兄さんも笑った。


「渡辺君、君が愚図だと言うならば、茜なんかそれはそれは酷いものじゃないか。茜はどれだけ酷い状況下でただ耐えてきたと言うのか。俺達家族がいると言うのに、相談もせず愚直に耐え続けていたのか。それこそ愚図で、愚か以外の何物でもない。我が妹ながらね」

「返す言葉が、ないのね。でも、これって私のことだけじゃないから、翔真のこともかかっているから、翔真にとって何が最善なのかを考え、翔真と話をして、そして立ち上がれた。歩き出せた。そして、その先に貴方がいました。だから、やっぱりありがとうございます、なんですよ。渡辺さん」


 茜さんはそう言って微笑んだ。その微笑みは、何処か吹っ切れたのか初めて会った時と比べてスッキリと、軽快なものになっていた。

 茜さんは今ではパートをしたりして、少しずつ働く準備をしているらしい。シングルマザーになるのは大きな負担になるが、それでもアレと結婚生活を続けるよりはずっとマシなのは間違いない。だからこそ、茜さんも前に進むのだそうだ。

 そんな話を茜さんとした。








「古田さん、ありがとう」

「?」


 古田さんには僕からお礼を言いに行った。だが、古田さんは「何のことだろう?」とでも言いたげな感じで首を傾げた。特にお礼を言われる覚えがないとでも言いそうだ。

 このリアクション、非常に覚えのあるものだったのだが、僕は気にしないでおくことにした。その上で続けた。


「今までのことだよ。中谷さんを紹介してもらったり、LINEグループを取りまとめてもらったり、今日のこともそうだ。古田さんがいなければ人を集めることはロクに出来なかったと思うし、此処までやれなかったと思うよ」

「いえいえ、そんなことないですよ。大したことしてないです。ちょーっとお手伝いしただけじゃないですか」


 そんなことない。そう言うけれど、そんなことあるのだ。日々仕事に疲れて家へ帰ってくると、なるべく必要最低限以上のことはしたくない。さっさと休んでおきたい。故に、プラスアルファの離婚に向けて腰を上げるのは、非常にしんどいものとなる。その為に僕は愚図愚図してしまったのだろうが、そこで古田さんの助けは非常にパワーとなってくれた。

 止まってはいられないなと。


「だからこそ、ありがとうなんだよ」

「そうですか。じゃ、今度ご飯奢って下さいね」


 古田さんはそう言って笑った。


「了解」


 僕もそう言ってOKサインをした。

 それからは何の他愛もない世間話をしていた。古田さんと、仙波先輩と、茜さんやそのお兄さんと、岸本部長夫妻とはお互い話しづらくてよくは出来なかったが、そんなことをして過ごしていたら2~3時間はすぐに過ぎ去っていった。

 そうして、午後10時ちょっと前。


「帰ってきたようだな」


 トイレから戻って来た岸本部長が、険しい顔をしてそう言った。その表情で、そこにいる皆が悟った。あの相手も一緒にいるのだと。

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