第2話 発端


『…なん・だ!』

それは二年と少し前、高校受験を目前にした正月のある夜中のことだった。

誠は、親に隠れてネットゲームをしていたのだが、不意に臨時ニュースに流れるチャイムが鳴り出した。音源は目の前にあるパソコンではなく、自分の頭の中。

『えっ』

事態を考える間もなく、やはり頭の中心で男の低い声が朗々と響いた。

『こちらは特殊電波研究所。この声が聞こえている君。まずはゆっくりと呼吸をしたまえ』

最初は、自分の頭がおかしくなったのかと思った。はたしてこれは、孤独という地獄で生まれた幻聴なのではないかと。

それまで聞こえてきた声は、音源こそは頭の中心で同じだったが、ドロドロの感情が剥き出しだった。ところが、その声は明らかに聞き手を意識して話しかけ、ニュースキャスターのように落ち着いていたのだ。


『繰り返す。こちらは特殊電波研究所。この声が聞こえている君は病気ではない。君には特別な能力があるのだ。もし自分の幻聴を疑っているならば、テレビまたはネット回線に接続されたメディアの電源を入れよ。これより三分後に花火の映像を流す』


声に従う従わない以前に、すでにネット回線に繋がっているのだと、誠はそのままゲームを続けていた。すると不意にパソコン画面がざらざらと乱れ、背後に打ち上げ花火が映し出された。


『疑念は消えたはず。君には特別な能力があるのだ』

妙な声がまた響いた。

『この声を聞いた事は、誰にも話してはならない。よろしいか。それでは、これよりこちらの電話番号と電話の際に尋ねる七桁の数字を伝える。48時間以内に当研究所に電話をかけてくれたまえ。電話番号は・・君たちからの連絡を待っている』


声はその後、十五分の間を開けて四回繰り返された。その度にごく短い時間、パソコン画面に花火の映像が流れた。

ゲームをやめて、TVチューナーに切り換えても同じだった。あるお笑い番組では、司会者が全国的に深刻な電波ジャックが行われていることを伝えていた。


『君たちからの連絡を待っている』

最後の部分で声はそう言った。誠の心にそこが引っかかった。

『自分と同じ能力をもった人が他にもいるということか』

誠は半信半疑ながら、もしや、これこそ自分が求めていた出会いに繋がるのではと、スマートフォンのナンバーをタッチした。


「はい、こちら特殊電波研究所です。最初に七桁の数字を入力して下さい・・」

出たのは味気ない自動録音の合成音声だった。七桁の数字を尋ねてきたところから、相手先に間違いはない。誠はメモしておいた数字を入力した。

「たしかに承りました。次にあなたの電話番号を市外局番から入力して下さい。携帯電話の番号でも結構です」

誠は自分のスマートフォンの電話番号を入力した。

「お疲れさまでした。以上で電話での作業は終わりです。後日、担当係員からアンケートを取らせて頂きますのでご協力下さい。ありがとうございました」

電話はあっけなく終わった。

誠は小さく開きかけていた希望の扉がピシャリと閉じた気がした。


その三日後、黒い背広を着た男が、夜遅く家を訪ねてきた。

その男は、防衛省の役人と名のり、国防についての中学生の意識調査をしていると言った。身分証明書を見せ、玄関で応対した誠の母は信用した。

誠は客間に通された男と対面した。いかつい顔つきの一方で、その人は、書類を片手に愛想よく様々な項目を質問してきた。

『怪しい!』

当然、そう思った。先日、特殊電波研究所と名のり、電波を不法にジャックした者と関係があるにちがいない。確かに担当係員がアンケートを取るとは言っていたが、何故、それが防衛省の役人なのだ・・。


誠は、この時ばかりは自分の特殊な能力を喜んだ。さっそく、目の前の人の心をのぞいた。

(個別に家庭訪問して意識調査をするなんて・・もっと合理的な方法があるだろう、学校に書類を送るとか・・)男は思っていた。

「あのう、特殊電波研究所って知ってますか」

誠は聞いた。

(おっ、その質問。マニュアル通りだ。その質問にはこの答え・・と)

「あ、はい、忘れていました。こちらへは特殊電波研究所の紹介で来たのです」

男はにんまりと答えた。そしてわずかに

(けど、そんな研究所など、うちの省にあったか・・)という疑問を抱いた。

男の言葉と心に嘘はなかった。上層部の命令に対する疑問こそあれ、これが職務なのだという忠実な思考が幅をきかせていた。

特殊電波研究所は確かに存在するのだ。国の機関でありながら、防衛省の下部職員であるこの男では知る所のないレベルに。自宅の住所は電話番号からすぐに知れたに違いない。

誠はとりあえず安心してアンケートに答えていった。


そして二日後、ある高校への入学案内が、先日訪問した役人によって届けられた。

「先日の意識調査への息子さんの回答が、あまりにも優秀だったので、ぜひにも入学をお勧めしたいのです。もちろん無試験で」

(しかし、解らぬ。何故、あれぐらいの調査で超エリート校へのパスがもらえるのか。うちの子だったら、もっとましな回答をしただろうに)」

役人は言葉で語り、心で思った。


入学案内の表紙には『防衛大学附属高等学校』と記載されていた。聞いたこともない高校の名前だったが、改めて身分証明書を提示した役人の表情に嘘はない。

母は首を傾げながらも中身を読み、そして数分後には、両手もろてをあげて喜んでいた。

全寮制で、家から通うことはできないが、授業料、生活費ともに国から支給され、全国トップクラスの偏差値の防衛大学への進学に加え、防衛省または警察庁の上層部に就職が保証されていたのである。

一方、仕事から帰宅した父は疑った。

確かに、学校内で実施されるテストでは、ほとんど満点に近い点をとっているが、全国共通の業者テストでは、全く平凡な点しかとれない息子に、そんな声がかかるはずがなかったのだ。

父は防衛省の代表回線に電話して、役人の名前と、そんな推薦をされていることについて確認した。担当部署への取り次ぎに時間はかかったが、疑いは晴れた。おまけにスマートフォンに防衛大臣からの動画メールも入り、夫婦そろっての感嘆のため息がしばし続いた。


そして誠は、東京のはずれ、陸上自衛隊・八王子支部の敷地内にあるこの学校に入学したのだ。名目上は、防衛大学の国際実務科という一般には公表されていない学科への早期教育施設である附属高校に。

実際は、エクストラ・センシティブ能力(英語の頭文字をとって、ES能力)、すなわち、人の体から放出されている生体波動と思考を読み、自分の思考波を他人の心に送る能力をもった若者たちが、その能力の強化に励む「ES能力特殊訓練校」だったのだが。

勿論、そのことは家族には知らされない。名目上の学籍を信じさせられたままなのである。

この学校を卒業すると、学籍だけは防衛大学において、防衛省を中心とする政府の秘密機関で任務につくことになっていた。


後で明かされた事だが、家を訪問した役人は、普通の人だったそうである。ただ、その時、家の外で能力をもった人が、誠や家族の心の中をレントゲン写真のように探っていたのだ。

果たして、彼がこの特殊な学校に入学する資質があるかどうか。政府に対して悪意を抱く者でないかをじっくりと見極めていたのである。

特殊電波研究所という機関は実際には存在しなかった。防衛省の役人の訪問に疑問を感じた能力者が、心を探りながら質問して、かえって信用してしまう。そのための方略だったのだ。


入学直前に、寮に一泊してのオリエンテーションが個別に行われた。

誠は教官に尋ねた。

「もし、この学校に入学する意志がなかったら。あるいは内情を知って入学を辞退したら」と。

教官は眉一つ動かさずに答えた。

「君のES能力を使えなくされるまでさ」

政府の上層機関には、この能力をもった者が十人あまり配属されているそうである。

もし、素直に入学しなかったり、途中で退学したり、誠の資質が政府が求めているものに合わなかったことが判明した場合、選りすぐりの能力をもった数人が、強い思考波を送り、特殊能力を司る脳神経回路に鍵をかけてしまうという。おまけに学校に関する極秘情報の記憶を消してしまうのだ。

全く横暴としか言いようがないが、そうすることによって国の秩序が維持できるそうなのである。そうなったら、それまで自分を苦しめてきた能力ともおさらば。考え方によっては、その方が幸せなのかもしれないが。


誠はさらに尋ねた。

「どうやって中学三年という年齢層にだけ、思考波を流すことができたのか」と。

これには十分に頷ける回答があった。

「人の脳の深部にある大脳辺縁系では、一年ごとに木の年輪のような知覚の処理層が形成される。よって、十五番目の層が形成中の人間に共振するような思考波を放射すればよいこと」なのである。

ただしこの不特定多数の、しかもある年齢層だけに放射する、正式名・エイジ・ポイント思考波を流すには、特殊高周波フィルターのついた思考波拡張装置が必要となる。そのかなり大がかりな機械は、防衛省本部の庁舎の奥深くに置かれているという…。

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