幕間 白い砂漠

 


 ここは......どこ?


 一人ベッドの上で目を覚ました彼女は、どことも知れない、小屋の中にいた。自身の姿を見下ろし、異変に気づく。どうやらおかしい。彼女は昨夜、同僚と共に食事に出かけ、自身に与えられた個室に帰った後寝巻きに着替えたはず。なぜ彼女は、タマガキの制服を身につけ、あの人に貰った、短刀を腰に差しているのだろう。


(なんだろう......どこか、懐かしい感じがする)


 一刻も早く状況を確認しようと、彼女は戸を開け飛び出した。





 扉を開けた先は、白い砂漠。


 何もない、澱んだ白亜の大地と、月明かりのない夜空が、広がっていた。


 でこぼことし噴火口のような見た目をした地形が、かろうじて景色に色を持たせている。






 彼女は彷徨うように、砂漠を歩く。誰もいない。見つからない。寒いよ。そう思って、彼女が二の腕を両手で摩った。


 砂塵と共に一陣の風が吹いて、制服の上着を煽った。それと同時に、彼女が着ていた上着は砂塵と化し大気に溶け消え、代わりに、彼女が昔着ていた━━━━今は着ていない、彼女が殺戮し引きちぎった、魔獣の皮でできたレザージャケットが体を包む。


(............進もう)


 彼女が無意識の内に、乱暴に両脇のポケットへ手を突っ込んだ。

 意志ある月白の瞳は、丘の先を見ている。






 足をもつれさせながらも、ついに彼女は、砂漠を進む一団に出会う。


 砂漠の中を迷うことなく進み続ける人々の群れ。彼女と真逆の方向を進む彼らは、彼女の後方を見据えていた。


 彼らは皆、まるで愉快な劇団のように、バラバラの服装、装備を着用している。しかし、先頭を進む最も目立った集団は、胸元に皆、同じ徽章を誇らしげに付けていた。


(もし、かして)


 朧げながらも、彼女は彼らに見覚えがあった。彼らが砂漠の中を進むものとは思えない速度で、彼女に近づいていく。彼らが目の前に来て、彼女は一群に呑み込まれた。囲まれている。


「あのッ━━!」


 しかし彼らは彼女に一瞥もくれず、ただただ彼女の後方を目指して、進んでいってしまう。誰も、彼女を見てくれない。辺りを必死に見回して、伺うように彼らの顔を見る。槍を持った男。戦鎚を手にした女。長弓を手にした恰幅の良い人。何人も何人も見て繰り返して、その中に、彼女が絶対に忘れられない、そんな人の姿を見つけてしまった。


「......ママ?」


 鳥肌が立つ。彼女は先ほどまで自分を見てくれる人を探していたのに、美しく、素朴な雰囲気をした彼女が見ていないことに、ひどく安心していた。覚えていないのだろう、なんて考えて。


 皆が、彼女を無視して通り過ぎる。彼女の後ろの方へ。後ろの方へ。そうやって、呆然として待っていたら、彼らは行ってしまった。もう足音は聞こえない。


 彼女は後方を顧みる。集団が目指す先は、彼女が最初に越えた丘。そこの頂上に、彼女と同じように、大太刀を武器とした誰かが、立っていた。


 彼女は瞠目する。


「待って......!」


 届かなくても、手を伸ばす。彼女はその瞬間に、自らが見ているものが夢だと気づいた。








 本当の意味で、彼女が目を醒ます。自身が夢を見ていたことには気づいているが、その内容はもう、ほとんど覚えていない。カゼフキ砦の兵員を覚ます、ラッパと鐘の音が鳴っていた。


 ここは、彼女のためだけに用意された個室。長らくカゼフキ砦に指揮官として滞在していた彼女は、玄一とは別の、大きな部屋を手配されていた。数ヶ月も経てば馴染むのか、彼女の私物の本が何冊か、収納されている。


 立ち上がり、なんとなく何故か、鏡で自分の姿見を確認した彼女が、いつもの制服に着替える。


 今日の彼女の仕事は、彼女が率いることになる部隊とのミーティング、それとその訓練だ。しかしそれはもう少し時間が経った後に行われるので、とりあえず朝食を取りに行こうと、彼女が玄関で軍靴を履く。爪先をトントンと地面に当てて、履き慣れたそれを整えた。


 その時、コンコンと扉をノックする音がした。ちょうど玄関に立つ彼女が誰だろうと疑問に思いながらも、戸を開ける。


「あっ、御月さん! 朝早くから御免なさい!」


「おはよう。雛田ひなた。今日はどうしたんだ?」


 御月の部屋にやってきたのは、タマガキの隊員の装備を身に包んだ、雛田という年若い女性隊員だった。明朗な彼女は、御月と同い年のタマガキの兵員である。昔御月が彼女の所属する隊の指揮を取ってから、同年代が少ない軍組織において、すぐに打ち解け合い、御月の数少ない友人の一人となっていた。もちろん防人とただの兵員という差、上下関係はあったが、二人とも上手くやっている。


「折角だし、上がってくれ」


 出かける準備をしていた御月だったが、友人の登場に、朝食は後で取ることにした。申し訳なさそうにしつつも何か話したいことでもあったのか、雛田が御月の部屋へ上がり込んだ。








「わざわざごめんね。御月さん」


「いや、大丈夫だ。それに、何か荷物を持っていたから......」


「あ、そうそう! これ、結構前に頼まれてたやつ!」


 両腕を真っ直ぐに出して、首を傾け微笑みながら、雛田が御月へ紙袋を差し出す。その純真無垢な笑顔は、人たらしの才能を持っていた。


「本当にありがとう。そして、悪いな。よく分からない頼みをして......」


「ううん! いいのいいの買いに行くぐらい! 御月さん、有名人だしね! 色々大変だろうし」


 雛田に渡された紙袋を、御月が受け取る。がさ、と中を確認した御月が、少しだけ嬉しそうな顔をしていた。


「私も読んだんだけど、すっごく良かったよ! 出てくる男の子がさ、すっごくカッコよく主人公の女の子を助けてくれるんだ! 良いなぁ私もこんなことがあったらなー」


 きゃっきゃきゃっきゃと年相応に騒ぐ雛田を、御月は微笑みながら見ている。御月がお茶を入れようと、急須を取りに立ち上がった。





 本を戸棚にしまう御月を見ながら、座卓の前に座る雛田が話し続ける。湯呑みに注いだお茶が温くなるぐらいに、雛田は夢中になっていた。


「そうそう、それでさ! 特務隊の人が言ってたよ! あの新しい防人の人! わざわざ魔獣から守ってくれて、優しい、カッコいいなって!」


「......玄一のことか?」


「あ、そうそう新免さん! なんか可愛いって皆んな話してたよ!」


「はは、格好いいはともかく、本人がそれを聞いたら微妙な顔をしそうだな」


 よく分からない表情をして、可愛い......?と反応する玄一の姿が容易に想像できた御月が、クスクスと笑った。


 魔獣と防人の戦いの中で、兵員が防人の支援をすることはあっても、その逆は珍しい。そもそもそんな余裕がないという場合と、何故魔獣と戦っているのに、態々不利を背負ってまで守らなければいけないのか、という考えが一部の防人にはあるからだ。しかし結果として、防人が全力で魔獣の相手をするのが最も被害を減少させられるので、責めることもできない。


「それに防人って、高給取りじゃない? 玉の輿狙ってる人とかもいたらしいんだけど......」


「......いた?」


 全く聞いたこともなかった新事実に、御月が驚愕する。それと同時に、何故過去形なんだろうと彼女は疑問に思った。


 彼女は軍組織の中で滅多にいない若年層であるとともに、防人、ましてや西部最強である。周りが気遣って、そのような話題に参加したり、聞くことも無かったようだ。



「あの......秋月様がいらっしゃるじゃない。今まで男の人と話すことはあっても、あそこまで絡むことは無かったから。みんなとうとうその時が来たんだって、勝手にあれこれ話してるみたい」


「それで絶対に敵わないってなっちゃって、皆んな傍観してる」


 ふうと湯呑みを取り、雛田が一息ついた。


「......へぇ」


「ほら、カゼフキに着任した時さ、空から降ってきたじゃん。二人で一本のマフラーぐるぐるーってしてさ。しかもあれ、秋月様の手作りらしいよ」


「............本当に?」


「うん。これは秘密ね!」


 御月は考える。アイリーンやこの前までの自身の見立てであれば、確かに仲はいいが、”そういう雰囲気“ではない、と考えていた。しかしながら。


 (昨日のあれ......本当に驚いたな)


 彼女が思い返しているのは、解散直前の頃。酒に酔った秋月が、玄一に取り掛かって楽しげにしていた時だ。あれは確かに酔っているように見えたけど、ずっと前に言われた、私よりも秋月の方が酒に強い、というアイリーンの言葉が、引っかかっていたのである。


 止めなくては、という気持ちも込めて、なんとなく口にしてみたら。


 (......真顔だった。酔ったふりをしていたのかな。あれ......)


 彼女は本当にできた人だ。公平であり、人付き合いは上手く、上官からも同僚からも部下からも慕われている。それでも彼女は。


 (四立名家でも最も歴史の深い......白露家。令嬢ということか)


 悪寒すら感じるその血脈の力強さ、一面を、昨夜の彼女から御月は垣間見た気がした。あれは何かを、欲している。


「ね、御月さん! 御月さんはどうなの?」


「うん? ああごめん。なに?」


「いや、新免さんのことどう思ってるのかなって。正直、秋月様とか御月さんもそうだけど、あまり......良い人がいないじゃない。釣り合うぐらいの」


「......ああ」


「だからちょっと気にしてたとこあるのかなって思ってえ、気になってたんだけど。どうなの?」


 猫のマークがついた湯呑みを手にした御月が、お茶を啜る。


「のーこめんと」


「それ、答え言ってるようなものじゃない?」


 不器用な御月の姿に、雛田が苦笑いをした。


 湯呑みを座卓に置いた御月が、人心地つく。これから、カゼフキ砦とカイト砦から主力を展開し、一気に攻勢を強め、雪砦の包囲、攻城を開始する。こちらの動きを相手も察知して、西からさらに魔獣や魔物が進撃してくることが予想された。確か今日、増強の部隊を引き連れて、秋月と玄一は西の前線基地へ向かうはず。


 間違いなく、激しい戦いになるだろう。空想級魔獣によって強化された砦型のダンジョンなど、戦力が敵の三倍あって落とせるかどうか。しかしここは西部。兵員は精鋭揃いであり、士気も高く、装備も潤沢だ。タマガキの防人も全員出撃しているし、勝機はある。


 御月が目の前の友人の姿を見つめる。彼女の隊の位置は先鋒、破城槌と化す特務隊とは遠いものの、交戦予測区域の中に位置している。


 深く考え込む御月の雰囲気を察したのか、雛田は黙りこくって、真剣そうな顔をしていた。


「雛田。これからまた、戦いが始まる。武運を」


「うん。御月さん。また、おしゃべりしようね?」


 雛田がはにかんだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る