第六十九話 魑魅魍魎
再び空に浮かぶようにして舞い上がり、揺らめく。西の空に燦々と輝く太陽が、シラアシゲを照らしていた。その大空から日が沈み月が現れ、再び日が昇り月が陰る。
あの日々から、運命の日へ。
夢の中のようなこの世界で、凝縮した記憶が走馬灯のように頭蓋を駆け巡った。思い出そうとしても思い出せない、とりとめない記憶。だけどその中で、毎日同じように、伊織と模擬戦をして家族や皐月たちと過ごした日々だけは、心に残っていた。
世界が切り替わる。
母さんと話したあの日から、数日後。早朝。伊織との模擬戦の最中に鐘の音を聞いた俺が、正門の方へ駆け出した。それを見た伊織がため息を吐いた後、同じく走り出す。今から向かうそこに待っているものが、普段と違うものであることも知らずに。
「相棒......あれって」
そこにあったのは、魔獣の死体でもない。集結する、シラアシゲの防人でもない。
人間の、物言わぬ死体だった。
衛生兵を呼ぶ怒号が早朝の静寂を切り裂き、血に塗れた誰かが担架で運ばれていく。立ち上がり、五体無事であったものはただ一人のみ。その場で死亡が確認され、顔に白布を被せられたものもいた。
それを俺と伊織は、呆然としながら眺めている。このような逼迫した状況だからだろうか、いつものように彼らを追い返す門番の姿も見えない。
その時、誰かが塀を飛び越えやってきた。
彼女が着地すると同時に、どしんと、大きな音が鳴る。
その女性は右手に燻んだ鈍い灰色の刀を手にしていて、その横髪が陽に当てられて輝いていた。その白髪には、返り血だろうか、赤い斑点が付いている。
桃色の瞳が、片腕を抑えている、唯一無事なものに声をかけた。
「
「安心して。
彼女の安心させるような低い声が、篤という名の防人を落ち着かせようとしていた。マキナが駆け寄り、彼の体を支えるようにする。ひどく咳をした彼が、血を吐いた。傷が深い。
「指示通り、隠密偵察を試みたのですが......マキナ。とんでもない数の魔獣がいる。その中に敏感な奴が数体いて、バレた。と、とんでもない規模だ」
「まるで━━━━」
マキナが一度瞼を閉じた。その後、彼に代わってゆっくりと言い放つ。
「西部魔獣大侵攻、か」
「そうです。隊の半数を失いました。奴らの瞳がこちらをじっと見て、その牙が......う、うわぁあああああああああああああああああああああああ!!!!」
「落ち着いて。篤。深呼吸よ」
痛む片腕を忘れ、篤と呼ばれる男が胸に手をやり、何かを押さえつけようとする。ぶつぶつと、小さな声で何かを呟いていた。
「マキナ。私とて防人です。しかしあんな量は、あんな悪意は、見たことがない。
彼はみっともないくらいに震え、明らかに怯えていた。しかし、今なら分かる。当時頼りなく見えた、その男の強さを。
彼とて、シラアシゲの防人。精鋭中の精鋭であるはずの男が恐れ、恐怖に震える心を、必死に押さえつけようとしていた。
そんな彼を宥めようと、時の氏神が、唐突に彼の肩を掴む。
「大丈夫。
驕りたぶったようなその宣言は、圧倒的自信、実力から繰り出される紛れもない事実。それは、彼の恐怖を癒す特効薬だった。
彼の震えが、ピタッと止まる。
「一度治療を受けなさい。その後、改めて剣聖や郷長も交えて報告を聞く。頼んだよ。篤」
「了解......」
そうして会話を終えた時の氏神が、砂塵のみを残しその場から消えた。そんな中俺は、一度たりとも遭遇したことのないこの事態を前にして、状況を飲み込めていない。隣に立っている伊織は、苦虫を噛み潰すような顔をして、どこかを見ていた。
「玄一。今日は帰ろう」
「伊織......」
彼が、苛立ちを込め石ころを蹴飛ばした。
ここから、始まる。
「総員、集まったな」
タマガキの郷本部にあるものと同じような、シラアシゲの拠点のロビー。そこには完全武装した防人が集結しており、その中心にはシラアシゲの郷長と、剣聖、そして時の氏神がいた。
ここにいるシラアシゲの精鋭たちは、大侵攻以降最強の名を欲しいままにした最優の防人たち。例えいかなる空想級魔獣が現れようとも、簡単に撃破出来てしまうほどの戦力だろう。
本来なら俺は、この話を知り得ない。しかしながら、当時彼らがこのことを語って聞かせてくれたのを覚えている。だから見えた。もうこのことを知っている人物は、行方不明の彼らと俺を除いて、この世に亡いだろう。
「
「無論」
そう頷いた剣城と呼ばれる男は、シラアシゲの郷長である。刀を腰に佩く彼は、そのまま続けて、口を開いた。
「報告が確かなら、間違いなく第二の西部魔獣大侵攻と見て間違いない。前回は最強の先鋒と一個師団に匹敵する男、そして最優の守り手がいたわけだが......今回はその三人がいない。行けるか。剣聖、
重苦しい、振り払うことのできない質量を伴った空気がその場を覆う。実力者である彼らは、理解している。あの規模の敵を退けるのには、今いる兵員では不可能だということを。
絶望的な差。圧倒的物量。それを覆す圧倒的質は、剣聖と時の氏神の二名のみ。
このシラアシゲの防人集団であろうとも、大侵攻に太刀打ちするとあれば戦力が足りないと言わざるを得なかった。
各々から献策が行われる。その殆どが時間を稼ぎ西部の主力を糾合させ、敵と相対するというものだった。しかしながら、時間を稼ぐのに必要な時間すら足りない。
郷長の剣城が、頼るようにして時の氏神の方を見た。
「一点突破」
彼女が、鋭い目つきのまま、提案する。
「まず第一に、西の民を守らねばならない。彼らが安全に避難できるよう援護する戦力は最低限必要だけど、他の兵員及び防人を含んだ精鋭部隊を惜しみなく投入して、敵の首魁を取りに行くしか勝機はないわ。この規模の群れを統率できるということは、前と同じように強力な個体がいるはず」
その強引にも見える提案を前に、剣城が苦言を呈した。
「......それは敵も理解しているはずだ。前は
「私と彼で行く」
その場を静寂が包んだ。皆、今なお躊躇っている。しかし分かっているのだ。それしか道が無いことなど。
既に各郷に伝令を飛ばしてはいるが、彼らが到着する頃にはきっと魔獣の群れがシラアシゲを包んでいる。
この死戦を、シラアシゲは生き残ることは出来るのだろうか。しかし、ここにいるのは全てを超越した最強の両雄。彼らなら本当に可能かもしれないという希望の輝石が、泥沼の中から見出された。
しかしまだ一手、彼らを説得するには足りない。そんな中。
「人を救うのは我らが役目」
「私たちは防人。相違ないか」
沈黙を貫いていた剣聖の声が、白亜の霊力と共に響き渡った。
人を救うためなら、例え勝機が砂粒のように小さくとも抗い続けてきた男の言葉に、その場にいる全員が突き動かされる。
「よし! 時間は無い! 剣聖、時の氏神の両名を中心とした突撃隊を編成、大侵攻の首魁である魔獣を直接叩き、勝機を見出す!」
「文官、それを援護する兵員、民衆を誘導避難させる隊、急ぎ編成せよ!」
いざ指示が出るとなれば、即座にその場にいる人員が動き出した。時間が惜しい。一刻も早く民間人の避難誘導を開始せねばならない。郷を捨てることになる。家財道具などを持ち出す暇もないだろう。
その中心で柄に手を置き、闘気をむき出しにしている郷長を、時の氏神が引き止めた。
「剣城。貴方は後方の指揮を執って」
「何だと?」
「シラアシゲの民を主導するのは貴方の役目よ。それに、貴方には守らなきゃいけない子がいるでしょう」
「......相分かった」
第二次西部魔獣大侵攻。
その戦いの火蓋を切るのは、シラアシゲの郷所属の兵員たち。
俺が、繋ぐ。
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