第6話 悪役令嬢と第一王子
粛々と国王陛下と女王陛下に謁見を済ませ、応接間に通される。応接間を見渡した限り、エマやナニーの言っていた通り、美貌もドレスもファナがデビュタントの中で一番だ。
(ちょっと!)
ファナが軽蔑したような声音で咎める。褒めたのに対して喜ぶ時と軽蔑する時の差は何が決め手なのだろう?
(比較しないでちょうだい。他の子にも私にも失礼だと思わないの?)
比較が良くなかったのか。しかし、比較するなと言われても。
ゆったりと壁際の椅子に座っているファナはそれだけで目立っているし、他のデビュタントを挨拶以外で寄せ付けないような雰囲気さえある。ファナの遠くない位置に居るオセローに気を使っているのもあるとは思うが……。
(どこのお茶会に行ってもこうよ)
と、半ば諦めたようにファナが言う。
(エマ曰く、迫力がありすぎるんですって。だからなんだか意地悪で冷たそうに見えるのよ。でも今日は
それはそれは。こんな美人とご一緒出来て、恐悦至極だ。
にしても、公爵令嬢と言えば、カーストのクイーンとして取り巻きを引き連れているものだと思い込んでいた。隙のない美人というのは、こうも遠巻きにされるものなのか。公爵夫人も大変美しい方ではあるが、ファナほどの圧は無く、どちらかと言えば周りを和やかにするタイプの美人だ。
(無理だと分かっているけれど、今夜の付添人はお母様に来て欲しかったわ)
招待客で一番身分の高いエドワードとの釣り合いの為に、女性の招待客の中で高位にあたる公爵家令嬢で年齢も背丈も近いファナがダンスのパートナーになって踊る。という筋書きなせいか、より高位になる公爵夫人は慎み深くも今夜は参加しない。それを理解していてもついてきて欲しいのだから、ファナのナーバス具合が伺える。
今夜の『春の舞踏会』は、『春祭り』と呼ばれるものの一環で、毎年春分の日過ぎに執り行われる。このネヴェリア王国で主神として信仰されている、豊穣の女神ユノベールの冬の眠りからの復活を祝う夜会だ。庶民も同じタイミングでお祭りをするらしく、馬車での移動中も市民街の方の夜空が明るかった。
とにかく、その『春の舞踏会』を経て、結婚が出来る年齢に達した乙女達がデビュタントとなって社交界に飛び込み、若々しい春風を吹き込ませる。そうして、花盛りの乙女達を中心とした社交界の華やかな行事が『夏至祭り』までずっと続くのだ。
前世ではデビュタントが出る舞踏会は冬の頃だったと記憶しているが、向こうでもイースターや五月祭、夏至祭など、春夏に行われるお祭りは男女の出会いの場の意味合いがあった。お祭りのダンスやゲームでお互いの気持ちや相性を測り、周囲に遠回しに意思表示をする。スムーズな結婚に至るためのソーシャルな場だ。
つまりこの会場は婚活の最前線。そう考えれば、他のデビュタントの遠巻きな距離感も分からないでもない。舞踏会で一番の有望株であるところのエドワードはファナと踊るのだ。それも2回も。
(結末は喜ばしくはないのだから、なんて慰めにならないでしょうけどね)
そろそろホールに出なくてはいけない時間なせいか、ファナの言葉の鋭さが冴えてきている。つまりは、運命を握る王子様がそろそろ登場する、ということだ。
(緊張しすぎて死にそうだわ)
ご令嬢らしくない言葉遣いに心の中で爆笑する。
万が一、王子に惚れても、破滅は逃れるように第三者視点・原作者視点からのサポートはする。と、見栄を切るが、それが当てにならないから不安なのよ、とファナが思っているのが分かった。
「……お待たせいたしました。お久しぶりですね、レディ・レジーノ」
爽やかな声と差し出された白い手袋に顔を上げる。こちらを覗き込む青い目に、色素の薄い金髪がさらりと落ちる。美しい男は、美しい女にも勝ると言うが、途方もない美形だ。
攻略対象、ネヴェリア王国王太子エドワード・フローディス。王太子として帝王学を叩き込まれ、自分以外を国民として壁を作ってしまう孤独な完璧主義者。自分が教えてもらえなかった世界を知るヒロインに惹かれていく。
周りのデビュタント達が色めき立っている。流石は攻略対象。そのお顔があまりによろしくて、目がチカチカする。
(ほら、やっぱり役に立たないじゃない!)
「お久しぶりです、殿下」
ファナは微笑み、差し出された手に自分の手を重ねて立ち上がる。ファナと並んだエドワードの足の股下のなんと長いこと!
歩き出すと、他のデビュタントとエスコート役が後ろに列になって続く。
エドワードはロングドレスのファナに合わせるようにゆっくりと歩く。エスコートの手は繊細で、ファナに投げかけてくる言葉も優しい。何だか良い匂いもする気がする。
(貴方がこんなにミーハーだとは思わなかったわ)
何を言う。相手は本物の王子様だ。やはり先輩は正しかった。素敵な王子様に、婚約者がいる身で浮気なんてさせて良い理由なんてないのだ。
「エドワード王太子殿下と、グランテラー公爵令嬢レディ・ファナ・レジーノ!」
完全に王子様の雰囲気に飲まれて周りが見えなくなっていたが、名前が読み上げられたのと、開かれたダンスホールのざわめきに我に返る。煌びやかなダンスホールに足を踏み入れると、ファナはシンデレラのように、感嘆のため息と羨望の眼差しによって会場に迎えられた。
ざわめく会場の端まで歩くと、男女の列に別れる。デビュタント達の列が入り切ると、広間の扉が閉められた。エドワードと示し合わせて一歩前に出る。
「オープニングを貴女と踊れて、光栄です」
「私も大変嬉しく思いますわ」
お互いに礼をし、ファナがエドワードの手を取ると、ゆっくりした音楽が始まった。
見つめる先のエドワードは終始にこやかだ。ファナも照れずに微笑みを浮かべ続けているのが、凄い。足下を見なくとも、ステップや交差する振り付けで足を踏み合うこともなく踊り続けている。
(当たり前でしょう、貴族の嗜みよ)
会場の視線が一気に集まっている。ダンスの方向転換の時に盗み見ると、ひそひそと話している人たちが多い。公爵令嬢と王太子が踊るというのは、そんなにセンセーショナルなことなのだろうか。
(それはそうよ。貴女も言ってたじゃない。ダンスやゲームは、周囲への意思表示だって)
ファナ曰く、舞踏会で同じ異性と何度も踊れば、それは貴族社会では意味が通ることらしい。舞踏会で3回以上同じ相手と踊るのは、マナー違反になる。つまり、2曲踊るのは、マナーの範囲での最大数なのだ。しかもオープニングがら2曲続けて。その後のファナのダンスパートナーは空欄。
なるほど、この上無い意思表示である。
貴方、分かっていなかったのね、とファナがぶつぶつと心の中で言った。
(おおかた、私を箱から出すのを公爵が嫌がって、こう言った形にしたのだと噂でもしているのでしょう)
ファナは自他ともに認めるグランテラー公爵が溺愛している箱入り愛娘だ。普通であれば婚約が決まった時点で、社会的な契約が締結され、生家から出される。
婚約はしていない、と設定したのがこういう形で反映されたわけだ。
(仕方ないでしょう。殿下に一番歳が近い公爵令嬢は私なのよ。殿下も、女性を恋愛対象としているって暗に示すことが必要なの)
そこまで話が詰まっているとなると、万が一、ファナが破滅を避けてもエドワードと結婚、という線がひしひしと現実味を帯びてくる。王妃としての責務は大変だし、お世継ぎ問題は考えたくもない。
死にたくない、でも結婚もしたくない。
(やめて。気分が重くなるわ)
長い長い1曲目が恙無く終わり、他のデビュタント達がダンスに加わってくる。2曲目はデビュタント達が加わって踊るワルツだ。最初のうちは初めてのイベントにドキドキしていたが、2曲目となるとだんだん飽きてくる。他の参加者が加わったお陰で、よりエドワードに接近しなくてはならないワルツでももう何も思わなくなってきた。
「何曲も貴女を独占するのは他の参加者に申し訳無いですね」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
そつのない模範解答的な会話。王子様はずっと王子様のままだ。
でも――
(でも、殿下はあまり乗り気ではないみたいね。もしかして、実はもうお相手がいるのかしら?)
ファナも同じことを感じていたらしい。が、ヒロインの登場前に、そんな相手が居るはずが無い。幼少期にヒロインと偶然会っていて、初恋の君としてその面影を慕っているなんて設定はありそうだが。
「私も殿下をお引き留めしてしまって、他の方に申し訳ないばかりですわ。皆様、殿下を見てらっしゃいますもの」
「……皆は貴女を見てるんですよ」
なんでだろう。やはり設定のイメージとなんとなくの齟齬がある。言葉も表情も柔らかい。しかし、何かが違う。
完璧主義な王子様と設定していたが、ファナにも気持ちを見透かされるあたり、綻びもあるようだ。これがカミサマのいう設定が生えている状態だろうか。それとも、ファナが冷静だからだろうか。
なんだか頭も足も疲れてきた。早くエドワードから解放されたい。そもそも、服がよくない。ファナは子どもの頃から着けているとは言え、コルセットで踊るなんて狂気の沙汰だ。何枚も重ねたスカートだって総重量で数キロはある。
(顔に出てしまったら失礼よ。我慢して)
ファナも同じ気持ちだろうに、約束の2曲目までしっかりと優雅に踊りきった。
「今夜は素敵な思い出になりましたわ、ありがとうございます」
「こちらこそ。今夜ご一緒にいらしてるのは、グランテラー公爵閣下ですか? そこまでお送りしましょう」
う、着いてくるのか。とは言え、公爵とオセローのいるところまで行けばゴールだ。その後は壁の花。舞踏会の終わりまで、ファナとおしゃべりしていれば良い。
人混みの中でも、公爵の明るい金髪の髪はよく目立つ。知らない人の多い場所で見知った顔を見つけるのはほっとする。そのせいか、余計に公爵のいる辺りが明るく見えた。
「お父様、今戻りましたわ」
そう言うファナの顔を見て、おや、と公爵の目尻が下がる。
「そんなに緊張したのかい?」
え、という自覚とともに顔が熱くなる。
公爵を見て緊張の糸が切れてしまったのが今誰の目にも見えているのが、分かった。見れば、公爵の周りに居た大人も微笑ましい目付きに変わっている。
ファナはさっと顔を扇子で隠す。が、もう遅い。
(な、なんて、子どもみたいなことを!)
「え、ええ。大変な名誉で。恥ずかしい限りですわ」
エスコートしてくれたエドワードに取り繕うように言うが、しどろもどろなのは変わらない。扇子の向こう側でエドワードも少し笑っているようだった。
「昨日も、殿下にお会いすると考えて、ファナは目眩を起こしたくらいで」
公爵の言葉に、それを聞いていた周囲の人がほうっと感心する。
前世には目眩や気絶を女性らしさの象徴として美徳とする文化が長い間あった。この世界にも同じ様な価値観があるのかもしれない。
公爵は上機嫌で今までは父親や弟としか踊ったことがなかったと言い、周りは素晴らしいご令嬢だと貞淑さを褒め称えた。和気あいあいとした雰囲気とは対照的に、ファナの心が冷めていくのが分かる。
ああ、これは爆発寸前だ。
「……ダンスで上せたのかしら。少々席を外しますわ」
ファナは愛想笑いを浮かべて、そそくさとその場から離れた。
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