悪役令嬢の製造責任、取らせていただきます

かなえなゆた

悪役令嬢への転生

第0話 前世の日常

「……いかがでしょう?」


 触り程度を作ってみたので見てください、とプリントしたテキストファイルを渡してから既に5分は経った。オフィスの隅の打ち合わせコーナーで向き合う俺と先輩。打ち合わせ用に買ってきたコーヒーは俺の分だけが減っている。

 上目遣いに先輩の眼鏡の奥を覗き込む。じっと伏された長い睫毛の間を見つめ続けると、やっと視線が合い、先輩は顔をこちらに向けた。


「いや、佐藤くん。乙女ゲーの経験もない君が、あいつに『キャラ設定とプロットの作り方をちょっと勉強してみよっか』って無茶振りされた翌週に出てきたものとしては、中々よかったよ」


 一瞬にして俺は舞い上がる。

 先輩の下で苦節何年。企画や脚本採用ではなかったはずなのに、小さな会社特有の『少数精鋭』という名の業務分担の乱れや無茶振りにより、色々な業務や企画のサポートをしてきた。

 業務の合間に企画の想定で初めて独りで書かされた設定書。テンプレートに乗っ取ったとはいえ、書き始めたばかりだ。上長をあいつ呼ばわりする先輩から頂く賛辞としては結構、いやかなりいい。

 手元の書類を誇らしく見る。

 ――舞台はヨーロッパの中近世風世界、豊穣の女神を拝する王国。王都の学園での3年間。攻略対象は学園関係者。主人公は孤児で修道院出身。実は彼女は女神に祝福された特別な存在。敵は女神と争ったと伝わる魔王。魔王の影は荒んだ心に巣食い、人間を破滅させる。攻略対象はみんなどこか心に隙間があり、ストーリーの選択によっては攻略対象は本物の魔王となり王国を滅ぼそうとする。主人公が攻略対象の心を癒し、幸せに導くことで破滅は回避される。――


「心に巣食うってくらいだから、キャラクターの心理描写も書き込みやすそうだし。プレイヤーに『この人には私しかいない』という気持ちを抱かせるプレイ体験になるかもね」


 そこまで言った先輩は、頭をがりがりとかいた。ポニーテールにまとめられた髪が無造作になっていく。

 風向きが変わったのを俺は感じた。


「でも、なんか主人公が特別な存在っていうには、あまりにも薄すぎない? 没個性タイプの主人公って全く居ないって訳じゃないけど」


 指摘されるとは思っていた。先輩の指摘はもっともである。

 一応、マーケティングと研究はしています、と弁明する。

 今回の無茶振りに応える為に俺が研究したところによると、女性向けゲームでは主人公は容姿端麗で、性格もよく、努力家で、それでいて自然体で、女性から親しみが持てる子が求められる傾向がある。そしてプレイヤーをイライラさせるような主人公は思い切り叩かれるのだ。それは美しいストーリーを楽しむ為なのか、プレイヤーの理想の自分として投影する為なのか、カップリングに萌える為なのか。女性の非常に厳しい審美眼にかなうキャラを持たせないと、人気が出にくいようなのだ。

 俺としては、大事なのは攻略対象のキャラの設定やヴィジュアルの方で。美少女たちが平々凡々な男に惹かれるように、美青年たちが平凡な少女や少年に理由もなく言い寄って取り合ったっていいじゃないかと思ったのだが。

 やはり女性はロマンスに夢みがちなのに、妙にリアリストなのだ。

 あと、と先輩が書類をペラペラとめくり、ある箇所で手を止める。


「たしかに最近は悪役令嬢ものがネット小説で流行ってるし、ああいう役割は実際の乙女ゲームにはあんまり登場しないから。スパイスとして出す試みはいいと思うよ」


 でもさぁ、と先輩が大きくボヤく。


「色んな設定に出張り過ぎじゃない? 途中敗退させるくせに、ストーリーの前提に居過ぎ」


 先輩が見ているページには、悪役令嬢に引っ掻き回させた設定が書かれている。

 う、と俺は反論に詰まった。

 確かに、確かにそうなのだ。自分でもそう感じてはいた。でも設定書を書いている立場からすると、この狂言回しの『悪役令嬢ファナ・レジーノ』は、物語を回す存在として便利なキャラだったのだ。


「主人公や攻略対象の設定や最初の動機付けとして設定しやすくて」

「仕事させ過ぎ。主人公より出張っちゃダメでしょ」

「でも、攻略対象は貴族や王族や目上の立場のキャラが多いですし、どうにかして主人公が関わるようにしないと」


 令嬢が出るような設定を作る参考の為に中近世の勉強を始めたが、なかなか厳しい階級社会や興味深い社交生活があった。物語の雰囲気作りとしては取り入れたい要素である。


「そういう身分差は想定してるのね。でも、ここまでしなきゃ主人公や攻略対象に行動原理を与えられないなら、それは結局、キャラ設定が甘いんだと思うよ。なら、攻略対象に話しかけられる程度の身分の子でいいし。

 話を回したいだけなら、サポートキャラの妖精とか精霊とか喋る動物キャラ、それか攻略対象の中にトリックスター的なキャラを追加するとか」

「攻略者の中にですか……」


 考えつかなかったアイデアに思わず舌を巻く。

 攻略者の中にトリックスターを入れるなら、人間キャラの中で話が出来そうだ。心に巣食う、という設定の為、攻略対象達にシリアスに焦点を当てたい。だから主人公の側に、ギャグ寄りになりそうなサポートキャラや可愛いパートナーは出来るだけ置きたくなかった。

 ……そこを悪役令嬢に無理矢理にでも回させていたのだが。


「あと気になるのは悪役令嬢が婚約してる王子。少女漫画や小説ならいいとして、個人的には乙女ゲームで婚約者がいるのってあんまり、ね。令嬢の片思いとかならいいんだけど。大筋では婚約者がいる身で浮気して新しい恋人に乗り換えるわけでしょ。主人公だっていつか、って不安材料がね」

「ああ、浮気で得た男は浮気で失うと」

「現実世界なら結末はカップル次第で結末は多種多様だけど、『めでたしめでたし』の後はフォローできないからね。ハッピーエンドならハッピーで殴らないと。

 ダメ男やチャラ男属性なら真実の愛云々でもいい。だけど、シンデレラもので完璧なはずの王子様がそれやるの嫌がるプレイヤーも多いと思う。物語だからこそ、誠実で一途な理想の男性を期待していたのに、って。せめてハッピーエンド版の人魚姫みたいに主人公と悪役令嬢を勘違いしてたとか」


  完膚なきまでに、とはこういうことなのだろうか。詳しい設定はまだまだとは言え、色々と書き加えていくのが楽しくなってきたし、かなり筆もノってたんだけどなあ。

 俺があからさまにガッカリしたのが伝わったのか、先輩はため息をつき、崩れたポニーテールを結び直した。

 仕切り直しだ。


「悪役令嬢を使わずに、攻略対象達の間の関係性をもっと作り込んだ方がいいかもね。舞台はお貴族様の通う学園。貴族なら既に家格や派閥に従って関係性が出来上がってる。だからこそ、無関係の主人公が潤滑油として入っていけるんだし。

 キャラ同士のエモい関係性の中で行動原理やこだわりを深掘る感じ。念のため、没も見越してあと5人くらいは攻略対象をキャラメイクしといたほうがいいよ」

「はい……」


 今まで言われたことを含め、言われたことを設定書の裏にメモっておく。


「これから上長に成果として見せられるような詳しい人物表やプロットを書いていくのにあたって、大まかな設定はわかったから、コンセプトをもうちょっと練り直してね」

「え! それじゃあ、大筋はこの線でいいんですか?」


 恐る恐るお伺いをたてると、先輩は指でブイサインをしてみせた。

 ぶわ、と喜びが全身を駆け巡る。書き入れたいことが頭の中でぐるぐるとめぐり始める。大筋が決まれば、もっと設定を詰められる。


「主人公を無個性にしない方向にして、もっと肉付けさせます」

「ん、いいんじゃない?」

「女神の目の色は、青色だったということにして。そして王族やそれに連なる大公や公爵家なんかの一部の貴族は青い目をしている。女神の子孫達が王権を握っているという支配の正統性。だから王子も、王女が降嫁することもある公爵家の令嬢である悪役令嬢も青い瞳。そして、王族に連らない主人公もなぜか青い瞳をしている。

 一眼見ただけで、主人公を他のキャラクターが特別視する。片思いしている王子と同じ青い目を神聖視する悪役令嬢は、主人公の目が青いことが気に食わない。だからいじめる。というのはどうでしょう?」


 これなら、主人公が悪役令嬢を蹴落として王族と結婚しても、女神の祝福という正統性は保たれる。でも目が青いだけで貴族や国民が納得するのか。ならば王権を象徴し、正当な君主として認めざるを得ない三種の神器のようなレガリアを主人公が手に入れればいい。

 もっと悪役令嬢にとって残酷な設定だってつけられる。悪役令嬢が女神と生き写しで、実は悪魔を払う力を持っていたというのはどうだろう。公爵家という血筋に、女神と似た美しい姿、女神の力。周囲からの異常な期待。しかし、主人公と対立するうちに欠格し、聖なる力は弱くなる。だからこそ、彼女はより主人公を敵視する。


「嬉しいのは分かったけど、その早口はどうにかしなよ」

「す、すみません、つい」


 先輩の声に現実に引き戻される。半目で頬杖をつく先輩は、呆れた様子だ。


「なんだかんだ悪役令嬢の設定盛り盛りにしたいのね。気に入ってるんでしょ、このキャラ。主人公にしても面白いんじゃない? いわゆる、主人公嫌われのどんでん返し系」

「どうなんでしょう? 主人公はみなから愛される存在なのに、悪役令嬢だけは突っかかっていく。それを考えてたら、強いモチベーションの為に細かく設定が決まったと言うか」


 先輩はふいに笑った。


「まあ、そういうこだわりは大事。上長が君に期待してるのは、そういう、君のこだわりと色んな設定を出していく経験だと思うよ」

「はあ」

「自分が出した意見が会議で採用されなくってもね」


 設定厨たれ、だよ。

 そう言って先輩は冷め切っているであろうコーヒーをあおった。

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