第54話 序章

 コアのダンジョンで、メイハマーレと今後の打ち合わせや訓練などを行って数日。アテンは意気揚々とヘルカンの街に戻ってきていた。


 その姿は全身をローブで包み、腰にはショートソード。そしてマジックバッグと前回とあまり変わらなかったが、右耳に付けた、赤い石が垂れ下がったピアスが真新しい。コアに外の世界を任されたとあって、今のアテンは非常に使命感に燃えていた。


 ひとまず計画の下準備を済ませるため、アテンは冒険者ギルドを訪れる。アテンの予想では、ここに必要な人材がいるはずだった。そして、その予想は的中する。酒場に座っていたローブ姿の女は、アテンの姿を見ると慌てたように冒険者ギルドから出て行った。するとその直後、今度はギルドの受付嬢から声をかけられる。その受付嬢は、アテンが冒険者登録をした時に担当した受付嬢だった。


「アテンさん! よかったー、探してたんですよ!」


 心配していたような、少し怒っているかのような。そんな顔をしながら受付嬢はアテンに用件を告げる。


「ダンジョンからは出たはずなのに、いつまでもギルドに来ないから心配してたんですよ。どこ行ってたんですか? って、詮索はダメですね。それでは改めまして。アテンさん! 冒険者ギルドは貴方の功績を認め、貴方をゴールド級に昇格いたします! おめでとうございます!」


 受付嬢は笑顔でアテンに小さく拍手を送る。それを見ていた周りの冒険者たちは目を丸くする。その受付嬢は普段物静かで、あまりこういった行動をとるような人物ではなかったからだ。勘の良い冒険者は何かを察したり、新たにゴールド級冒険者になったアテンを値踏みするように見たり、嫉妬の視線をぶつけたりしていた。


 アテンはそれらを煩わしく思いながらも、受付嬢――アルシェの言葉の意味を考える。アテンは依頼など受けていないし、功績アップにつながるような報告などもしていない。普通ならば有り得ない昇格だった。


(冒険者の救助や、一人で第五階層に到達したことなどが評価されたか。話を聞くだけでは確認など取れまいに。何かしらの思惑が絡んでいると言っているようなものだ)


 本来なら昇格の理由を受付嬢に聞くところなのだろうが、アテンは聞いたりしない。アテンにとっては階級が上がるならそれで良く、理由などどうでもいいからだ。目の前の、無価値な人間と話すのが面倒と言うこともあった。


 冒険者ランクの更新のため、受付嬢にプレートを渡し、そろそろ来るであろう待ち人を大人しく待っていると、冒険者ギルドの出入口が勢いよく開かれた。そこからは勇ましい顔をしたレインを筆頭に、『約束の旗』の面々が続々とギルドに入ってくる。彼らは更新待ちをしているアテンを見つけると、そちらに一直線に向かっていった。


 『約束の旗』――第五階層で、今後何かに使えるかもしれないと、アテンが助けた冒険者パーティーだ。理想を言えばあの時、『約束の旗』を皆殺しにして身ぐるみを剥ぎ、トロールタフが成長するまで見逃すのが最善だった。しかし、ゴールド級冒険者パーティーが全滅ともなれば、冒険者ギルドはその原因を探るために必ず動き出す。そうなれば、あのトロールタフは近いうちに見つかっていたし、アテンが装備品を手に入れることもできなかった。トロールタフのヴァリアント種と言う、わかりやすい目印をアテンが殺してしまえば、今度は第四階層の異常に気づかれてしまうかもしれない。そんなことになるぐらいならばと、重要度の高いマジックバッグと生きている装備品の入手を優先させたのだ。


 アテンは当時の自分の判断を褒めたかった。それが、至高の主が望む、今の計画につながったのだから。内心でほくそ笑んでいるアテンに気づくこともなく、近づいてきたレインはガバッと頭を下げた。


「アテンさん! 先日はありがとうございました。おかげさまで、俺たちは命拾いしました。改めて、お礼を言わせて下さい」


 レインに続いてパーティーメンバーも頭を下げる。突然のことに冒険者ギルド内が俄かにざわつき出した。ギルドでも上位のパーティーが、見慣れぬ冒険者に頭を下げているのだ。否が応にも目立つ光景だった。


(周囲の注目を集めて、この後に続く頼み事を断りづらくさせようという狙いか?)


 アテンは一瞬、そんなことを思う。『約束の旗』が、自分に近づいてきた理由は見当がついている。そのための茶番かと、つい、いつものように考えを巡らせたが、このレインという男はそういうタイプには見えない。どのみちアテンに無駄な小細工は通用しないのでどうでもいい事だったが。


 レインが頭を上げ、意を決したような顔で口を開こうとすると、それに割って入る者が現れる。


「ふふふ。少々目立っていますよ、レイン君。こんなところで注目を浴びるのは、彼も本意ではないでしょう」


 ギルドの奥にある机で事務仕事をしていたゲーリィだった。何気ない感じで会話に入ってきたゲーリィだが、アテンは、ゲーリィがずっとチラチラとこちらの様子を伺っていたことに気づいていた。アテンに何かしらの用があるのは明らかであり、そして、ここまでの動きの全てがアテンの予定通りだった。


 なるべく自然に会話に交ざったと装うために、建前や表情を頑張って整えているようだが、てんでなっていない。人間には腹の探り合いと言う文化がないのかと、思わず疑ってしまうほどだ。


(力も無い。頭もダメ。本当に、ダンジョンの養分になるためだけに生まれてきたような存在だな)


 普段から神算鬼謀の主の相手をしていたアテンにとって、人間の演技力など児戯に等しい。そのお粗末な様に内心あきれ果てていたが、それを表情には出さずにゲーリィの一人芝居に付き合ってやる。うまく誘導されたふりをして、『約束の旗』共々、話し合いのため二階の個室へと赴いた。






 アテンは部屋に入るとローブを脱ぎ、それを丁寧に折りたたんでマジックバッグにしまう。そして椅子に座ると優雅に足を組んだ。


 その姿には決して平民には出せないような気品が溢れており、『約束の旗』は戦闘面以外でも大きな差があることを感じたのか、浮かない顔をしていた。


 アテンのローブを脱いだ姿を初めて見るゲーリィは、その衣装の見事さに目を見開き息をのむ。そして、これまで門番の守衛長などから集めた情報と、自分の目で見たアテンのこれまでの立ち振る舞いから、アテンが他国の、それも、王族と近しい貴族階級であることを確信していた。


 普段、自分が会うことのない人種を目の前にしては、プレッシャーを感じるなと言う方が難しい。話を聞く限りでは、貴族には珍しく身分にとらわれない人間のようだが、言外にここまでの違いを見せられては気を使わずには居られない。


 ゲーリィが手に汗握りながら、アテンから上手く情報を聞き出すための算段を考えていると、レインが先に動いた。


「アテンさん! 実は折り入って、あなたにお願いしたいことがあります!」


 背筋をピシッと伸ばして立ち、悠然と座るアテンを強く見据える。アテンはそれに軽口で答えた。


「マジックバッグならやらんぞ」


 その茶化すような言葉にレインは意表を突かれたが、すぐに気を取り直して自分たちの熱い気持ちをアテンにぶつけた。


「ち、違いますよ! アテンさん! 俺たちに、稽古をつけてほしいんです! 俺たちはあなたに助けられたあの日、あなたのように強くなりたいと本気で思いました! 一歩でもあの強さに近づくために、トロールタフを圧倒した『オーラ纏い』を習得するために!  俺たちにできることなら何だってします! だから、お願いします!」


 身体を九十度に曲げて頼み込むレイン。指の先までピンと伸び、力が入っているその姿からは、如何に本気で頼み込んでいるかがよくわかった。


 パーティーメンバーも真剣に頭を下げる。訪れた静寂の中、アテンはそれを静かに見つめていた。


 ゲーリィはこの時、『ああ、駄目だな』と思った。アテンの反応が、あまりにも薄すぎた。考えてみれば、彼の立場ならば、人からお願い事をされるのは日常茶飯事のはずだ。一冒険者ギルドの副ギルド長でしかない自分ですら、そういう機会はままある。


 だからこそわかることだが、そういうお願い事が多くなってくると、どこかのタイミングで願い事を選ぶ必要が出てくるのだ。人の時間は限られている。全てを叶えてやることはできない。そしてその中で、優先的に切り捨てられていくのが、的外れなものだ。


(『オーラ纏い』の習得は、個人の感覚、言ってしまえば、才能によるところが大きいとされています。それを何とかしてくれと言うのは、無理難題というものでしょう)


 ゲーリィ個人としては、未来とやる気のある若者たちの願いが叶ってほしいと思う。だが、それは難しいのだ。


(仮に、彼が『オーラ纏い』を意図的に教える術を持っていたとしても、それは間違いなく特級の機密情報扱いのはずです。そんな特大級の情報を、見知らぬ土地の赤の他人に、わざわざ教えて上げる義理は無いのですから)


 きっと、『約束の旗』にとって甘くない現実が待っているだろう。しかしそれでも、彼らの背を押した者として、少しでも力になってあげたいと思う。その方法の全てを教えてもらうのは無理でも、何かしらのヒントが得られるようにと、ゲーリィが口を挟もうとした時だった。


「貴様の言っている『オーラ纏い』とは、これのことか?」


 アテンはそう言うと、おもむろに人差し指の先に白い光をまとわせる。美しくはっきりと見えるその光と、指先だけという、最小限の『オーラ纏い』の発現は、彼の技量の高さをわかりやすく示していた。


 しかし、それが如何に凄いことなのかが理解できるのはゲーリィだけで、驚きで言葉を詰まらせてしまったゲーリィとは対照的に、『約束の旗』の面々は、その強さの象徴に素直に感動していた。


「そ、そうです! その光のことです! ……って、あの。アテンさんは『オーラ纏い』とは言わないんですか?」


 レインが当然の疑問を口にする。技が使えるのに、名前を知らないのはおかしな話だからだ。だが、それはアテンの素性を考えればわからなくもない。


(彼についての情報を集めていなければ、そう思うのが普通でしょうね。少なくとも、この辺りではあの技法は『オーラ纏い』で統一されています。と言う事はやはり、遠い異国の出身と言うことに間違いは無さそうです)


 推測を重ねながら、彼の次の言葉に耳を傾ける。てっきり、きっぱりと断ると思っていただけに、この話の流れはゲーリィにとって予想外のものだった。


「ふむ。ここではそのような仰々しい名前が付いているのか。一々名をつけるほど、特別なものでもあるまいに」


 アテンは指の光を消しながら、何でもないことのように言う。


「……特別なものではない? それは、どういうことですか?」


 ゲーリィは、気づいたら口に出していた。特別なものではないと、当たり前のように言っているアテンの姿が信じられなかった。


 元ミスリル級冒険者として、その戦闘技法を習得するために試行錯誤してきた過去があっただけに、その言葉の意味が、頭に染み込んでこない。


「そのままの意味だ。我が王の国では、ある程度戦えるようになった戦士たちが自然と覚えるものに過ぎない。故に、コレに名など無い」


「そ、そんな……馬鹿な……」


 ゲーリィは、自分の常識が崩れ去っていくのを感じた。ひそひそと、魔法使いのリズとヒーラーのルリアが「我が王……?」、「……もしかして、貴族様?」などと話し合っているのが聞こえたが、全く気にならない。今気にすべきところはそこではない。


「そんな国があったら、噂にならないはずが……。それに、それほどの使い手が多数いるならば、オリハルコン級冒険者だって相当数になるでしょうし……」


「冒険者ではない。言ったはずだ。戦士だと。我が王に忠誠を捧げ、我が王のために生きる者たちだ。それ故、表舞台に出る事はない。貴様が知らないのも無理からぬことだ。戦士たちの中で冒険者になるのは、私が初めてなのだからな」


「そんな……それほどの者たちが名を馳せることもなく、一人の王の下に集っていると……? ちなみにですが、あなたがこうして冒険者になった理由をお伺いしても?」


 ゲーリィの問いに、アテンは不敵な笑みで答えた。


「クックック、今更必要か? どうせ守衛あたりから情報が上がってきていよう。あの時の言葉に嘘はない」


(っ、お見通し、ですか……!?)


 ゲーリィは、自分がアテンに近づいた本来の目的に気づかれているのかと焦った。しかし、冷静になって考えてみるとそれはない。


 アテンはまだゴブリンダンジョンの事は知らないはずだ。この街にも来たばかりであり、あのダンジョン特有の異常性を知っているわけがない。と言うことは、アテンが自分の情報をゲーリィが集めていると思った要因は、突然この街に来た新人冒険者が、破竹の勢いで紅蓮の洞を突き進んだことに起因するのだろう。


 後ろめたいことがあるからこそ、しなくてもいい深読みをしてしまっただけだと、ゲーリィは自分の心を落ち着かせる。


 しかしアテンの、ゲーリィを見抜くその青い目を見ていると、ゲーリィの心をどこまでも見透かしているようで、恐ろしく感じた。


「……そうですか。こそこそと、かぎまわるような真似をしてご不快に感じたのなら申し訳ありませんでした。ですが、組織を管理する立場上必要なことでして」


 ゲーリィは素直に謝罪しておく。相手は冒険者である前に貴族だ。怒らせてこの冒険者ギルドの不利益になるような事は避けたかった。


 アテンはゲーリィの行動に理解を示す。そして鷹揚に頷くと、格の違いを見せつけた。


「そうだな。貴様の気苦労もわからんでもないぞ。私もまとめる立場だったからな。特に、未曾有の事態に遭遇してどうすれば良いか分からない時などは、藁にも縋る思いであろう。そこに、解決策を持っているかもしれない者が現れたら、情報を集めようとするのは当然だ」


 数瞬の間を置き、ゲーリィの顔に冷や汗がドッと吹き出す。アテンが何のことを言っているのかは明らかだった。


 口を開けば、そこから激しく鼓動する心臓の音が聞こえそうで、ゲーリィは何も言えない。その顔色は誰から見ても悪くなっていた。


(見誤った……)


 アテンと言う男は、その卓越した戦闘力に目が行きがちだが、その洞察力、頭のキレも相当なものだ。少なくとも、ゲーリィには彼の立場でどうやってその結論に達したのかが全くわからない。今のゲーリィは正に、蛇に睨まれた蛙だった。


(これほどの相手に情報を抜き取ろうとしていたとは! 完全に悪手でした。困っているのなら、素直に助力を請えばよかったのです! どうする、どうすればいいですか……!?)


 アテンがこんなにやり手だとは知らなかったし、正直にダンジョンの情報を求めても教えてもらえる確率は低くなっただろう。しかしそれは言い訳に過ぎない。ゲーリィは、何としてもダンジョンの情報を手に入れなければならないのだ。


 結果を得るため、ここから逆転するための手を必死に考える。


(……逆転? 私は、何を考えているのですか。彼を相手に、ここから事態を好転させることなどできないでしょうに。私がすべきは、逆転ではなく最善を尽くすことです)


 自分とアテンの力の差を痛感することで、ゲーリィは自然とその選択肢を取ることができた。


「副ギルド長!?」


 自分がアテンと話していたのに、いつの間にか完全に忘れ去られていたレインが、ゲーリィのその行動を見て驚愕の声を上げた。

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