第17話:ただ1人

 むせ返るような強い花の香りがハコミの鼻をつく。

まるでここだけは"天国'のようであった。ビンベによって優しく降ろされたハコミは、足に引っ掛からぬようにウエディングドレスのスカートを摘みながら数歩歩く。



「…ここが、そうなんですか? 聞いていた場所の名前と想像していたのとまったく違うんですが。生贄を"天の聖域"と聞いてたので」



 ハコミはビンベへと振り返る。

『不吉な場所や忌地、あるいは不毛の地にはあえて逆の意味の地名をつけることが多い』、ハコミは民間伝承を研究した上でよくあるものだと考えていた。そして"天の聖域"なんて大層な名前をつけるのであれば、どのような荒地であるかと身構えていたのだった。しかし実際にこの場所に来てみれば、地名を知らずとも何かしらの聖地のように感じられるような清らかさがあった。




「らしいな。まあ、俺や後ろの3人も親から"この辺りには絶対に入るな。あそこに入ったら帰れなくなる"なんて強く言われた場所だから何かはあると思ってたがな」



「そうだな、俺らはよく怒られたっけな。一度この場所にこっそり入ろうとしてビンベの親父さんにバレて殴られたな。結局、理由は教えてくれなかったし」



「そもそも親たちも知らなかったのかもな、"ゴブリンに生贄を出してた"なんて自分の子供に胸を張って言えることじゃないしな」



「まあ、なぁ」



 木樽を置きながら、荷運びの男はこの場所について口にする。その話を聞きながらハコミは内心喜びと悔しさを感じていた。



(…伝承とかは"何か危機的状況があったから、それを回避させるため後世に伝える"ものなのにな。口伝の伝承を知れたのは嬉しいけど、目の前でその伝承が消えかかったのを間近で見ることになるなんてな)



「…じゃあ、ハコミちゃん。俺たちは街に戻るから」



「…はい」



「ハコミちゃん、俺がこんなこと言える立場じゃないことは分かってるんだけど、生きて帰ってきてくれよ」



 ビンベは暗い表情でハコミへと別れを告げる。一方でハコミはにっこりと微笑むとビンベへと告げる。



「じゃあ、生きて帰ったらもう暫くビンベさんの宿に泊まらせてくださいね」



「…ああ、美味いご飯もいくらでも作ってあげるよ」



 ビンベはそう言い残し、他の3人の男たちを引き連れてその場を後にする。

残されたハコミはビンベたちの姿が見えなくなるまで手を振り続けるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る