第74話 追跡

広い執務室。

その部屋の主——―スーツ姿の30代ほどの男が木製の大きな机に向かって書類を確認していると、内線の音が響いた。


部屋の主の名は帝真一みかどしんいち

帝真グループ総帥の長男で、次期トップと目される人物だ。


「なんだ……」


真一は煩わしそうに、手に取った受話器の向こうの相手へと問いかけた。

内線電話の相手は彼の秘書だ。

基本的に彼への要件は、全て秘書を通して伝えられる事になっている。


「……分かった。通せ」


真一は『ふぅ……』とため息をつき、眉間に皺を寄せ不機嫌そうに受話器を置く。

暫くすると扉がノックされ、『入れ』の言葉を待ってから扉が開いた。


「報告が御座います」


中に入って来たのは、髭を生やした壮年の男性。

真一の部下に当たる人物だ。

その表情から、男の言う報告が喜ばしい物でない事が容易に窺えた。


そもそも予定にない来訪など、トラブルなどのマイナス要素である事が多い。

それが分かっているからこそ、真一も内線の時点で溜息を吐いたのだ。


「佐藤。追跡部隊に問題か?」


「はい。1時間ほど前、ヘルハウンドが消息を絶ちました。申し訳ございません」


佐藤と呼ばれた男が、男に向かって頭を下げる。


「……は?消息不明だと?」


何らかのトラブルだろう事は分かっていたが、想像以上に深刻な報告に思わず真一は声を上ずらせる。


ヘルハウンドは、彼の担当する戦略部署で成果を大きく上げている花形の部隊だ。

もちろん、どれだけ優秀であっても失敗というのは起こりうる。

だが単に失敗するだけならいざ知らず、部隊その物が消息を絶つ事など通常では考えられない事だ。


「離反……いやそれはないか」


この場合、考えられる点は二つ。

ヘルハウンド部隊が自らの意思で、帝真グループから離反した。

もしくは、敵に寄って殲滅されたか、だ。


だが、前者の可能性は極めて低い。

異形とは言え、花形部隊だけあって彼らの待遇は決して悪い物ではなかったし、何より、彼らには首輪が付けられていたからだ。


まあこれは当然の話だろう。

違法な改造を施している人間に、枷を施さない訳がない。


そしてその枷は、体内に埋め込まれたGPSを使った衛星によるリアルタイムの監視と、定期的に研究所で調整を受けなければ肉体が崩壊するという物だ。

特に肉体の崩壊は致命的であるため、離反はイコール死を意味していた。


なので単独でならともかく、集団で部隊が離反する可能性は極めて低いと言わざるを得ない。


「はい。離反では御座いません。何者かによって連れ去られた様です」


帝真一の言葉に、佐藤が肯定を返す。


「あのヘルハウンドが、逃げる事も出来ず制圧されたというのか?一体どこの手の者だ?」


「現在、鋭意調査中です。ですがその余りに異様な出で立ちと不可思議な能力から、相手は魔法を使ったのではないかと私は推測しております」


ヘルハウンドの行動は、衛星によって監視されていた。

そのため、安田孝仁が闇を纏って彼らを殲滅する姿と、亜空間にその死体を放り込む姿がハッキリと映像として残されている。


特に亜空間に死体を放り込む姿は、魔法の様な不可思議な力でも無ければとても説明出来ない現象だ。


「魔法だと!?まさか教会や結社が関わっているのか!?」


魔法という言葉に、帝真一が興奮気味に席から立ち上がった。


この世界には魔法があり、それを扱う者達がいる。

但しそれらは日の光が当たらない秘中の秘であり、一般的には知られていない。

そのため、日本で魔法について知っている物は極少数だ。


そして日本有数の帝真グループの上層部は、その数少ない知るものに分類される。


「いや、だがそれはおかしい……日本では魔法の力が大きく制限される。この日本国内において、魔法でヘルハウンドを制圧する事など出来る筈が……」


日本国内において、魔法の力は大幅に弱体化される。

それはかつて神代の時代に封印された邪神の封印が大きく影響する為なのだが、その原因自体を現代で知っている人間は一人だけだ。


そのため彼らはその封印が16年——いや、17年前から緩んでいるという事実を知らない。


封印が緩んだ結果、日本国内では既に魔法が問題なく扱える様になっていた。

そしてその事にいち早く気付いた一部の呪術や魔法を扱う者達は、数年ほど前から密かに日本国内での活動を開始している。


「もちろんその事は私も承知していますが、そうとしか思えない様な物でしたので。ひょっとしたら、彼らが何らかの対抗策を得た可能性もあるかと」


「もし本当に魔法だとしたら厄介だな。あまり気は進まんが、弟に連絡を取るしかないか」


真一の弟は、グループの海外支部で働いていた。

魔法に関しては、今まで対策のいらなかった日本本社よりそちらの方が遥かに進んでいる。


「それが宜しいかと」


「それで……相手の追跡は出来ているのか?」


消息不明と最初に聞かされているので、聞くまでもなく答えは分かり切っている。

にも拘らず真一が尋ねたのは、手がかりなどから追跡の可能性を尋ねているのだ。


「闇――便宜上そう呼んでいるのですが、衛星での追跡は速すぎて途中で見失なってしまいました。ですが……進行方向に位置する山中から、ある二人組の下山する姿を確認しております」


「その二人が怪しいと?」


「地形的にハイキングで向かう様な場所ではございませんでしたので、探ってみる価値はあるかと。こちらがその映像になります」


佐藤が脇に抱えていたタブレットをデスクに起き、衛星から送られて来た追跡の画像を真一へと見せる。


「ふむ……確かに、ハイキング向けではないな。所で――」


超高解像度映像に映る二人の姿を確認し、真一がある事に気付く。

それは歪みだ。


「この画像の乱れはなんだ?片方の背後が常に歪んでいるぞ」


衛星からの映像には歪みが発生していた。

それも常に、片方の背後に。


「お気づきになられましたか。何らかの魔法による現象ではないかと、私は考えております」


「なるほど……これが魔法なら黒だな」


魔法を使う者が消えた直後に、魔法の影響を受ける不自然な下山者を発見。

たとえ襲撃した本人ではなくとも、彼らが関連していると考えるのは当然の事だ。


「はい。ですので、その二人の追跡を現在行っております」


「相手はヘルハウンドを制圧する様な相手だ。慎重に行え」


「重々承知しております」


相手を知らずに迂闊に動けば、藪をつつきかねない。

未知の相手に対しては、慎重すぎるぐらいがちょうどいいのだ。

その事を知る帝真一は部下に慎重さを求めた。


――こうして、帝真グループによる安田家への監視が始まる。

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