第十七話 優 柔 不 断

2004年8月27日、金曜日・早朝

『トゥルルルッ、トゥルルルッ、トゥルルルッ?』

 眠りを妨げるように電話の呼び出し音がなっていた。

 俺より早く起きていた香澄が受話器を取りそれに対応していた。

「はい、ハイ、ハい、ちょっと待っててください。ホラッ、さっさと起きなさい、宏之。アンタに電話」

「フワァ~~~、誰から?」

 まだ眠い目をさすりながら誰から掛かってきたのか確認していた。

「・・・、凉崎秋人さんから」

 彼女のその声は表情と違ってどうしてなのか沈んでいるようだった。

 だが、まだ寝ぼけている俺にそれを認識する事は出来なかった。

 受話器を受け取り春香の父親に失礼ないよう眠気を払い対応した。


*   *   *


 今、春香の病室前に来ている。

 秋人から彼女が再び目覚めたって聞いて、何の迷いもなく即行で家を飛び出しここへ駆けつけたんだ。

 香澄が俺に掛けていた言葉を無視して・・・。

『コンッ、コンッ』

 扉をノックして春香の存在を確認した・・・、しかし何の反応も返ってこない。

 早い時間に来たからまだ春香の奴寝てんのか?

「どなたでしょうか?」

 そんなことを思っていると病室の中から彼女の声が聞こえてきた。

〈春香、マジで目覚めたんだな〉

「柏木宏之、春香の見舞いに来てやったぞ」

 そう言って中へ入って行った。すると言葉を掛ける前の彼女の方から話しかけてきた。

「宏之君、こんなにも早く私の所へ来てくれたんだね。有難う」

「当たり前じゃないか」

 春香の言葉は凄く落ち着いていた。

 まるで今までの出来事が嘘のように思えるくらいに春香の口調はしっかりしていた。

「宏之君、どうしたの?何だか不思議そうな顔してるよ」

「ハハハッ、どうしたんだ急にそんなこと言いだして」

〈やべっ、今何か考えていたって顔に出ちまったようだ〉

 心ン中ではそう思ったけど俺の表面は苦笑しながら彼女に言葉を返していた。

「ネェ、宏之君、私がこんなに早く目覚めて吃驚したでしょ?」

「春香、何言ってんだ俺にはさっぱり意味がわかんねぇぞ」

 本当に彼女の言っている意味がわからずそう受け答えしていた。

「宏之君、驚かないで聞いてね」

「何をだ?」

「私ね、今がどんな時だかちゃんと判っているの。私が始めて目を覚ました時はみんなにいっぱい迷惑を掛けちゃったみたいね・・・・・・、その宏之君ごめんね」

「マジで俺、春香が言っている意味わかんねぇぞ。どういう事だ?」

「今がね、私が事故に遭ってから三年が過ぎているって知っているの」

「・・・!??※」

 春香の言った言葉が信じられなくて動揺を隠しきれず、うろたえ後退りしてしまった。

 そんな俺の姿に春香は更に言った事を肯定するように言葉を口にしてくる。

「見て私の髪の毛、こんなにも伸びちゃっているの。ほらそれに私の身体、こんなに細くなっちゃった。私ね、こんなになっちゃったけど、でもね、でもね、今度はちゃんと目覚められて良かった。ちゃんと宏之君とお話できるような状態に戻れてよかった」

 春香はそれだけ言葉にすると大粒の泪を俺に見せ声をたてず嗚咽していた。

 そんな彼女を見た俺の心は次第に言いようのない哀愁を感じ彼女を強く抱きしめていた、俺の所為で痩せ細ってしまった春香の体を切ない程、力強く・・・。

「ヒロユキ君、ひろゆき君、宏之君」

 春香は俺の胸の中で何度も俺の名前を呼びながら涙を流しているようだった。

 暫く、長い抱擁が続いていた。

 春香の細くなってしまった身体を強く抱きしめていた事に気付き彼女が痛みを感じていたのではないかと心配して声を掛けてやった。

「春香、強く抱いちまったけど痛くなかったか?」

「そんなことないよ、宏之君、私のこと優しく包んでくれていたもん。私の知っている宏之君で良かった・・・、貴方の優しさは変わらないままだったのを知ってとても嬉しい」

「俺が優しいだって?そんなことないだろ。ハハハッ」

 自嘲気味の笑いを浮かべそう答えるしかなかったんだ。

 彼女にそんな言葉を掛けてもらう資格なんて今の俺にはなかった。

 春香を見捨てちまっていたんだ。

 彼女の言葉に俺の心が軋む。

 それからバイト時間ギリギリまで彼女と談笑していた。

 本当に彼女は今が2004年だって事を判っているようだった。

 でもどうしてそれを知っているのか尋ねても答えをはぐらかすようにして教えてくれなかった。

 そろそろバイトに行くために帰ろうとした時、春香は俺との関係を確かめるようなことを聞いてきたんだ。

「私はちゃんと今を理解しているの、だから何を聞いても驚かない。だから答えて、宏之君」

〈俺はどうすればいいんだ?昨日香澄の誕生日の時、ちゃんと決めたじゃないか〉

〈今度、春香が目覚めたらちゃんと俺と香澄の関係を伝えようって〉

「答えて、宏之君は今でも私の恋人なのよね?・・・・・・、駄目なの?」

 春香は俺をあの瞳で見つめてくる。

 あまりにも純粋、純朴、無垢な瞳で。そして、困るくらいの真摯な態度で。

 駄目だ。こんな春香を見たら俺・・・・・・。

 この場の今の俺に返せる言葉は唯一つ・・・、

「フゥ、バカ言え、春香。俺はオマエの恋人だ」

 出た言葉はそれだった。言ってしまった。

 今、俺には香澄って存在がいるのに何で?

 当たり前の答えだ。

 香澄と同じくらい、春香が好きだからだ。だからそう答えたんだ、悪いかよっ。

「ホント?」

「アァ、本当だ!」

「ホントォ~~~に、本当?」

「何度も、同じ事を言わせるなよ」

「だったら、宏之君態度で示して見せてよ」

 春香は俺が言った言葉が信じられなかったのか確認するように何回もたずねてきた。

 だから俺もそれに返すように強く答えたんだ。しかし、彼女はそれでも信じられなく、キスしてくれって要求してくる。そして春香の方から目を閉じていた。

 脳裏に香澄の笑顔が一瞬浮かぶ。だが、なんの躊躇いもなく春香にディープ・キスをした。そしてそれが終わると、

「春香、これで俺の気持ち判ってくれたか?」とそんな陳腐な言葉を春香に口にしていた。

「宏之君のこと好きだからこの気持ち変らないから、だから貴方を信じます」

 最後の彼女がそんな言葉を口にした時、俺の心は完全に逝っちまっていた。

 三年前、春香に抱いていた感情が完全に蘇っちまった。

 これ以上彼女と時間を共有しているとどうにかなっちまいそうだった。だから、そんな気持ちを無理や抑えバイトに行く事にしたんだ。


2004年8月28日、土曜日


 今日も昨日に続いて朝早く春香の所へ行っていた。

 彼女が俺を笑顔で迎えてくれたときはとても安心した気分になった。

「宏之君、今日もお見舞いに来てくれて有難う」

「あったりめぇじゃネェか、俺オマエの恋人だぞ」

 気持ちの中では完全に春香は〝元恋人〟じゃなく〝恋人〟に戻ってしていたんだ。

「そう言ってくれると余計に嬉しい。アリガトね」

「ハハハッ」

 春香は嬉しそうな笑顔を俺に向けてそんな事を言ってきた。

 そんな彼女の顔を見たら俺も思わず面をゆるめ笑っていた。

 いいムードのまま春香と会話を交える。

 彼女が眠っている三年間の出来事を少しずつ教えていた。

 春香は彼女が眠っていた時の夢を聞かせてくれた。

 その夢の話はかなりのリアルっぽさがあったんだぜ。

 互いにいつの間にか貴斗の話題になっていた。

 春香からヤツの事を聞かされた時、感激と悲しみが同時に俺を襲っていた。

「ネェ、宏之君も貴斗君がここの病院に入院しているのは知っているでしょ?」

「ああ、知っているけど」

「彼には会って上げたの?」

「だってアイツ面会謝絶だろ?」

「貴斗君もね、私と同じ日に目覚めたの。だから、今なら彼に会えるはずよ。ただ・・・」とその言葉と共に彼女は翳りを見せたんだ。

「どうしたってんだ?春香、なぜそんな顔するんだ」

「貴斗君ね、記憶喪失、治ったんだって」

「それっていい事じゃないか」

「確かにいいことなんだけど・・・・でも、それだけじゃないの彼、私達の事を忘れちゃったのよ」

「???」

 春香の言っている事が理解出来なかった。

 こん時の俺の驚いている面はそうとう間抜けだっただろうぜ。

 だけど彼女は俺を笑うことなんてしなかった。そして、言葉を続けていたんだ。

「セッカク昔の事、思い出したのに私達と出会ってからの記憶なくしちゃったの」

「ハハハッ、春香、冗談と演技が上手いな」

「宏之くぅ~~~ん、真面目に聞いてよぉ」

「わりぃ・・・」

〈マジで冗談だよな?春香?〉

「宏之君が驚くのも無理ないよね。私だってそれを調川先生から聞いた時どうしようもないくらい動揺したもん」

 春香もそれを先生から聞かされた時の気持ちを教えてくれた。

 だけど彼女の表情にまだ別の何かを知っていると現れていた。しかし、今それについて知ることはない。

 心にポッカリと穴が開いたような気分になった。

 大切な親友を失った気分になった。

 それはたとえ、恋人とか他のダチでも埋められないようなそんな穴だった。

 その所為で今日初めて仕事でミスっちまった。

 大した事じゃなかったから知美マネージャーに軽く注意された程度だけど。でも仕事を集中出来ないくらい俺の心は動揺していたんだろう。

 貴斗のヤツが春香や香澄とは別の意味で大事な人間だって思い知らされた。

 今日はそんな日だった。でも、どうしてそこまで俺は貴斗をそう思うんだろうか?

 いつも簡単に解決出来ない事で悩んでばかりだな、俺は。


2004年8月29日、日曜日


 今は香澄と一緒に俺の部屋で時間を共有していた。

「ネェ、宏之、春香は元気してた」

 彼女がそんな事を聞いてきたので今の春香の容態を教えてやったんだ。

 教えてやった事に動揺せず香澄は受け流していた。

「そんな感じで元気していた」

「そっ、春香がそんな状態なら宏之、彼女に私とアンタの関係言ってくれたんでしょうね?」

 香澄に直ぐ答えてやれずに黙ってしまった。

 その事をまだ春香に伝えていない。

 伝える事なんて今の俺には出来ないんだ。そんな答えを出すのに戸惑っていると怒った口調で香澄は言ってくる。

「約束してくれたじゃない!今度春香が目覚めたらちゃんと話してくれるって。あの言葉は嘘だったの?」

「うっ、嘘って事はない。香澄、俺だって分かってるだけどそんなに急かさないでくれ」

「何を判っているって言うのよ!アタシはアンタがそんなんだから心配でしょうがないのっ!あんたが私から離れて行っちゃうんじゃないのかって心配なの」

 香澄は悲しみ色の声で訴えてくる。

 でも今すぐに結論を出す何って今の俺には出来ないんだ。だけど・・・、香澄も失いたくない・・・・・・、春香も失いたくない。

 二人の存在は俺の心を完全に支配している。

 春香は俺にとって護ってやりたい存在。

 香澄は俺の心を護ってくれた存在。

〈駄目だ・・・、今の俺には何の決断も下せネェぜ〉

「・・・、何も言ってくれないのね。分かったわ、今しばらく待つ。でも必ず結論を出して」

「あぁ」と香澄に曖昧に答えを返してしまった。

「・・・、そう」

 彼女の表情はとても辛そうだった。

 でも今の俺にそんな彼女の表情を和らげる言葉をみつけだすこともできゃしないんだ。

 会話が途切れた頃、

『ルルルルッ?』と電話の電子音が鳴り出した。

 電話の近くにいたので直ぐにそれを取っていた。

「はい、もしもし柏木です」

「おぉ、直ぐに出たな息子よ!」

「何だよ、親父かよ」

「はぁ~~~、息子にそんな事を言われると父さん、悲しいかな」

「用事がネェなら切るぞ」

「いいじゃないか少しくらい」

「そんな変な声で言うな、で?本当になんでまた電話を掛けてきたんだ?明日か明後日くらいに帰って来るんだろ」

「いやねぇ~~~、それが延期になっちまった」

「あぁ~~~、そうか帰って来ないんなら清々するよ」

「ひどいなぁ~~~、息子よ。でも父さんにそう言うのはいいが美奈にはそんな事、言うなよ、悲しむから」

「はい、はい、わかったよ。それでどれくらい延期になったんだ?」

「そうだね、10月くらいには帰れると思うよ」

「そうですか」

「そっけないなぁ~~~、息子よ。まっ、いいやそれじゃお土産たくさん買って帰るから、楽しみにしていろよ」

「期待しないで待っているぜ」

 それを言い終えると親父の方から電話を切ってきた。

「両親から?」

「親父から返ってくるのが10月に延期になったって」

「そうなんだ・・・、両親には私を紹介してくれるのよね?」

「あっ、ああ」

 また曖昧な返事を返しちまった。

 その後は気不味い雰囲気のまま香澄をバイク、カワサキのZZ―R400に乗せ自宅まで見送った。

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