8
「下がって!」ミルコは叫び、護符を握って術式を唱える。
崩された壁がカタカタと組み合わさり、即席の石壁の形に組み上がった。
ハックがその壁の陰に隠れ、弩を引いた。
「あれ何なん?聞いてへんで!」
逃げてきた一人は女だった。クセのある黒い髪を短く切り揃えており、言葉に
見れば肩を負傷しているらしく、息も荒い
「こんな壁ひとたまりもないですよ」もう一人が言った。子供のような高い声だ。
革鎧にフード、手に握った弓は典型的な
つぶらな目がこっちを見ている。
「逃げましょう」
「ありゃなんだ」ハックが壁の陰からうかがいながら言った。
「おそらく、
土を大きな顎で掘り進み、地上に出ると岩を砕く顎で生き物の骨を砕き丸呑みする。
サンデルの山奥に住む、伝説で聞いたことしかない生き物だ。
「そんな」獣人が抗議した。「迷宮になんて出ることのない生き物ですよ」
「特異点から転送されてきたか、それとも」ミルコは頭をふった。
考えろ、考えろミルコ。
「あなたは後ろで帰還門を開いて」ミルコは魔導士に帰還札を渡した。「開いたらすぐに戻って、援軍を。多分さっきの人たちより早いはずだから。門が開いたらあなたも一緒に戻って」ボルモルに言う。
「そんな!あなたたちは」
「これが暴れて地上に出るようなことになったら大変なことになります。ここには初級のハンターしかいないんだから」ミルコはきっぱりと言った。「ここで足止めして時間を稼ぎます」
「あなたたちだって初級のハンターでしょう!」
「話は後です」ミルコは背嚢からさっきの瓶を取り出した。ドラゴンフライの発火液を集めた瓶だ。
「矢はあと何本ありますか?」
「矢…あと三本」ボルモルは応えた。
「貸してください」
ボルモルは矢を差し出した。
ミルコは瓶の液を慎重に矢尻に塗る。
「ハック、状況は」塗りながら尋ねる。
「一人食われてる」蟲をうかがっていたハックが顔を顰めた。「ありゃ助からねえな」
「もうすぐこの壁が消えます」ミルコは言った。「そうしたらこの矢を撃って。できれば、蟲の顎に向けて。できますか?」
ボルモルが頷いた。
即席の壁がカタカタと音を立て始めた。そろそろ落ちる。
「帰還門は?」
「もうちょいや!」魔導士が叫んだ。
「撃って!」ミルコはボルモルに向かって言った。
ボルモルが矢をつがえ、放った。
矢ははずれ、石壁に当たった。火花が上がり、爆発音がする。
「すげぇな」ハックが口笛を吹いた。
即席の火薬矢だが、効果はあるはずだ。
音と火に驚いた石蟲がギチギチと音を立ててこっちを見た。
ボルモルが二本目の矢を放つ。
今度の矢は石蟲の凶悪な顎の牙の一つに命中した。
爆発音がして、石蟲が甲高い悲鳴をあげた。
「やるじゃねぇか!」
「最後!」
ボルモルの矢はもう一度、あやまたず石蟲の顎に命中する。今度は大きな火花が上がり、石蟲の顔面で火の玉が上がった。
「やった!」ボルモルが歓声をあげた。
「門開いたで!」魔導士が叫んだ。
「行って!」ミルコが叫ぶ。
帰還札が虹色の光を放った。
二人の姿が消える。
「さて」
ばらばらと崩れていく壁の前でハックが立ち上がった。弩弓を構える。
「俺たちも逃げたほうが、良かったんじゃねぇの」
「まさか」ミルコは言った。
「勝ち目があるのか?」
ミルコは頷いた。
「少しだけ足止めできれば、援軍なしで倒せます」
「はぁ?」ハックはおかしそうに笑った。「すげぇこと言うな」
「流石にあれを一太刀では斬れないぞ」スラッシュは言った。「顔があれだけ守られていれば、頭部を落とすのも難しい」
石蟲は苦しそうにもがいていたが、やがて自分を痛めつけた火矢がどこから来たか悟ったようだった。
頭がこちらを見た。
無数の顎門は金属のように硬く、先ほど何度も火矢を受けても、傷一つついていない。
「こっち見てるぞ…」ハックがつぶやいた。
「スラッシュ」ミルコが魔法晶石を握りしめた。
「刀に魔力をこめます」
スラッシュは頷いた。
「石蟲の脚を斬ってください」
「脚?」
「脚にはそれほどの強度はないはずです。魔剣なら落とせる。ハック、陽動して」
「任せろ」
ミルコは魔法晶石を握りしめた。
「行きますよ」
父さん、力を。
「
ミルコの手がスラッシュの刀に伸びた。
刀が青黒い光を放つ。
「今です!行って!」
ハックが跳んだ。
迷宮の壁を蹴り、天井近くまで跳ね上がると、投げナイフを立て続けに放つ。がちん、という音がして石蟲の顎にナイフが当たり跳ね飛ばされる。石蟲がハックを捕らえようと大きく上体をあげたところに、スラッシュが飛び込んだ。
「
「
スラッシュは刀を大きく上に斬り上げた。青い閃光が蟲の体の下、脚を数本切り上げる。
そのままスラッシュは地面を蹴って飛び戻り、刀は再び鞘に戻った。
その横にハックが着地し、そのまま弩弓を掴むと、蟲の目に向かって矢を放った。
蟲の顔面、左の複眼に矢が命中した。
「よし」
石蟲は怒り、悶え、体を穴から這い出そうと動くが、脚を切られたために思うように動くことができない。
だが、その勢いは増していて、完全に怒りに支配されているように見えた。
「効いているのかあれ」
ミルコは再び護符を握ると壁を作り始める。今度は蟲の目の前に壁が積み上がっていく。
怒りのこもった蟲の一撃が、壁を跳ね飛ばした。
ミルコは再び術式を始める。
「何やってるんだ」ハックが言った。「何回組んでも壊されるぞ」
再び石壁が組み上がり、石蟲は顎門でそれを跳ね飛ばした。
「時間を稼いでいます」ミルコは言った。
石蟲はギチギチと威嚇音を上げた。
「おいおい、マジかよ」
ハックがつぶやいた。
スラッシュの斬り落とした脚が再生し始めている。
斬られた脚の隙間から新しい脚が生えてこようとしている。
「もう一回斬るか」こともなげにスラッシュが言った。
「いえ」ミルコは天井を見上げた。
「たぶん大丈夫」
石蟲は新しい脚を使って壁の穴から這い出し、ミルコたちに向かって前進しようとした。
だが、その体は何かに阻まれたように動かない。
ミルコの耳に、聞き覚えのある奇妙な音が聞こえてきた。
理解できない言語で話す幼な子のような、意味のない蜜蜂の羽音のような、静かな森で雪を踏む靴音のような。
「間に合った」ミルコが呟いた。
ミルコは岩蟲が壁を抜いて作った穴を見た。
「うわ」ハックが思わず唸る。
今や小さな囁き声のような声は大きくなり、うねりとなって迷宮を包んでいた。
岩蟲がくり抜いた壁に黒い影が取りついている。
無数の影が蠢き、群がり、その列は迷宮の奥深くへと続いていた。
「なるほどな」スラッシュは呟いた。
「俺たちはただ、時間を稼げばよかった、というわけだ」
小人たちは壁の穴を修復している。
無数の
岩蟲は苦しげに体をよじるが、もはや穴は塞がりはじめており、前に進むことも後ろに下がることもできなくなっている。体を精一杯に折り曲げ、数匹のレプラコーンを跳ね飛ばすが、焼け石に水だ。
しばらく苦しげにのたうっていたが、やがて岩蟲は痙攣し、動かなくなった。
岩蟲の巨大な体が、ぶつん、と切断された。
穴に群がっていた小人たちが一斉に叫んだ。
「プァイ!」
ミルコが思わずびくっとするほどの大きな声になった。
小人たちは満足げにぞろぞろと迷宮の奥に消えていく。
割れた灯りが修復されており、明るい迷宮の床に、体液を流してビクビクとのたくる岩蟲の上半身があった。
「勝ったな」スラッシュが呟いた。
「勝ったのか?」ハックが呟いた。
ミルコがへたりこんだ。
背後で光が上がり、鎧と戦槌で武装した兵士たちが雪崩れ込んできた。
聖騎士団だ。
「先輩!」聞き覚えのある声がした。
「助けに来ましたよ!蟲はどこですか?」
エヴァリスの能天気な声が迷宮中に鳴り響いた。
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