「それにしても」ハックがミルコを振り返った。

「どうしてあんたはそんなに迷宮に詳しいんだ?」

「ギルドの資料室に行っているんです」ミルコは応えた。

「なるほどな」スラッシュが感心した。「妙に博識だとは思ったが、そういうことか」

「昔から本を読むのが好きなんです」ミルコは照れた。

「あと、私はパーティーが全滅して療養することが多かったですから」

 時間だけはあった。傷だらけの体を癒やし、もう一度迷宮に挑もうという気持ちが生まれてくるまで、静かに時間を過ごしたのだ。

 ミルコは護符を握りしめた。

「私のいたサンデルの修道院長先生は、私に知識を蓄えるようにずっと言っていました。それこそが力だと」

 ハックが左手を挙げた。

 ミルコははっ、と黙る。

「何か来る」

 スラッシュが右手を刀の柄にかけて、すっと低くなった。

「あれはなんだ」

 ミルコは目を細めて奥を見た。

「すいません、ここからだとまだ」

「さっきの人形くらいの大きさだ」ハックは言った。「簡単な鎧みたいなのを着ている。左手に何か持っている。ありゃ斧だな」

 ミルコは通路の奥に目を凝らした。鈍い真鍮色の光がかすかに見える。

暗鬼インプです!」ミルコは叫んだ。

 どうやら相手はこちらを見つけたらしく、素早い動きでこちらに向かってきた。三体。

「左!」ハックが鋭く言った。

 スラッシュは低くしていた身を一歩踏み出した。

 鋭い光が闇に向かって伸びる。

 斧を掴んだまま大きく振りかぶった暗鬼の腕を、刀の一閃が斧ごと切り飛ばした。

 くるりとバランスを崩した鬼の首が、返す刀で飛ぶ。

「すごい…」思わずミルコがつぶやいた。

 ハックが右に走っていく。両の手に小刀を握ったまま、踊るように回転すると、暗鬼の首の急所に刀がヒットした。勢いで回廊の石の床に叩きつけられた暗鬼の体を踏み台にして跳び上がると、そのまま後続の鬼を足蹴りにした。倒れた鬼の胸に刀が突き刺さる。

 終了だ。

 ミルコはハックの小刀を見た。

 刃が赤と青の光を放っている。

「魔法遺物…?」

 小刀の刃を血を払うように振り捌いたハックが、不思議そうに刃を見た。

「なんだこいつら?血が出ないのか」

「インプは魔法兵の一種です。血は流れていません」ミルコは刎ねられた首を見下ろした。

 小さな子供くらいの背丈だが、その顔は戯画化されたような皺だらけの老人のものだ。虚な目に黒目はなく、穴のようにも見える。不気味な顔には苦痛の様子もない。

「それほど強くはないですが、それにしても瞬殺でしたね」ミルコは鬼の体から簡易鎧を外し、体にナイフを入れる。粘土を切り裂くような感触を注意深く探ると、ナイフの切先が硬いものに当たった。そのまま体を剥くように割くと、中から親指大ほどの石が出てきた。

「なるほど、これが燃料か」ハックが覗き込んだ。

「インプの体の中には魔法晶石が必ず入っています。回収してください」

 ハックも短刀でインプの体をこじ開けた。スラッシュもそれに倣う。

 親指大の石が三つ、集まった。

「私たちの最初の戦績です」ミルコが微笑んだ。「やりましたね」

「これで金30くらいだな」ハックが値踏みした。

「そうですね」ミルコは小斧を拾い上げた。「これも持って帰りましょう。少しは足しになります」

「こんなもん売れるのか?」

「貴重な金属なので、たくさん集めて溶かせば魔剣の材料になります」ミルコは斧を背嚢に入れた。

「魔剣といえば、その刀」

「これか?」ハックが刀を見せた。

「二本とも魔法遺物なんですね」

「魔法遺物…ってなんだ?」

「…知らないんですか?」

「ああ」ハックは首を傾げた。

「私たちの力で作れないもののことです。その刀は魔力がこめられています」

「わかるのか」

 ミルコは慌てて首をふった。いけない、喋りすぎた、と思う。

「た、多分です」声が小さくなる。「多分…」

 ハックはニヤリ、と笑った。

「お前さん、ただの治療士ヒーラーじゃないな」

「いえ、私は…ただの…」

「おい、よそうぜ」呆れたように首をふる。「あんた、ギルドホールで酔っ払いと揉めた時、何かしようとしていただろ?」

 ミルコは黙って俯いた。

「治療士の術式に喧嘩で使える技はねぇよな」

「ハック」スラッシュが何か言おうとしたが、ハックはそれを手で制した。

「あのな、嬢ちゃん」ハックはじっとミルコの目を見た。赤い左目がこちらを真っ直ぐに見つめている。

「俺たちはギルドで、あんたの下につくように言われて来た。たまたまなのか何か意図があるのかは知らねぇよ、言ってみりゃあんたと俺たちはそれだけの関係だ」

 ミルコは目を伏せた。

「だけどな、嬢ちゃん」ハックは真剣な顔で言った。「俺はあんたに背中を預けるんだ。今はたまたま組んでいるだけの関係だったとしても、ここについてほとんど何も知らない俺たちにとってはあんたが頼みだ」

 ハックはすっと左手を伸ばし、ミルコの肩を優しく掴んだ。

「俺とスラッシュは傭兵だ。金で雇われて人殺しをしてきた。だが俺たちは戦場で嘘をつくことだけはしない。それが最低限の関係を守る絆だからな。だから」

 ハックの声は硬いが、優しい、とミルコは思った。

「言いたくない不利益なことだったとしても、隠し事はしたくないんだ」

「すみません…」

 ミルコは伏せていた顔を上げた。

「ミルコ、間違っていたらすまん」黙っていたスラッシュがおもむろに口を開いた。

「あんた、戦鍛治ウォーロックだな?」


 少女は工房の片隅で魔法鋼マグタイトを鍛錬する青い光を眺めていた。

 魔法鋼を鍛錬して刀にするには術式がいる。故に彼らはただの鍛治ではなく、魔法鋼と鉄や銀、銅を混ぜて鍛錬し、魔法武器と呼ばれる道具を作る一族である。

 サンデルのような山に住むドウェルグといわれる種族には、このような鍛治が多くいる。彼らは鍛治だけではなく、物質に魔力を付与したり化学式を操る力を使う。

 古来から数少ない徒弟制度でその技を守ってきた彼らは、畏怖を込めて戦鍛治ウォーロックと呼ばれている。

 少女の父は山のドウェルグに師事し、その術式を操れる数少ない術師の一人だった。

 少女の父は少女にその技を継がせるつもりで少女を鍛えた。物心ついた時から様々な技術を仕込まれ、これからというときに、少女の父は死んだ。

 少女が生きていくためには誰かの庇護が必要だった。


「私は修道院に入って、聖騎士たちの槍を作る仕事をしながらドウェルグたちに技を習いました」ミルコは言った。「でも、修道院の院長先生は私に治療士としての道を歩ませようとしました」

「なぜだ」ハックは不思議そうに言った。「その技は絶対に役立つだろう」

 ミルコは悲しそうに微笑んだ。

「私が女だから、です」

「女の鍛治は嫌がられる」スラッシュが静かに言った。「俺の刀を鍛えた戦鍛治の村にも、女はいなかった」

「山神が嫉妬するから、ドウェルグたちは仕事場に女を入れないんです」ミルコは言った。

「私が成長して子供から大人になるにつれて、私に仕事を教えるのをドウェルグたちは嫌がるようになりました」

「なんだそりゃ」ハックはため息をついた。「なら最初から教えなきゃいいじゃねぇか。あんたの親父さんもそうなるのはわかっていただろうに」


 ミルコにはわかる。

 あのときあの青い光に私が手を伸ばしたからだ。

「ミルコもこれ、やう」と片言で言ったとき、父は優しく微笑んで、

「おう、やってみるか」

と言ったのだ。

 父は私の希望を叶えたかったのだとミルコは思う。


「私はこの技を封印して修道士になりました。でも、諦めたわけではなくて、この技をマスターしたい気持ちはずっと持っていました。修道院で修行するならば魔法は禁忌です。でも」

「迷宮なら、二つの技を磨いていくことができる」ハックが応えた。

「そうなんです」

 ミルコは言った。

「戦鍛治であり治療士でもある。それが私の望みです。そしてその中途半端な希望が、私のパーティーに危機をもたらしてしまった」涙が流れる。「私が高望みせずに、治療士に専念していれば、もっと優秀な治療士になれたはずなんです。でも私はそうしなかった。私の判断に迷いが生まれるたびに、パーティーの動きは乱れました。パーティーが全滅したのは私のせいなんです」

 ミルコは顔を覆った。「最悪ですよね…私は本当はここにいるべきじゃないのかもしれません」

「ん?なんで?」

 ハックは心底不思議そうな顔で言った。

「…え?」ミルコはハックを見た。

 ハックは笑っている。

「最強じゃねぇのか?治療もできて、支援もできる。魔法遺物の知識もあるし、聖典も読んでいる。それってすげぇことじゃねぇのか?」ハックはスラッシュを見た。「なぁ?」

「これ以上は望めない人材だな」スラッシュも微笑んでいる。

「最強の後方支援じゃねぇか。俺たちは運がいい」ハックは言った。

「戦鍛治の技なら俺の刀を強くしてくれるものもいくつかあるだろう」スラッシュが言った。「面白いものが斬れそうだ」

「なあ」ハックは言った。「あの酔っ払いとの悶着のとき、あんたはウェイトレスを放っておくこともできた。だがそうしないで、魔法を使ってそれを止めようとした。俺たちはあのとき、あんたのことを面白いやつだと思ったんだぜ。それは今も変わらねえ。どころか、おもしれぇ。やりたいようにやれよ。それでいいじゃねぇか」

 ハックは赤い目を瞑って見せた。

「迷いなんて吹っ飛ぶくらい俺たちが速く動いてやるよ」

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