第14話 蘭奢待(3)

 大和国奈良の多聞山城で蘭奢待を得た信長は、

四日間、城に滞在し、

翌月はじめ、京へ戻り、宿所の相国寺しょうこくじに落ち着いた。


 三日には、石山本願寺が挙兵したとの報を受け、

信長は軍勢を派遣し、一帯を焼き払うよう、指示を出した。

 

 その日は、千利休と津田宗及という、

二人の名だたる茶人を招いての茶会が予定されていた。

 本願寺の反旗はあったが、決定の変更を嫌う信長の性格上、

茶会は行われ、その場で初めて、蘭奢待が焚かれた。


 隣室に控えていた仙千代と竹丸にも香りは届き、

匂いを感じた瞬間、思わず二人で見合わせた。

いつもの信長の伽羅きゃらの薫りを一段と深め、

澄んで清らかにしたような言うに言われぬ甘い香りは、

千年かかって辿り着くという伝説の桃源郷を思わせた。


 茶会の最後、前以て信長から言われていたとおり、

仙千代は小さな木箱が二つ乗せられた盆を客人二人の前に運び、

竹丸が恭しくうやうやしく一つづつ手渡した。


 信長は、切り取った二片の一片を正親町天皇おうぎまちてんのうに贈り、

残りは仏師に命じて細かく切らせ、

化粧箱に収めた蘭奢待を有力な茶人に与えたのだった。

 信長は同じようなものを十数個作り、

この先も随意、下賜する腹積もりのようだった。


 茶会の前、仙千代と竹丸が茶事の準備を済ませ、

蘭奢待の数量や下賜先の名を記録していると、


 「竹と仙には、やらずにおれまい」


 と信長は言い、二人に蘭奢待を一箱づつ、分け与えた。


 以前の仙千代ならば畏れ多いと恐縮し、

受け取ることを躊躇したに違いなかったが、

信長の為すことを拒むことは一切できないと今ではもう知っていて、

竹丸が、


 「望外の幸せ!末代までの栄誉でございます!」


 と言うと、直ぐに仙千代も、


 「無上の喜び、天にも昇る気持ちでございます!」


 と続けた。


 その時の信長はこれ見よがしでもなければ、

無論、恩着せがましさもなく、茫洋とした面持ちで、

二人の反応に接すると、ただ満足気に頷いた。


 茶事の後、今度は片付けに回った仙千代は、

やはり同じ作業をしている竹丸に、


 「びっくりした。まさか、蘭奢待を賜るとは」


 と、手を休めないまま言った。


 「うん、驚いた。儂は父上に差し上げようかと思う」


 竹丸の父、長谷川与次は織田家中、屈指の茶道通だった。


 「仙千代も万見様に?」


 「折りを見て、そうするつもりだ。

殿の伽羅でさえ、希少な逸品であるのに、蘭奢待とは……」


 「殿は、やはり、ああした御性格なのだな」


 「うむ」


 竹丸の言う「ああした御性格」の意を仙千代も察した。

信長は自身の欲に忠実である一方、

世の価値観に頓着のないところがあって、

蘭奢待も切り取ることにより目的を果たせば、

手元に残す、残さないは興味の外なのだった。


 仙千代は少し声を低くし、竹丸に告げた。


 「しかし……帝にお贈りになられたことは如何なものか。

帝のお許しを得て拝見し、切り取った蘭奢待を、

殿は帝に贈られた。

殿の御気持ちを帝は御理解なさるだろうか」


 「うむ……確かに殿は、

人心の機微にぞんざいであらせられる部分がおありになる。

なれど、あの御気性ゆえ、織田家の今日があることも、

また事実。内裏だいりは伏魔殿だと聞き及ぶ。

あちらはあちらで蘭奢待を無駄にはすまい」


 「無駄には?というと?」


 「殿の敵対勢力に贈ってやれば、帝の支えが増えるではないか。

その時は殿が贈った蘭奢待だということがまた重要で、

授かる相手にしてみれば、我こそが帝の信を得ていると考える」


 「なるほど。伏魔殿とは左様なことか。

ううむ、帝は毛利あたりに下賜されるのか」


 「殿もその辺り、お考えの内やもしれぬ。

帝がどうなさるのか、いくらか、興味がおありかも」


 「いくらか、な」


 「まあ、その程度であろうが」


 最後は二人で少し笑ってしまった。


 殿が虎なら、帝は化け狐あたりか……


 百年続く戦国の世で、内裏は見る影もなく落ちぶれて、

御所も荒み切って崩れかけていたものを、

足利義昭を奉じて上洛した信長が、

保護と援助を与え、回復させた。


 帝の蘭奢待は果たしてどちらに渡るのか……


 仙千代は、

物事には表があれば裏もあると、つくづく思った。




 


 





 



 


 


 






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