第12話 蘭奢待(1)

 元旦の余興の「一滴残し」で負けを喫した竹丸は、

それから数日、顔色が悪く、

どうやら酒を余り受け付けない質だと知れて、

以降、酒席で酒をすすめられても盃一杯、二杯でとどめ、

時折、大和の国から瓜の粕漬が送られてきて、

小姓達の口にも入るという機会に恵まれてさえ、


 「儂は遠慮しておく」


 と、その程度であっても、

酒の類いを遠ざけるようになってしまった。


 よほどあの夜、懲りたのか……

それにしても慎重な……

竹丸らしいといえば竹丸か……


 と仙千代は可笑しかった。

仙千代は、自分なら、

酒に強くなる稽古をするだろうと思い、

そんな自分も呆れたものだと、これもまた可笑しかった。


 冬場は雪氷の為、大きな合戦は基本的に行われない。

信長の冬は執務と息抜きの鷹狩りだった。

 執務も鷹狩りも、信忠が共に居ることが多い。

信忠は今では尾張美濃のまつりごとに関しては独自の判断で、

書状を発布することが増えていた。


 ある時は、信忠の名による書状を携えて、

堀秀政、仙千代、竹丸という三人で、

尾張の本願寺系の寺院である善勝寺に使者として出向き、

一向一揆を支援しているのではないか、

否と言うのであれば軍資金を供与せよと糾問すると、

織田家の御膝元で左様なことをするはずはないと言いつつも、

のらくらと資金供与を拒んだので、帰城して結果を伝えると、

その後、信忠の主導で善勝寺は焼き討ちとなった。

領内の本願寺系寺院を尽くことごとく焼かれたくなくば、

万が一にも、

織田家の本領地内で顕如に与するくみすることは無いようにという強戒で、

善勝寺はその為の見せしめだった。


 堀秀政は信長の亡き舅、斎藤道三の臣下の家の出で、

羽柴秀吉が木下秀吉と名乗っていた頃は秀吉に仕え、

やがて才気を買われ、信長付きの小姓となった。

 仙千代と竹丸は、

信長の側近として信が厚い秀政に付いて働くことが、

徐々に多くなっていた。


 弥生に入り、とある夕べ、

岐阜城の家臣団屋敷地にある秀政の邸で、

仙千代、竹丸、彦七郎、彦八郎は夕餉を馳走になった。


 秀政の邸には、岐阜へ初めてやって来た日に、

仙千代ら鯏浦うぐいうらからの三人組は一泊させてもらい、

翌日は、例の広小路堅三蔵ひろこうじたてみつくら事件があった。


 しばらく、仙千代達が岐阜へ来た当時の思い出話が弾んだ後、

秀政が「蘭奢待らんじゃたい」という耳慣れない言葉を口にした。


 「蘭奢待?初めて聞きます。どのような字なのですか」


 仙千代に秀政が答えた。


 「花の蘭、豪奢の奢、待機の待。

正倉院目録では黄熟香おうじゅくこうと言って、

聖武天皇が名付けられた雅な名を蘭奢待と言うのだ」


 「聖武天皇……奈良時代?

正倉院といえば、東大寺の管理だと聞きまする」


 仙千代と秀政の会話が続いた。


 「うむ。蘭奢待という三文字には、東、大、寺と入っておろう?

南方からの貴重な香木で、

帝のお許しがなくては見ることさえも叶わぬ宝物ほうもつなのだ。

蘭麝らんじゃというのは良い香りという意味で、

聖武天皇自ら建立された東大寺への思いが込められている」


 仙千代、彦七郎、彦八郎は見合わせた。

三人が三人とも、口をぽかんと開けている。

それほどまでに珍しい香木とは如何なるものか、

想像に想像を重ねてみたが、どうにもピンとこない。


 「竹丸は、どうやら知っておるようだな」


 「はい。父が香道を嗜みますので、蘭奢待の謂れは、

聞き知っております。して、蘭奢待がどうかしたのですか」


 「近々、殿が蘭奢待を拝見されるやもしれぬ」


 竹丸が驚嘆し、


 「そ、それは!名誉の上にも名誉なこと」


 秀政は竹丸に頷いた。

仙千代はじめ、残りの三人は、蘭奢待というものの有難味、

存在の重さを、まだ理解できていなかった。


 






 











 


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