第6話 桃源郷ここに在り③
「ん……」
まつ毛に仄かに伝わるくすぐったさ。瞼を痙攣させ意識を取り戻すジル。
目を覚ますと光を失ったシャンデリアが目に入り、少し視線を落とすと、自分が寝ているベッドに腰掛け羽扇子で仰いでくる金髪のサキュバスの姿が在った。小さく太い一本角の生えたサキュバスはジルが目を覚ましたことに気付き重そうにしていた瞼を開く。
「あ!起きた!お兄さん、大丈夫?」
純粋な安堵と喜びを浮かべたその顔はあどけない少女のものであったが、しかし艶やかで張りのある肢体を晒したその姿はベットの上という事もあってかジルの視線を大きく逸らさせた。
「こ、ここは?」
頭の中で必死に露店の老婆、ミーナの顔を思い浮かべ一部に集中する熱を抑えながら平静を装うジルであったが、相手の性的興奮を敏感に感じ取れるサキュバスにとってその努力は無意味であった。
「ここはアタシの部屋だよ~。お兄さん、広間で気絶しちゃったからここに担ぎ込まれてきたんだよ?」
「う……。そうだったのか……。申し訳ない。とんだ迷惑を……」
恥ずかしいやら情けないやらで声が縮こまる。サキュバスは何も気にしていない様子でジルの頭を乱雑に撫でると彼の目覚めを伝えに出て行った。しばらくすると軽めのノックの後にコークが入ってきた。
「良かった。お目覚めになられたのですね。驚きましたよ、急にお倒れになられたので」
「お恥ずかしい。あまりにサキュバスが魅力的過ぎて、興奮のあまり……」
その言葉に背後で部屋の様子を窺っていた数名のサキュバスが黄色い声を上げる。コークは彼女達を厳しい目で一瞥すると部屋の扉を閉め、ジルに対し深々と頭(こうべ)を垂れた。
「彼女達を止めるべきでした。不快な思いをさせて誠に申し訳ございません」
「とんでもない。貴方の落ち度ではない。それに不快どころか、彼女達は魅力的でとても良い印象を持っているよ。ただ……」
僅かな躊躇いの後、ジルは外に居る野次馬に聞かれないよう小声で伝える。
「自分は女性に対しての耐性が皆無でね……。出来れば彼女達にあまり触れてほしくない、というか、近付いて来てほしくないんだ。少しだけ距離を置いた状態で彼女達を見たいのだが、どうだろう?」
女性に耐性の無い人間がサキュバス専門の奴隷商館に来るのは如何なものかと思われそうであるが、しかしコークは彼の提案を快諾。なるべく一方的にジルが『商品』を鑑賞できるようコークが案内を務める事となった。
「立てますか?」
「問題無い。俺はどれだけ気を失っていた?」
「数分程度といったところでしょうか」
「そうか。ロバートは?」
「広間でサキュバス達と宴会をしております。彼は非常に女性の扱いがお上手な方です。あっという間にこの屋敷のサキュバスを掌握なされてしまった」
「流石だな……」
相方に気を遣わせてしまったかと心配していたが杞憂に終わりそうだ。彼は彼で愉しくやっているらしい。
「それでは、案内しましょう」
その後、周囲のサキュバスの熱い視線を一身に受けながらジルはコークの後ろについて回り、屋敷の中を見て回った。屋敷の中は居住スペースと広間の二つに分かれているが、事前に受けた説明通り枷も何も着けられていないサキュバスが自由に行き来し、寛いでいた。
「ここに居る者全員がサキュバスなのか?」
「左様でございます」
サキュバス専門の娼館なのだから当然だろう、という旨の答え方はしない。
「淫魔としての能力を持つ者がサキュバスと呼称されます。無論、文献や噂で馴染みのある姿の者も居りますが、御覧の通り人間同然の外見を持つ者もおります。なので人間社会に溶け込んでいるサキュバスも少なからずは存在しますね」
「なるほど……」
昔、実はあの子がサキュバスだったらと妄想して楽しむ事があった彼としてはまたとない朗報であった。
露出の多いサキュバス達の誘惑に耐えつつ、しかししっかりとその魅力を堪能したジル。一通り見て回ったところで、宙を漂うサキュバスに手を振り返しながら、それまで丁寧に案内を続けてくれていたコークに尋ねた。
「それにしても、奴隷の娼館にしては随分自由にさせているのだな」
「逃げ出す危険性がありませんからね。施錠も枷も必要無いのです」
コークもジルも二階の廊下の手すりに手を掛け、中央の広間を見下ろす。そこではロバートが山盛りの美女と酒に囲まれ文字通りの酒池肉林を堪能していた。
「彼女達は淫魔としての欲を満たす為に自ら進んで奴隷になった者が殆どなのです。サキュバスは自らの姿と魔力を保つために定期的に男の精を吸収しなくてはならないのですが、誰かの奴隷になれば供給源に困ることはなくなりますからね」
「そんなまどろっこしい事をしなくても普通に男を襲えば良いのでは?寧ろ俺の中のサキュバスのイメージはそんな感じなんだが」
「無論、そうやって生きる道もあります。が、サキュバスも誰でも良いというわけにはいかないのです。上質な精、上質な魔力、上質な躰を持つ者から吸収する方が彼女達にとっても好ましいのです。故に、富裕層が多く訪れるこの娼館が彼女達にとって最も良質な『狩場』なのですな」
「なるほど。需要と供給が成り立ってるわけだ……」
「左様です。ただ、当館のサキュバスはかなり強力な淫魔を持つ者が揃っております故、生半可な覚悟と性欲で購入されると大変な目に遭います。そのあまりに強烈な淫魔に耐えられず返品される事も多々ございます」
「そ、そんなにか……」
「はい。なので当館ではまず数日間のレンタルの後、ご購入頂くという手筈を取っていただくことになります。因みに一日貸出も行っておりますが、如何でしょう?」
「…………今は保留で」
「畏まりました」
自分の想像を遥かに超えるサキュバスという存在を知り、強い緊張と仄かな興奮に生唾を呑むジル。
「しかし……。ロバート様は女性の扱いもさることながら、あれだけの数のサキュバスに囲まれ魔力と精を吸収されながらも平然としておられるのは見事としか言いようがありませんね」
「脳と下半身が直結したような奴だからな、アイツは」
自分の噂話を耳にしてか、ただの偶然か、広間で大騒ぎしていたロバートが二階の二人に気付く。彼は名残惜しそうにサキュバス達の肢体を撫でた後、階段を登り二人の下へやって来た。
「よぉ!ジル!目が覚めたみたいだな!」
身体中に接吻の跡を着けられた男が幸せの絶頂と言わんばかりに満面の笑みを浮かべジルの肩を叩く。
「お前にはまだサキュバスは早かったか?」
「少しびっくりしただけだ。そういうお前は随分楽しんでるみたいじゃないか」
「おうともさ!ここはまさに男の桃源郷だぜ。最高の商館だな!」
これ以上のない称賛に頭を下げるコーク。ただ、その称賛に続くロバートの言葉は少し沈んでいた。
「それにしても、随分数が減った気がするな?空き部屋も多いみたいだし」
その問いに、コークは逡巡の後に口を開く。
「そうですね。最近、とあるお客様が一気にご購入されていきましたので。確か、十八名ほどであったと記憶しております」
「「十八!?」」
声を揃えて驚くジルとロバート。どれだけ金と性欲が在り余っているというのだろうか。同時に五人は相手に出来る自信はあったのだが、世の中は広いものだと唸るロバート。
「数は確かに減りましたが、それでも当館には上物が揃っておりますのでご安心ください」
「あぁ、それは分かってるよ。みんな非常に魅力的だ!全員もらって帰りたいぐらいにね!」
もし金があればコイツなら本当にやりかねないだろう。そう思いながらジルはセラに渡された財布を隠すようにそっと握った。
「時間はまだございます。心行くまで品定めしていってください」
言われるまでも無く、ロバートは二階から飛び降り再び肉欲の園へと飛び込んで行った。迷い無く自分の劣情に素直になる彼の姿に呆れながらも羨望の眼差しも合わせて送るジル。
自分ももう少し見て回ろうかと視線を上げた際、ふと、二階の廊下の奥にある階段が目に入った。らせん状のその階段からは微かな橙の灯が揺らめき、広間の明るさとは正反対の静けさを漂わせている。
「三階もあるのか。そこも居住区か?」
「居住区……と言えばそうなのですが……」
ここで初めてコークの言葉が淀んだ。今まで丁寧ではっきりとした喋り方をしていた青年の違和感のある反応にジルは興味を抱かずにはいられなかった。
「そこにもサキュバスが?」
「ええ、居ます。ですが、あまりお勧めはできない商品ですが、御覧になられますか?」
是非、と即答する客人を、では、と案内するコーク。
短い螺旋階段を上がった先には二階の内装とほぼ変わらぬ景色が広がっていたが、しかし奴隷の部屋は大きく違っていた。奴隷の住む部屋の壁は取り払われ、代わりに分厚い鉄格子が張り巡らされ部屋の中が一望できるようになっており、入口の扉は固く施錠されていた。それは、以前にジルがセラを購入したアシモフの娼館の内装と似ていた。
個人部屋が、それも贅沢な家具まであてがわれている時点で奴隷の扱いとしてはかなり上等なのだが、それでも下層とは隔絶されたような冷たく暗い雰囲気にジルの顔から火照りが消えた。
「何やら雰囲気が違うな」
「先ほども申し上げましたように、当館のサキュバスはその殆どが自ら望んでここに居ります。しかし、この環境に適応できない者や望まぬかたちで売り飛ばされ反抗的な者も少なからず存在します。この三階はそういった者を収容する階層なのです。と言っても、今は一人しか居りませぬが……」
言われてみれば成程、どの部屋を見ても殆どが空室で生活の気配が無い。階段を登って一番奥の突き当りの右の部屋。そこに唯一、三階に収容されているサキュバスの奴隷は存在した。
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