第4話 悪魔を討つ
オズガルド帝国。
今から二年前のレギンドの大戦の戦勝国であり、今や大陸の覇権を握る巨大国家。
レギンドの大戦は「帝国 対 大陸のその他連合国」という構図で勃発し、戦争に参加した人間や魔物の数は十万を優に越えていた。
始めの内は拮抗していたように見えた戦況であったが、鍛え上げられた帝国軍の突破力、連合国軍を上回る武器の質と量、連合国軍の倍以上の従軍魔族、そして終盤で頻発した帝国側への寝返りなどが原因で連合国側は敗れた。
結果、帝国の王であるアダン=ベンティスが名実ともに大陸の覇者となり、オズガルド帝国国王とその息子らによる大陸の統治が始まった。
オズガルド帝国は大きく三つに分かれており、王と次男が治める第一帝国、長男が治める第二帝国、そして三男が治める第三帝国が存在する。
戦勝国の主である彼らの生活は言うまでも無く贅の限りを尽くしたものとなっており、特に第三帝国を治める皇子、ソリア=ベンティスの豪遊っぷりは大陸中に轟いていた。
高価な装飾品や宝石、美術品の収集や連夜の豪勢な祭事等は勿論の事、彼の名を特に有名にしたのは所有する奴隷の数及びその奴隷の扱いである。
彼の所有する奴隷の数は側近だけで五十を超え、男女魔族全て合わせると三百を下らない。男には過酷な労働を強い、女は自身の情欲を満たす道具として使われる。
奴隷同士で殺し合いをさせたり男の奴隷に女の奴隷を襲わせたりと非人道的な行いも平然とやってのけ、使えなくなった奴隷は捨てられるだけならまだ幸せな方で、中には新開発の武器や未知の魔法の実験台にされる者も居た。
そんな奴隷遊びの激しい皇子であったが決して暴君というわけでは無く、寧ろ国民からの人気は高かった。
他国から搾取した資源や金を勿体ぶることなく国民に分け与え、尚且つ国民の暮らしを向上させるような施設を多数建造し、福利も手厚く、帝国国民であれば十分以上に恵まれた生活が保障されていた。
その分他国からの税や資源の搾取は苛烈を極め、他国から最も嫌われた皇子でもある。因みに、帝国に住む全員がその富を享受しているわけではない。他の国籍の人間や戦争によって国を失った者は帝国に住むことは出来るが帝国国籍は与えられず差別の対象となる。
また、そうして受け入れた人間が国から抜け出せなくなるような法律を制定し、わざと貧富の差を作り出すことでより一層帝国国民であることの喜びを民衆に植え付けていた。
そんな栄華と困窮が極端に絡み合っている平和な国で今、不穏な動きが。
広大な平野のど真ん中に位置する巨大都市第三帝国。外敵を一切考慮しないその立地は自国の戦力に対する自信の表れかそれとも誰も攻め入らないであろうという慢心か。
都市の中心部には権力を誇示するべく建てられたのであろうと一目見て分かるほど巨大な城があり、そこを基盤として町が広がっている。
その城の最上階にある王の自室。数々の豪勢な宝石や装飾品に彩られた部屋には、早朝から激しい女遊びに勤しみ熱の籠った疲労と共にベッドに仰向けで寝転がる第三皇子の姿があった。
身体は鋼のように鍛え上げられた肉で覆われており神殿に起立する彫刻のように美しい。僅かに逆立った金色の短い頭髪、そして仄かな釣り目から覗く翠緑の瞳からは好青年の清爽が窺える。
彼の周囲には激しく情欲を打ち付けられたことにより放心状態となった女奴隷達が転がっていた。その誰もが皆息を飲むような美しさであるが皇子のコレクションの中では高い位置付けの存在ではない。が、彼らはまだ幸せな部類である。同衾の相手として選ばれている以上、命までは取られないのだから。
「邪魔だ、失せろ」
野性味溢れる荒い声で告げ、傍に居た奴隷の剥き出しの臀部を平手で張ると、奴隷は俯せのまま嬌声を上げた。主人の命令故速やかに退室しなくてはならないのは分かっているのだが、未だに電の如く全身を駆け巡る快楽の余韻は彼女達の肢体を縛っていた。
仕方がないので外に待機させている従者に片付けを命じようと枕元の呼び鈴に手を伸ばそうとしたのだが、それより先に部屋の扉が鳴る。
『ソリア皇子。バーナでございます』
扉越しの声に、ソリアは入室を促した。重たい扉がゆっくり開くと、熊のように屈強で毛深い中年の男が甲冑のヘルメットを脇に抱え二歩だけ部屋に入り、素早く跪く。
「失礼します。第二大隊隊長バーナ=ウィリス。報告の為馳せ参じました」
「楽にせよ」
「はっ……!」
バーナは立ち上がると、辺りを見渡し微笑を漏らす。
「朝から随分とお楽しみのようですな」
その軽口を許容する度量をソリアは持ち合わせており、また、バーナもそれを理解していた。
「ああ、今日は少し張り切り過ぎてしまってな、この様だ。不躾な格好での対応で悪いな」
「なんの。ソリア皇子の威厳は衣服の有無如きで揺らぐ事はございませぬ」
「して、わざわざ私の自室にまで報告にやって来たという事は……。例の件であろう?」
「その通りでございます。『悪魔狩り』の兵力が十分に揃いました。何時でも出陣、若しくは迎え撃つ準備は出来ております」
「兵力を述べよ」
「は……。先ずは帝国軍の精鋭400人及び魔導士、魔術師が計100名。これはあくまでも不測の事態の為の備えでございます。『悪魔』に差し向けるのは主に従軍魔族と傭兵であり、魔族軍はオーク種やドワーフ種が合わせて約200体、そしてギガースが2体に加え名うての傭兵が約300となっております」
その報告を受け、ソリアの顔に冷気が差した。裏切られた期待と浅い思慮の部下を嘆くように瞳の色が鈍る。
「足りぬ。その倍用意せよ」
「……ば、倍ですか?」
「そうだ。さっさと行動に移れ。猶予は無いぞ」
「は……、ははぁっ!直ちに!」
バーナは強靭な糸で締め付けられたかのように一瞬硬直すると、逃げるように駆け足で部屋から出て行った。
「随分と騒々しいことで」
バーナと入れ違いで部屋に入って来たのは、薄手の白いローブで全身を隠した一人の男。王の御前であるにも関わらず辞儀も無く、しかも襟で口元を隠し更にフードまで被ったままという無礼な装いと振る舞いであったが王は気にも留めず溜息を漏らし言う。
「バーナの奴、随分と平和ボケしているようだ。あの程度の戦力で十分だとぬかすとはな」
その言葉に男は濁った灰色の瞳を覗かせ応える。
「平和は戦士にとって毒となります。故に、今まで以上の厳しい軍規と訓練が求められましょう。ただ、今の世は帝国一強の時代。平和ボケも致し方なき事でしょうな……」
「敵が居ないというのも考えものだな。して、マルドムよ。貴様の進捗はどうなのだ?」
ソリアの問いに、ここで漸く男は小さく頭を下げた。
彼の名はマルドム。オスガルド第三帝国独立参謀部隊隊長にして『第三帝国の影』と囁かれる男である。
「例のエルフを売り物にしていた商館に行きましたが、主人のアシモフはエルフに関する一切の情報を明かすことは無く帝国への協力も拒否しました」
「ふむ。商人の鏡だな」
「脅して情報を抜き出すか、若しくはエルフを奪う協力を強いるか……。やりようはいくらでもありましたが、穏便に済ませて参りました」
「うむ、それで良い。民間人に対し下手に武力や権力で脅しを掛けるのは好ましくない。下らぬ火種を産むことになる。結局の所、我々のような貴族や兵士は民間人が居なければ生活もままならぬのだからな。民衆程敵に回して厄介なものは無い」
「ですな。一応口封じはしておきました。監視も付けておりますので不穏な動きがあれば反逆罪として捉える手筈も整っておりますので御安心を。あぁ、それとですね。エルフを奪うに当って邪魔なレッドデビルに関してですが、此方の方は既に策は練ってあります。皇子は万全の準備を以て彼女をお迎えくださればよろしいかと」
「そうか。貴様がそう言うのであれば私も口は出さぬ」
ソリアは全裸のまま立ち上がるとベッドの横にあるワインボトルをグラスに傾け、深い紅を帯びたそれを喉に流し込む。
「私は酒は断っておりますので」
誘うように差し出された空のグラスをマルドムは丁重に断った。王の誘いを無碍にする。決して赦される行為ではなかったが、しかしソリアは度量の有る笑みを浮かべた。
「そう言えば皇子、先程下らぬ火種とおっしゃいましたが、レッドデビルの奴隷を奪う行為は火種どころか大火になるのではございませんか?」
既にマルドムの業務は終えており、今の問いは世間話程度の発言である。これにソリアは気を良くしたのか口元を吊り上げ杯を一気に干した。
「奴は悪名高い男だ。奴を討伐したとなれば我が国の評判も、そして私の評価も上がる。例のエルフも手に入り一石二鳥というわけだ。構図は姫を奪いに来た悪魔を討伐する勇敢な皇子、といったところか」
「そう分かりやすくいきますでしょうか」
挑発めいたマルドムの言葉にソリアは自信に満ちた破顔を以て応える。
「民衆というのは御しやすい生き物だ。分かりやすい美談を好む。真実に目を向けようとせずただ目の前の悦と快楽に浸りたがる。特に私に心酔する者の多いこの国の民はな。彼らが口伝し、勝手に脚色を加えて私の名を更に上げてくれることだろう」
とは言え。とソリアは続ける。
「そもそも私の目的はあのエルフなのだ。彼女さえ手に入れば、民衆の評価などどうでも良いのだがな」
「やはり貴方は、恐ろしいお方だ」
「貴様ほどではないさ」
ソリアが二杯目の酒を注ぎ始めたところでマルドムは部屋を後にする。が、扉を開いた先で甲冑を着込んだ猫背の兵士が一人、彼の眼前を横切った。
「誰だ?お前は」
顔は見えないが帝国の甲冑を着ているので帝国の兵士であろう。しかしその甲冑は下位の兵士に与えられるもので皇子の部屋があるこの階層に来て良い存在ではない。不審がるのも当然の事だ。
マルドムに呼び止められた兵士は素っ頓狂な声を漏らし、慌ててマルドムの方を向き背筋を正す。
「もっ!申し訳ありません!此方にバーナ様がおられると聞いてきたのですが……」
「何かの報告か?バーナ殿はもう第二大隊の持ち場に戻られたぞ」
「あっ、そうなんですね……」
「貴様、新人か?」
「え?あ、はい。入隊して一週間になります……」
「そうか。ならばここに立ち入った事は今回のみ赦そう。ここはソリア皇子おられる階層だ。お前のような下級兵士が入ってよい場所ではない。もしこの階層の者に用があるならば下の者に話を通せ。よいな?」
「あ!はいっ!御指導ありがとうございます!」
兵士は再び姿勢を正すと音を立てないよう小走りで階下へ繋がる階段のある方へと向かっていった。
「……フン、あんな下級兵士がこんなところに立ち入るのを誰も止めぬとは……。平和ボケ、か」
目を細め、兵士の背中を見送るマルドム。
この日を境に軍の規律が更に厳しくなったのだが、それがここで出くわした下級兵士のせいであることは誰にも知られていない……。
―――――
「ほっ、ほっ、ほっ」
甲冑が擦れ合う音を鳴らしながら走る一人の兵士。
広大な帝国軍の敷地内。その中の隅にある部隊の更に隅に存在する小さな部隊の敷地内。その隅にある小さなボロ小屋の影に兵士は飛び込むと。周囲に誰も居ないか確認しヘルメットを外した。
「ふぃ~。あっちぃな。このクソ暑いのにこんなもん被るなんて自殺行為だぜ。汗で蒸れてくせぇしよ……」
濃淡歪な赤髪がヘルメットの中から姿を現す。先程ソリア皇子の部屋の前に居た兵士の正体はロバートであった。
「あの皇子も、バカじゃねぇな」
甲冑を脱ぎながら呟く。ロバートは皇子の部屋で起きた一連のやり取りを盗み聞きしていた。ロバートにとって、強者故に手薄な皇子の部屋がある階層に忍び込むことなど容易い事であった。因みに、甲冑は上司の物を勝手に拝借している。
「戦力もかなりのもんだし、さぁて、ジルはどうすんのかねぇ……」
別にジルの手助けをする為に諜報活動をしたわけではなく、ただの興味本位で行動しただけのロバート。目的を終え持ち場に戻ると早速上司からの叱責が飛んできた。
「オラァ!スワンてめぇ今までどこに行ってやがった!洗濯物が溜まってんだぞ!お前、もしかしてサボってんじゃねぇよなぁ!?サボったらまた飯抜きだぞ!分かってんのか!!分かってんならさっさと洗ってきやがれ!!」
「へ~い。サーセン」
いつも通り飲んだくれている上司のありがたい御命令を承ったロバートはいつもの洗濯場へと向かった。そこでは既に先輩のジメドが悪臭に眉を顰めながら衣服を揉み洗いしていた。
「あ!スワン君やっと来たね!どこ行ってたのさ!」
「すんません、ちょっとトイレに……」
下っ端の下っ端の二人は今日もせっせと洗濯作業である。そして今日も今日とてジメドは仕入れてきたレッドデビルに関する情報をロバートに小声で伝えるのだ。
今日の内容は軍隊内でレッドデビルに関する情報の箝口令が敷かれた事、遂に帝国の戦力が整い、いよいよ攻め込むのではないかというものであった。
先程皇子の口から耳にしてきた内容と擦り合わせ精査するロバート。考え事をしている真顔の後輩にジメドが無邪気な笑みを浮かべ問う。
「どうかな?レッドデビルは勝てるかな?」
まるで舞台や小説の中での戦いを予測するかのような言い方にロバートはつい苦笑を漏らしてしまった。だがしかし今回の戦いはレッドデビル対帝国軍というビッグマッチ。そんな興奮の仕方をしてしまうのも頷ける。
「前も言ったっすけど、キツイと思いますよ。戦力に差が有り過ぎる。大体、この戦いでレッドデビルが勝てるならそもそもレギンドの大戦時点で帝国は滅んでるでしょ」
「そう言われればそうだね……」
否定的な意見を述べるロバートであったが、しかしそれは飽くまでも『量』という意味で言っているに過ぎず、『質』で言えば良い勝負をするだろうというのが彼の見解であった。そしてその答えにしかしジメドは否定から入った。
「それは分からないよ?彼には、レッドデビルには仲間が居る筈だからね!彼程ではないにせよ、強い傭兵仲間が彼には居る筈さ!例えば、レギンドの大戦でレッドデビルと共に帝国軍の主力部隊を次々と殲滅させていった『閃光のロバート』とか!」
ぴたり、と上司の服を洗うロバートの手が止まる。それをジメドに諫められ、再び手を動かし始めたところで話は再開した。
「彼らは懇意だと聞くからね。レッドデビルのピンチに友が駆け付けるんじゃないかなって僕は予想してるよ!」
鼻息荒く瞳を輝かせ熱を撒くジメドに『閃光』は問う。
「ロバートの事、知ってるんすね」
「もちろんさ!遠目だったから顔は見れなかったけど、戦ってる所も見たことあるんだよ!あの剣捌き、今思い出しても興奮しちゃうな!実は僕、レッドデビル以上に彼に憧れてるんだ!彼のような剣技を扱える男になりたくて剣の腕を磨いているんだよ!」
洗濯する手を止め立ち上がり、見様見真似の剣技を再現するジメド。お世辞にも技と言えるような動きでは無かったが、しかしロバートはそれが嬉しかったのか鼻を擦る。
「お、おぉ……。へへ、そうなんすね……」
「ん?何でキミが照れてるんだい?」
「んぇ!?い、いや、んなことないっすよ?と、と言うか、その線は無いんじゃないっすかね?多分、誰かが助けに来るとかは無いと思うっすよ?」
「えぇ?何故だい?」
「傭兵ってのは基本的に金で動きますからね。情ではあんまり動かないもんです。それに相手は大陸の覇者だ。逆らって良い事なんて何もない。レッドデビルに味方するメリットなんて無いんすよ。寧ろ帝国に雇われちゃったりしてるんじゃないっすかね?」
「そんなもんなのかい?」
「夢を壊すようで申し訳ないっすけど、そんな美談は傭兵に期待しない方が良いっすよ」
「そっか……」
桶の前にしゃがみ込み、いそいそと洗濯を再開するジメド。その表情には落胆が色濃く浮かんでいる。
「だとしたら、それこそレッドデビルは絶体絶命だね。……あ!いや、待てよ!?という事はもしかしたら『閃光』のロバートも帝国に雇われている可能性があるってことだよね?」
「え……?あ。そりゃ、まぁ……」
「だよね!?だったら、一目で良いから会ってみたいなぁ!別に会話とか贅沢な事は言わないから、顔だけでも見てみたいなぁ……」
「……」
顔を見るどころか会話までしてしまっているのだが。
感情の起伏が激しい先輩に対し、どんな表情で反応すれば良いのか困るロバートであった。
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