【第一八話 走れメロウ】


 コテージ風の建前を背にして走る。目的は四台で並んで停まってる車だ。


「ね、探偵さん! 車って鍵持ってるの?」


 ふとした疑問が頭をよぎる。動かなければ意味がないし、そもそも乗り込めるのか?


「ある訳ないだろう! 心配するな。直結させてエンジンがかかれば大丈夫だ!」


 鍵無くてもエンジンかかるんだ。初めて知った。でも、ドア開くの?

 その不安は杞憂に終わった。連れてこられたスカイラインがドアが開いたままで、放置されていた。

 不用心だなぁ……ってこんな山奥なら心配ないか。今回はその不用心さに助かってるので、逆にありがとうだ!


及川隆おいかわたかしは車の鍵をかけない悪い癖がある。今回もそうだと思ってた」


「そう! 探偵さんよく知ってるね! コンビニでもエンジンかけっぱなしで行くから不用心だなぁって、いつも思ってたの!」


 凛ちゃんが同調して感心してるけど……そうだったっけ。全く覚えてない。

 本当にどうでもいい存在だったんだな、私にとってヘチマンカスタカシという男は。


「僕は工藤。工藤和哉くどうかずや。本来なら顔を合わす事も名乗る事もないはずだったけど、仕方ない。さあ乗って!」


 聞きたい事はいっぱいあるけど、今はそれどころじゃないしね。

 凛ちゃんと二人で後部座席に乗り込み、工藤さんは運転席に座って、ハンドルの下辺りからコードの束を引っこ抜いて、何やら吟味している。


「えぇと、どれをどうするんだっけ……」


 おいぃ! ここでつまずいてどうする!


「美優ちゃん! こっち来てる!」


 凛ちゃんの指差す方を見ると、ロッキーに頭を小突かれながらも、こっちに小走りにやって来るヤクザのアニキが見えた。


「探偵さん、急いで! ヤクザが来た!」

「ちぃっ——。伊吹美優、僕は時間を稼ぐ。適当でいいから、配線を合わせてエンジンをかけろ!」

「えっ⁉︎」


 抗議する間も無く、工藤さんは降りてヤクザを待ち構えている。

 配線を合わせてって、どうすりゃいいんだよ⁉︎

 とりあえず運転席に移動して、工藤さんが引っこ抜いたコードの束を手に取って眺める。


 ……眺めるしか出来ないし!


「凛ちゃん、どうすればいいの?」

「私も知る訳ないじゃん!」


 だよねぇ。


「誰かと思えば、工藤じゃないか。本当に貴様は俺の邪魔しかしないな」

「それはこっちの台詞だよ、小柳太一こやなぎたいち。いい加減、犯罪から足を洗った方が良いんじゃないか? 失敗しかしないんだから」

「ふん。貴様が関わらない案件は全て成功している。この死神め」


 ヤクザのアニキに付き纏うのを止めたロッキーがドアミラーに止まったので、少しドアを開けて中に入れてあげる。

 その時に聞こえた外の二人の会話が意外すぎた。まさかの知り合いだったんだ。

 っと、それよりもエンジンだ!


「ロッキー! 鍵が無くてもエンジンかかるって言われたんだけど、どうすればいいの?」


 さりげなく私の肩に乗っかるんもんだから、ついつい撫でてしまう。


 寂しかったの?

 まったくもう……可愛いんだから。


われも分からぬ。そこまで詳しくはない』


「うそー! ロッキー以外に誰がエンジンかけられるって言うのよ!」


『ふむ。どうするか……』


 やっぱり可愛くない。


 外を見ると、工藤さんとヤクザのアニキが戦ってるっぽい感じがするけど、工藤さんは防戦一方って感じで、アニキを倒せそうにない。

 そりゃ喧嘩はヤクザのが強いよね。


 早くエンジンかけて逃げなきゃ。


 出ているコードを引っ張ってみたり、曲げてみたり。引きちぎって……いいのかな?


「もー! 早くしなきゃいけないのに。何なのよ! 頭もボーっとするし、体は熱いし、何よりムラムラが止まんないのよー!」


「美優ちゃん……」


 感情が溢れて涙が止まらなくなってきた。


「ただ楽しくアイドルしたいだけなのに。うぅ……何でこんな……ゔぇ……何でよ!」


「美優ぢゃん……ごべん……」


『落ち着け、美優』


「落ち着けないでしょ!」


 もうコードなんか触ってられない。感情が抑えられない。

 ハンドルをバンバン叩いて、溢れる涙はそのままだ。

 凛ちゃんも泣いている。凛ちゃんも感情的になってる。

 これも媚薬のせいだ。頭の片隅では分かってる。でも止められないんだ。


「もー! 動いてよ! 何がモノガタリよ! 何が魂よ! 肝心な時に何の役にも立たないじゃない!」


 困ってるロッキーも、泣いてる凛ちゃんも関係ない。

 泣きながら、喚きながら、ただハンドルをバンバン叩いていた。

 時々クラクションに触れるので、短い音がプップッと鳴っていても関係ない。


「ムラムラが止まんない! したいしたいしたい! でもあいつらは嫌だ! 凛ちゃんが良いの! 凛ちゃんが良いよー!」


「美優ちゃん……嬉しい……」


 何を口走ってるのか、自分でも理解出来ない程に感情が爆発しすぎている。全くコントロール出来ない。


「プップ、プップ、音うるさい! 止めろよ! こちとらアイドルだぞ! モノガタリだぞ! あんたもモノなら自分で動けよ!」


『美優、それは言葉が過ぎるし、音は美優が押さなければ……ん? 美優!』


 青白く光るロッキーが何か言っても何も耳に入らない。


「動いてみろってんだ! 音うるさい! 音、止めろー!」


 長く勢いよくクラクションを鳴らすと、いきなり車全体が青白い光に包まれていく。

 ロッキーも青白く光っている。


 え? 何が起きてるの? 急な事で思考が止まる。


「え? ロッキー?」


 時間が止まったかのようにロッキーは私の肩からピクリとも動かない。


「凛ちゃん?」

「美優ちゃん、この光は何?」

「え……分かんない。何これ?」


 時間にして数秒くらい経っただろうか。青白い光は次第に消えていき、代わりに静寂が辺りを包む。

 外の男達の喧嘩も静かになり、何事かとこちらを見ていた。

 いつの間にか手下が集まっていて、ヤクザのアニキを含む敵の数は五人になっている。


 すると、いきなり車のエンジンがかかり、ブォンブォンと空吹かしを始め出す。


「——え? えぇえっ⁉︎」


「やったぁ! 美優ちゃん、エンジンかかったよ! これで——」


『美優! お主、今〝神の遺物〟に——』


 ロッキーと凛ちゃんが一度に喋るからどっちも聞き取れないし、呆然としてたから内容が頭に入って来ない。


 車は空吹かししてるけど、私アクセル踏んでないよ?


『美優の姐御あねご! しっかり捕まってな!』


 どこから声がしたのか、考える前に車は急発進して、その場でスピンを始める。


「うわぁっ!」

「きゃあーっ!」


 私と違って凛ちゃんの叫び声は女の子っぽくて可愛いなぁ。

 こんな時だってのに、そんな事を思いながら、投げ出されないようにシートにしがみついていた。


 車は急発進、急停止、スピンを何度か繰り返して、敵を追い払っている様だった。

 やがて工藤さんの目の前に助手席のドアが来る様に、ピタリと停まる。


「凄いじゃないか、伊吹美優! なんて運転テクニックしてるんだ!」


 そう言いながら、ドアを開けて乗り込んできた工藤さんは、顔に擦り傷やアザがあった。

 私達を助ける為にケガをしたんだと思うと、心が痛む。

 車は直ぐに発進したので、またどこかに掴まってないと投げ出されてしまう。


「私、運転してない! それにこれマニュアル車じゃん! 私、オートマ限定だもん!」

「え? じゃあ自動運転……」


 私はシートを掴んでるので、両手は塞がっている。ハンドルやシフトレバーが勝手に動いてるのを見て、工藤さんはそう思ったんだろう。


 だけど、おそらくは……。


「ねえ! 車のあんた! 名前は? とりあえず、奴らから逃げ切って!」


『ちいっす! 美優の姐御! 俺の名はメロウ。任せて下さいよ! 姐御には触れさせねえですぜ!』


 姐御って……。


「メロウね? ありがとう! てか、寝てたの? もっと早く動いてよね!」


『え? 俺は姐御に作られた魂ですぜ?』


「は? 何それ。そうなの? ロッキー!」


『うむ。我の機能を介して〝神の遺物〟に触れた美優が生み出した魂だ』


『ロッベルナ兄貴の言う通りですぜ』


『やはりな! お主、生まれたばかりで記憶があるのか』


 このロッキーの驚き様は今まで見たこともない。そんなに大変な事でも起きてるの?


『ん? 俺にはよく分かんねえです』


『これは……まさか美優は……』


「どうでもいい! 後にして! 凛ちゃん、助かったよぉ!」


「良かったぁ」


 後ろに居る凛ちゃんも安堵の表情を浮かべてる。その時、リアフロントの向こうに黒いクラウンが見えた。

 二台か? 当たり前だけど、追いかけてきたんだ。


「工藤さん、追いかけてきた!」

「そりゃそうだろうな。ここで逃せば自分達が窮地に陥る。伊吹美優、信じ難いがこの車は自分の意思で動いてるのか?」

「え? あ、うん。声、聞こえない?」

「いや、とんだ特殊能力だな。信じられない」


『美優の姐御は素晴らしい女なんですぜ!』


『うむ。まことにその通りである』


「ロッキーまで、何じゃそりゃ」


「この鳥とも会話してるのか?」

「まあ、一応……」


 やべぇ。変な人に見られたかな。頭のおかしい女の子だと思われたら、どうしよう!


「やっぱりそうなの⁉︎ なんかロッキーちゃんと意思疎通が凄すぎると思ってたんだけど、美優ちゃん凄ーい!」


 凛ちゃんに持ち上げられると素直に嬉しい。

 良かった。変な子だと思われなくて。


「あ、でも内緒にしといてくれますか? 変な人に見られるのが嫌なの」

「大丈夫だ。約束する。それに世間に知れたって、誰も信じないよ。僕らみたいにこの現実を目の当たりしたら別だろうけどね」

「私も口は固いよ!」

「二人とも、ありがとう!」


『美優の姐御。ナビだと、もうすぐ狭い道を抜けてメイン道路に出る。その後はどうすればいいんです?』


 前方を見ると、確かにもうすぐ道の終わりが近づいている。右か左へ曲がらなければならない。


「工藤さん! メロウが、この後どうすればいいか教えてって言ってる」

「あ、ああ。山を下って街に出てくれ。とにかく携帯の電波が届く所に行かないと、どうしようもない」


「だってメロウ。分かった?」


『承知だぜ! 全員シートベルトをしっかり絞めて、シートに深く座って掴まっててくれ。飛ばして後ろを捲いてやりますぜ!』


 大丈夫かな。何か別の不安が湧いてきてるんですけど。


「みんな! シートベルト絞めてしっかり掴まってて!」


 工藤さんも凛ちゃんもしっかりと固定してくれてる。ロッキーは……頑張れ!


『よおし! 美優の姐御、コースに出たらフルスロットルで飛ばしますぜ!』


 目の前の道が終わりを告げようとしていた。

 コース? この先はT字路になっているので、そこを出たら飛ばすという意味かな?


「オッケー! どんと来い! こう見えてジェットコースターは好きなんだ。でも姐御って言うのは止め——」


 車が広い道路に出る直前からギアが変わり、グイッと進行方向が九十度向きを変えたので、体が横に振られて言葉が途中で詰まってしまった。

 急すぎるよ、メロウ!


「ひいぃいい!」


 何てスピードで走るの!


 こんな急加速は初めて体験する。後ろに投げ出されるような感覚で、体がシートに押し付けられる。


「伊吹美優! カーブ、カーブ!」


 工藤さんが慌てた様子で前を指差している。その声色は恐怖で一色だ。

 でも安心して。私も一緒で、めっちゃくちゃ怖いから!


「メ、メロウ! ぶつかるぅ!」


「いやぁああああっ!」


 私の忠告や凛ちゃんの悲鳴など聞こえていないのか、メロウは減速するどころか、加速してるように思える。


「おぶぇええっ!」


 カーブの直前でハンドルが激しく動いて、車は道路に対して直角に向きを変えて横滑りしていた。

 いきなりの横方向へ体が引っ張られて、悲鳴がおかしな感じだ。


「メロウ! メロウでいいんだよな? 僕の声は聞こえるか? 女の子が乗ってるんだ! ちょっとGがキツすぎないか⁉︎」


『直ぐに慣れますぜ! 次のコーナーは連続のドリフトなので左右に振られるから、しっかり掴まってて下せえ!』


「伊吹美優! メロウは何か言ったか⁉︎」


「連続ドリフトするからしっかり掴まってろだって——えあぁぁあああ!」


 答える間に既にドリフトは始まっていて、さっきまでは左を向いてたのに、今度は右向きにドリフトをしている。

 やっと直線になって落ち着くと思ったら、スピードがグングン速くなって、メーターを見ると百二十キロを超えていた。


「ぎひぃいいいいい!」


 もう変な声しか出せなくなっていた。

 カーブの直前でブレーキが効き、シートベルトに体を締め付けられる感覚が来たかと思えば、次の瞬間には横に振られている。


 凛ちゃんは後ろで声にならない悲鳴をずっと上げている。

 ロッキーも後ろでずっとパタパタしている。

 工藤さんも歯を食いしばって耐えていた。


『俺に追い付ける車なんて無いのさ! 姐御、スリル満点で爽快だろ?』


 スリルなんてレベルのもんじゃないって! 恐怖よ。このスピードとGは恐怖よ!

 これは一体、いつまで続くの!


 ジェットコースター? あんなの、これに比べたら子供騙しも良いとこよ!


「私、決めた! もう二度と絶叫系に乗ってやるもんか! 乗らないんだからぁあああああっ!」


 それぞれの恐怖感を一緒に乗せたまま、車のメロウは猛スピードで峠道を下って行ってるのであった。


「もう、いやぁああああああっ!」

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