第六話 非現実の中の現実
2002年10月25日、金曜日
バイト先のコンビニ、今日もそこで、記憶喪失の辛さを忘れるために、帰ったら直ぐ寝られるくらい、特に力仕事系に集中して一所懸命、くたくたになるまで働いていた。
「店長、ソロソロ、上がります」
「フゥッ、そうですか、ご苦労様」
「如何したんですか、嘆息なんて吐いて?」
「色々な意味で、ですよ。例えば、私はいつ紹介してもらえるのでしょうかと?」
「・・・・・・・・・、店長。それは絶対に口にしてはいけない言葉。その内、必ず紹介されますから・・・・・・、少しだけ、それまでお待ちください」
「少しだけですか?」と彼はそう言うと不満と落胆の色を見せてくれた。
「それより、ホントの所はどうなんですか?」と彼の本心を尋ねた。
「新しい男子のバイトを応募しているのですが一向に・・・」
今年の夏に入ってから急に俺以外の男子バイトが挙って辞めてしまった。
理由は聞かされていない。今年の夏は店長と二人でかなりシンドかった。店長はそれを労ってくれたのか時給を上げてくれた。然しこれからの事を考えると最低二人は必要な気がしてきた。
「俺のダチでよかったらつれて来ましょうか?」
「おっ、それは本当かね?藤原君の紹介なら信用できそうだから、是非そうしてくれたまえ」
「何とかしてみます」
何故か俺はこの店長に信用されているようだった。
「それでは、近いうちに連れて来ます」
「よろしく頼みましたよ」
「それじゃ、帰ります」とそう店長に言い残すと店から出て行った。
ここで働かせてもらうようになって随分経つ。当初の客の対応といったら酷く冷めたものだった。来店してくれた客にもいい印象は与えていなかっただろう。
だが、店長の指導の良さと大らかな人柄が相まって、俺のそれは改善された。そして少なからず人前での言葉遣いも変わったような気がする・・・・・・、多分。
家に到着後壁に掛けていた時計で時間を確認した。11時43分PM。
恐縮したが相手の携帯でなく自宅に電話を掛けることにした。それから数回の呼び出し音の後に相手が出てくれた。
「夜分、申しはけ御座いません。藤原貴斗と言います、八神さんのお宅でしょうか?」と出来るだけ丁寧な口調で相手先に話しかけた。
「あら、藤原ちゃんね、ご機嫌はいかがでしょうか?」
電話に出た相手の声は慎治ではなかったのにそう言葉にしてきた。
「・・・?えっと、どうして俺の事を?」
相手は俺を知っている風な言葉で話し掛けて来たのでついそう聞いてしまった。
「あら、あら、酷いは、私の事をお忘れですか、皇女、悲しい」
その人は自分の名前を告げてきた。みこ・・・、八神皇女・・・、彼女は記憶喪失のカウンセラーの名前だった。間違い電話をしてしまったと思い謝罪の言葉を返す。
「間違って、掛けてしまいました、ゴメンなさい」
「あら、シンちゃんに用事ではなかったのですかぁ~~~?」
〝シンちゃん〟?という言葉に頭をかしげ考える。シンちゃん、慎、慎治、八神慎治、・・・・・・。
「おぉ~~~い、藤原ちゃぁ~~~ん、聞こえてますかぁ?返事してください」
「・・・・・・・・・、若しかして皇女さんッて八神慎治の母親とか?」
「パチ、パチ、パチッ、正解でぇ~~~っす、ご存知で無かったのですかぁ?」
「ご存知で無かったって・・・、知らなかった」
「あら、そうなんですかぁ?」
この人、いつもオフィスで診察を受けている時となんだか感じが違うように思えるのは気のせいだろうか?然し、慎治の母親だって言うのを今まで知らなかった事に愕然となってしまった。
「慎治に代わって貰えないでしょうか?」
「ハイ、ハイ、少々お待ちをぉ~~~」
待つ事10分・・・。未だかよ、オイ。然し、俺の方から用件があってこんな時間に掛けたんだ、少しくらい我慢しろ。冷静になれ、苛々するな。
「ヨッ、貴斗じゃないか、珍しいなお前の方から電話、遣すなんて」
「用件だけ伝える」
「やっぱそう来たか、で?」
「明日暇か?」
「サークルの後、午後からオールオーケー」
「そうか、喫茶店トマトで1時PMに待つ」
「了解!」
「用件、終わりじゃァ」
「オッ、タカっ」
『プチッ』と慎治が何か言いかけたが迷わずスイッチを切った。
慎治と話すこと約50秒、中々の記録だ。
翌日、指定の喫茶店に入ったら慎治が直ぐ見つけられそうなテーブルをお願いし、彼を待っていた。余りここへは来ないがいつもと変わらず沢山の客が来ていた。
「ご注文、決まりましたでしょうか?」
可愛らしいウエイトレスがオーダーを聞いてくれた。
「アッ、ゴメン、忙しいの分かるけど連れが来るまでもう少し待ってくれ」
「ハイ、畏まりました」と彼女は丁寧な挨拶をした後、この場から離れて行った。
「チッ、慎治にヤツ遅いな・・・」
舌打ちをするが今日は彼に頼み事で呼んだのだから少しくらい待ってもいいだろう。
待ち合わせから三十分。少なからず慎治の奴を心配してしまう。ギスッ、ギスッと心を締め上げる。俺にとって今まで遅刻と言う行為、言葉さえも無縁だった。多分、それは記憶を失う前も。
しかし、春香の事故によりその言葉の恐ろしさと言う物を嫌と言うほど突き付けられた。だから遅刻もしたくない、相手にも遅刻されたくない。
自身の事はコントロールできても、相手の事は不可能。だから余計心配してしまう、恐怖を感じてしまう。
〈頼む早く慎治、来てくれ!〉とそう思っているとやっと慎治がここに姿を見せてくれた。
「ヨッ、遅れてゴメンな」
「別にいいさ、遅れた理由も要らない」
安心、ホッとした。だから何も聞かない。
「ソッカ、ありがたい」
「突っ立ってないですわれよ、奢るから」
「サンキュウー」
慎治がメニューを見て何かを決定したようだ。すでに食べる物決めていたので慎治が決め終わると同時にさっきのウエイトレスを呼んだ。
『ご注文は、アッ、八神さん?!』と彼女は慎治を見るとその名を呼んだ。
「アナタの待ち合わせの人って、八神さんだったんですね」
「慎治、この子と知り合いか?」
「彼女の事、知らないのか?」
「ここ時々しか来ないから」
喫茶店トマト、いつから始めたか知らないが現在ここで宏之がバイトしている。たまに彼の事が気になって顔を見せる程度だった。
「八神さん、私に彼の事ご紹介してくれませんか?」
彼女は俺ではなく慎治にそう聞いていた。
「オット、悪い、こいつの紹介、まだだったな、こいつは藤原貴斗、俺のダチでもあり宏之、柏木宏之のダチでもある」
「藤原貴斗だ、よろしく」
「初めまして、桜木夏美って言います」
「それより、宏之には俺の名前を絶対口にしないでくれ」
「どうしてですか?」
「理由は言えない、それより注文お願い」
「アッ、ハイ、済みませんでした」
慎治の分と自分の分のオーダーを彼女に伝えた。
暫くして俺達がオーダーした物が来るとそれを食べながら慎治に今日、呼びつけた訳を話した。
「なぁ、慎治、俺を助けると思ってそこでバイトしてくれないか?バイトの女の子、オマエ好みの可愛い子、いるからさぁ」
慎治の好みなど知らない、バイトの女の子が可愛いかどうか判断するのも人によって違うからなんとも言えない。然しヤツにそう言っていた。
「貴斗、オマエ俺の好み知ってんのか?」と当然の如く彼は言い返してきた。
「知るわけが無い」
「だったら言うなっつぅ~の。でもどぉ~~~すっかなぁ?」
「頼む」
食べ終わった料理の食器を端によせ両手をテーブルについて慎治に頭を下げた。
「あぁ、わかった、わかったから。よせ、そんな事スンナよ」
「マア、お前には何かと結構、貸しがあるからな、いいぜ」
「マジか?本当か?」と大げさに言ってみた。
「マジで、それに最近何かと銭が要るし、小遣いじゃ、ままならんしな」
「何だ、未だ親から小遣いなんてもらってたのか?」
「あったりめぇだろ、お前だってこっ」とそこで彼は言葉を詰まらせた。
「〝こっ〟?何だ、それ」
「いや、何でもない、気にするな」
「慎治がそう言うなら何も聴かないさ」
追求する積もり無かったのでそう応えた。
「それじゃ、慎治バイトの件はOKでいいんだな」
「ノー、プロブレム!」
「いつから出来る?」
「なら、今から面接に行ってもいい、どうせ暇だしな」
「助かる、今から店長に連絡するから暫し待たれよ」
彼にそう言ってジーンズのポケットからセルラー・フォンを取り出した。メモリーからバイト先の電話番号を探し見つかった所で通話ボタンを押した。数回のコールで向こう側の誰かが出た。
「ハイ、サークル・サンクス三戸駅南支店です、どういったご用件でしょうか?」
〝えっ、誰だけこの子 〟と思いつつ言葉を出した。
「藤原貴斗と言うそこのバイトの者ですが、店長はいらっしゃるでしょうか?」
「えっ、貴斗君なの?」
「ハイ、そうですけど?」
なんだか向こうは俺を知っているみたいだ。
「み・ゆ・よ、井澤魅由」
「井澤さん?済みません電話の声では判断しにくいもので」
嘘を言ったつもりは無い。
何せ本当にとりわけ親しい関係で無い限り電話の声だけでは相手が誰であるか直ぐに判断できないからだ。
「ァッ、私のことは魅由って呼んで、そういったでしょうよ」
「それより、早く店を長出してください」
「いや、貴斗君が私を名前で呼んでくれるまで代わってあげない」
何考えているんだよ、この人は?長電話したくなかったので早急に彼女の要求を呑んだ。
「魅由さん、お願いします。店長と代わってください」
「ハイ、宜しい、少々お待ちください」
井澤魅由、バイト先の女性店員、俺より三歳年上でデザイナーの専門学校に行ってたんだっけ?多分。記憶喪失だと人の事を覚えるの結構辛かったりする。
「藤原君、代わりましたよ」
店長に代わったのでさっさと用件を言って電話を切った。
「相変わらず、即行電話だな」
「長電話、耳が痛くなっていや」
嫌いな理由の一端を慎治に教えてやった。
「連絡取れたし、行くぞ」といって彼 を促しレジへと向かった。
「有難う御座いました。そろそろ新メニュー、出す頃なんですけど、また食べに来てくださいね」
「オウ、来る、来る」
「考えておく」と俺達はそう言い残し喫茶トマトを離れた。
バイト先に向かう途中、慎治に聞きたかった事があった。それを確かめておけば、俺のこの先に有る転機に何かを及ぼすかもしれない。でそれについて彼に聞いてみる。
「慎治、答えろ!」
「なんだ?急に」
「皇女さん、お前の母親なんだろ?何で隠してたんだよ」
「はてぇ?なんのことかな?」
「しらばっくれるな、ネタは上がっている」
「お前が聞かなかっただけだろ」
「いや、それはそうなんだが・・・」
慎治の言う通りであるが納得が行かない。
「俺も・・・、最近まで知らなかったんだ、最近まで」
なんだか慎治のヤツ歯切れが悪い?無理に詮索するのも彼に悪いからこれくらいにしておく。
「悪かった、変な聴き方して」
「別に気にしてねぇよ」
「そろそろ、バイト先に着くぜ」
「分かっているよ、お前がいない時によく行ってたから」
「そうだったのか?俺が要る時ならジュースくらい奢ってやったのに。アッ、とそれと今日は今から行けば、綺麗なお姉さんが働いてるぜ」
「えっ、マジ、マジ」
「嘘を言っているつもり無いが、美的感覚は人それぞれだ。だから、実際のところ。お前がどの様に判断するか知らぬがな」
「そりゃ、楽しみだ、さっさと行こうぜ」
「何、言ってんだ、もう目の前だろ」
顎でその場所を指した。そして俺達が自動ドアの前に立つと扉が開き店員の声が聞こえてくる。
「ァあ、貴斗君!いらっしゃい」
そう言って俺達を出迎えてくれたのはさっき電話に出た魅由であった。この後、魅由と一悶着あったが無事、慎治はここでバイトをする事になった。
これで大切な友達とまた多くの時間を共有できる。それは記憶喪失の所為で精神不安定になりやすい俺にとってとても嬉しい事だった。
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