ブレンドシップ
石蕗 翔
一 勇気
豊かな自然、温かい人達、由緒ある土地には、毎年たくさんの観光客が来るという。
四月七日。
糊の利いたシャツ、キュッと締めたネクタイ、落ち着きのあるブラウンのブレザー。
「大丈夫だよな」
姿見に映った自分を幾度となく見つめては、本日何度目かもわからない不安を口にする。
この日の為に美容室に行って髪を切ったし、今流行りのセンター分けもレクチャーしてもらった。眉毛も整えたし、歯も磨いて、腹がならないようにいつもより多めに飯を食った。
我ながらこれ以上のベストは考えられないだろう。なんせ、今朝は四時起きだからな。
がしかし、なんだろうか。この拭いきれぬ焦燥は。
ちゃんと友達はできるのか? そもそもいじめられないよな? 初日が大事だし、形から入ってみたはいいものの蓋を開けたら一人でした。とか目も当てられない。
ていうか……。
「ちょっと
こちらを急かす怒号でハッと我に帰る。
「やばいこんな時間かよ」
時計を一瞥すると、気づけば八時ではないか。
俺は慌てて、リュックを背負い階段を転がるように玄関へと向かう。
「ほら、行くよ」
屈んで靴を履いている母を飛び越すように俺は一目散に家を飛び出た。
「一人で行くわ!」
呼び止める母を尻目に俺はただひたすらに走り出す。
移ろう景色に春の木漏れ日が淡い影をつくって揺らめいている。
※
「明日の朝にオリエンテーションを兼ねて、皆んなには軽い自己紹介をしてもらうから。じゃあ、今日はこれでおしまい」
壇上に立つ三十代の男性教師が終業を知らせると、教室の生徒たちは弾けたようにあちらこちらに散っていく。
そそくさと立ち上がり教室を出て行く者、勇気を出して近くの生徒に話しかける者、二、三人のグループで固まっている者たち。
そんな三者三様の人間模様を側で見て、じめっとした汗が背中から吹き出る。
これは、まずいのでは?
今から誰かを追いかけるのは不自然だし、かといって半径二メートル以内の生徒は席を立っている。ましてや、グループの間に割って入るのはもってのほかだ。
もし俺が入ろうものなら…。
「君たちどこ中なのー?」
「え…、いや…。ハハ…俺らはな、同中だよなあ、な?」
なんて、気まずくなること間違いなし。
だからと云って、ここで明日があるからと先延ばしにしてしまえば、最終的には一人になる可能性が高い。
ならば、今日は誰かと会話をすることが最優先。なに、名刺交換だと思えば簡単だろう。
自分と相手の接点を少しでも作れればいい。
良くも悪くも植えた種には必ずアクションが起こるものだ。
「よし…」
自分を奮い立たせるように拳を握りしめ、いざ出陣。
椅子を後ろに引いて、今まさに教室を出ようとする茶髪の男子に向けて声を発した。
「おっすー! 俺、
眩しいくらいの笑顔に差し出した手のひら、間違いなく印象は良い奴に違いない。
しかし振り向いた男は眉をピクッと動かして、俺を数秒凝視するだけだ。
「お、おーい。俺見えてるよね?」
ファーストコンタクト見事に失敗か? 額をわざとらしく撫でて、緊張を誤魔化す。
「見えてるけど」
茶色の瞳を見開いたものの、返答があることに俺はホッと胸を撫で下ろす。
「名前は?」
「
「いや、俺もいきなりすぎたな…。すまん」
「フフッ…、謝らないでよ」
口を押さえて控えめに笑う唐田を横目に俺は意を決して、ゆっくりと歩き出す。
「どこ中?」
「
「えっと」
ちゃんと話せてるよな、俺。
「よかった…」
「えっ? そんな中学」
「いや、違う違う北! 北中!」
やべ、いつもの癖で心の声が漏れてるぞ俺。
「奥、面白いね」
「知ってる」
「謙遜しろよ」
「わり」
わざとらしく手を顔の前に出して、二人して顔を綻ばせる。
「ていうか————」
和やかな雰囲気を維持するように矢継ぎ早に言葉を紡ごうとしたその時。
「ねえ、友達になってよ!」
少しの喧騒を切り裂くようにその声がどこからか聞こえてくる。
俺らは一瞬顔を見合わせて、同時に振り向いた。
「奥の上位互換じゃん」
「おい!」
突っかかる俺に目もくれず、唐田は首を傾げる。
「俺たちのクラスかなあ?」
「見にいくか?」
「いや、いいよ」
俺の提案に首を振ってから唐田はわずかに肩を揺らして、前を歩く。
コイツ、さらっと俺のことをいじりよって。あとで覚えておけよ。
根に持つタイプの俺でも、流石に今はそんなことを頭の隅にどかしておく。
声色的に多分女子だよな。同じクラスだったら嫌だなあ…。
女子のいざこざは世界を巻き込む、これ即ち、世の理であるが故、対岸の火事であることを願ってしまう。
のだが、目の前の茶髪はどうしてか浮き足だっているのだ。
「同じクラスだといいなあ」
「マジかよ…」
先ほどの落ち着きはどこへいったのか、のほほんと茶目っ気のある笑みを浮かべて、唐田は腕を組んでいる。
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