第88話
「……アクア」
ディーンが優しく、わたしの名を呼ぶ。そして立ち上がってわたしの前に立つと剣を鞘ごと渡してきた。
「ディーン?」
「アクアはアクア、だろう? 本当は儀式用の剣がいいんだろうけど、用意していないから」
そういってディーンは跪いた。びっくりして目を丸くする。……この光景、ダラム王国でも見たことがある。騎士の叙任だ。確か、剣で騎士の肩を叩くやつ。ディーンはわたしの顔を見て微笑んでから、頭を下げた。
わたしはそっと剣を鞘から抜いた。きらり、と剣が光ったような気がした。
……鞘を床に置いて、両手で剣の柄を握る。そして、剣を正面に向けた。ふわり、と温かな風がわたしを包む。
彼の身体を傷つけないように、剣で肩を叩く。すると、ぽぅ、と淡い光がディーンを包む。神の祝福。……どうか、ディーンがこのまま自分の人生を歩めますように……。
騎士の叙任、本当は誓いの言葉とかあるんだろうけど、わたしが覚えているその言葉はダラム王国のものだから使いたくない。だから、言葉はなく、ただうろ覚えの知識で似た動作をしただけ。
それでも――なんだか、厳かな空気が流れた、気がする。
「
肩から剣を離すと、ディーンがそう言葉を紡いだ。周りからわぁっと盛り上がるような声が聞こえて、みんなを見る。
元魔物討伐隊の隊長はディーンだったから、代表としてこの場に立ったのかもしれないし、ディーン個人の行動だったのかもしれない。それでも、一番先に行動してくれたディーンに感謝の気持ちを込めて、床に置いた鞘を拾い、剣をきちんと戻してから彼に渡した。
「……ありがとう、ディーン」
目を閉じてお礼の言葉を伝えると、ディーンが小さく笑った気配がした。ゆっくりと深呼吸をして、目を開ける。みんなの顔を、ひとりひとり確認してみた。みんな、どこか安堵したような表情を浮かべていた。
「なんかパワーアップした気がする」
「パワーアップ?」
「うん、オレなのか、この剣なのかはわからないけれど」
……大聖女ステラの
そういえば、記憶を取り戻したことで、大聖女ステラについても思い出した。
数度会ったことがある。……そういえば、その後の話は聞いたことがない。大聖女ステラ……わたしのおばあさまはどうなったのだろう?
「……あのさ、大聖女ステラについて、なにか知らない?」
あれだけの神力を持った人だから、わたしがダラム王国で耳にしたこと以外もいろいろあるだろうな、と思って口にしたら、ディーンが一瞬息を飲み、口を噤んだ。
「えっと、変なことを聞いた?」
「……いや、ステラさまについては、陛下に聞いたほうが早いと思う。オレらはその頃、魔物の討伐で遠征していたから」
「……?」
ルーカス陛下に直接聞いたほうが良い? どういうことだろうと思いつつ、小さくうなずく。ディーンたちが話しづらそうな雰囲気を醸し出している……。
「……ええと、改めて、よろしくね!」
もう一度みんなに向けてカーテシーをすると、パチパチパチ、と拍手されてしまった。
「それじゃあ……お仕事しようか!」
拍手の音をかき消すように大きな声でそう宣言すると、みんな立ち上がって一斉に胸元に手を置いて頭を下げた。思わず目を瞬かせてしまった。
「それじゃあ、アクア、またね」
「うん、またね」
ひとりひとり、礼拝堂から出て行く。ディーンが声を掛けてきたので、軽く手を振った。今日は刺繍をするつもりだから、自分の部屋で練習するつもりだ。どんなものにしようか考えないとなぁ……。
はぁ、緊張してきた!
「……出来てたじゃん」
「バーナード……」
わざと残っていたのだろう。わたしとバーナードだけになった瞬間に話し掛けてきた。だからわたしは、彼の名を呼ぶ。バーナードはちらりとわたしに視線を向けると、椅子に座り直した。
「……わたしの態度、不自然じゃなかった?」
「ああ、いつも通りに見えた」
良かった、と胸元に手を置いて安堵の息を吐いた。
「……ディーンはやっぱりディーンね」
「……そうだな、あの状況で、一番先に動き出したのはやっぱりディーンだった」
「うん、びっくりした。しかもマイディアレディって! 物語の中でしか見たことなかったわ!」
まさか自分がいわれる側になるとは誰も思うまい。なんだかすっごく不思議な気分だった。
「……誓いの言葉って考えたほうが良いのかな」
「誰に使うんだよ……」
「え、えーと……誰だろう?」
問われると答えられなくなる。わたしに忠誠を誓う人なんて、ディーンくらいしかいないんじゃないか? あ、でも雇い主って関係なら――……いや待って、彼らは雇っているといっていいのかな。だってお金払っているのわたしじゃないわ……。この屋敷の資金管理までルーカス陛下が引き受けたんだった。おかげで買い物し放題よ、しないけど。……あ、いや、使ってはいるか……。食材とかはね、絶対に必要だからね。水は魔法でなんとかなるし……。
「ま、そのうちな」
「え?」
「なんでもない」
今、バーナードがなにかいったような気がしたのだけど、考え事に夢中になって気付かなかった。
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