9/25(土) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 三爻

9/25(土) ䷳ 艮爲山(ごんゐさん) 三爻


【運勢】


高く聳え立つ澄んだ山々の様に、堂々とした姿勢で、嘘偽りの無い清らかな心を持つと良い。


一人で地道に進めても、大勢は変化しない。


頑なに心を閉ざすのではなく、周りの意見に耳を傾けて、妥協点を探る事が大切である。


【結果】䷳◎三


艮爲山(ごんゐさん) 三爻


《卦辭》


[上爻 少陽][五爻 少陰][四爻 少陰]


[三爻 老陽][二爻 少陰][初爻 少陰]


《爻辭》


[三爻]


【原文】 

《卦辭》

その背に艮(とどま)り、その身を獲(え)ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなし。

彖に曰はく、艮は止まるなり。時止まるときは則ち止まり、時行くときは、則ち行く。動靜(どうせい)その時を失はず。その道光明なり。その止まるに艮(とどま)るはその所に止まるなり。上下敵應(てきわう)して相ひ與(くみ)せず。ここを以て、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。咎めなきなり。

象に曰はく、兼󠄄ねたる山は艮。君子以て思ふことその位を出ず。


《爻辭》

九三。其の限に艮る。其の夤(いん)を列(さ)く。厲(あやう)くして心を薫(いさ)ぶ。

象に曰はく、其の限に艮まるとは、危ふくして心を薫ぶる也。


【解釋】 

〔王弼、東涯の解釋〕

《卦辭》

艮はとどまる意󠄃である。山である。山が二つ重なるので兼山ともいう。應爻が一つもなく、互いに反発して人の顔をみようとしないので、背中しか見ないのである。どこかに向おうとすることなく、その地位にとどまるだけである。


《爻辭》

[王弼]

限は身の中のことである。三は雨の象の中に当る。故に其の限に艮まるという。夤中脊の肉に当る。止まるを其の身に加へ、体を中して分く。故に其の夤を列きて、危ふきを憂ひ心を薫ぶるのである。艮の義爲るや、各々其の所に止む。上下相與せざれば、中に至りて則ち列く。列くこと其の夤に加ふれば、危きこと焉より甚しきは莫し。危亡之れ憂ふれば、乃ち其の心を薫灼する。止まるを体中に施せば、其の體焉を分く。體雨主に分かるれば、大器喪はる。

[東涯]


〔根本通明の解釋〕

《卦辭》

『説卦伝』にあるように、艮は止まるのが宜しい。しかし止まると云っても、進むべき時に止まっては弊害が生じるので、注意しなければならない。
艮は人の身体でいえば背中に相当する。
動くものは前にあり、背中は動かないからである。
また欲は前の方から起こり、背中には欲が生じない。
かつ世の中は欲の世界だが、背を向けていれば無欲でいられる。
無欲であれば、我が身は無いのと同じである。
我が身が無ければ、世間から訪ねて来る人もいない。
荘子も「斉物論」で同様のことを言っている。
人と交わらずに一人道を楽しんで居れば、何所からも咎を受けることはないのである。


[彖伝]


艮は止まるとある。
三爻目、四爻目、五爻目に震の卦があるが、これは進み行くことを意味する。
止まる方にばかり偏ってはいけない。
また艮の卦には時の象があるが、これは止まるべき所に於いて止まるという意味である。
動と静の双方を含んでいることになる。
つまり自身に相応(ふさわ)しい所で止まり、行けば良い時になれば動いていくのである。
初爻目と四爻目は陰爻同士、また二爻目と五爻目も陰爻同士、そして三爻目と上爻も陽爻同士であるから、いずれも相応じず親しまない。
よって「其ノ身ヲ獲」ない。
我が身に欲が無く、世間に望みを持たず、室から庭に出て行っても訪問者も見えず、従って咎を受けることもないのである。


[象伝]


「兼山ハ艮」とある。
山が二つ重なっており、対立しているから、互いに動いて交わることがない。
君子は自分の居所から外へ出ず、我が身を守っているので、外への考えが及ばないのである。


《爻辭》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る