第69話 光弘の物語>葛藤 2

 しょう白妙しろたえが楽しそうにじゃれている様子を見つめながら、俺は今朝の事を考えていた。


 夏休み初日の今日の朝。

 真也しんやの電話によって襲い掛かる悪夢から助け出された俺は、導き出されたある1つの答えから目をらせずにいた。


 真也の家へ向かうために外へ出た俺は、夏の甘くまとわりつくような空気を深くゆっくりと胸の奥に吸いこんだ。

 夏空の眩しさに打たれながら、俺は静かにその答えと向き合った。


 もう・・・・一緒にいてはダメなんだ。


 2年前のあの日。

 夢の中に、不思議な青年が現れてからというものの、悪夢も、漠然とした不安に押しつぶされそうな恐怖も、俺の周りから消えていた。


 細い綱の上を歩いているような、いつ切れてもおかしくない不安だけは拭い去ることができなかったが、そのことがより一層、今この時は・・・・・一粒であっても溢してはいけない大切なものだと・・・・・もう二度と同じものを手にすることはできないものなのだと俺に強く感じさせていた。


 そして恐れていた通り、悪夢は突然目の前に戻ってきたのだ。

 夏休みの数日前から、俺は再び、あの暗闇にとらわれるようになっていた。


 はじめ、夢の中に噴き出す赤黒く細いきりだったそれは、シミのように広がるとまたたく間に果てしなく続く闇へと姿を変えた。


 姉さんが死んだあの時の光景が日を追うごとに形を成してゆく様に、心が冷たく痺れ、俺は痛みに震えていた。

 そして2日前。

 声も出せず、動くこともできずにいる俺をあざ笑うかのように、 悪夢はついに再びその全容を成した。

 克明に繰り返され始めるあの日の光景が、治り始めた傷をえぐるように爪を立ててくる。


 その時・・・・・あの美しい青年が、再び夢の中へ現れた。


 「すまない・・・・・見つけることが、できなかった。」


 そう言って苦しそうに言葉を吐き出し、闇の中を進んでくる青年の足取りは、とても心許ないものに見えた。


 なぜ謝るんだ?

 あなたは悪いことなんてしていない。

 謝る必要なんてないのに。

 会ったばかりの俺を守ってくれたのに。


 俺は、この青年をただの夢の中の存在だとは思っていなかった。

 壊れそうな俺の願いを守ってくれた・・・・・強く、とても優しい人。


 俺はもう大丈夫なんだ。

 真也たちと共に過ごした日々を・・・・・鮮やかに色づいていた毎日を・・・・・例え思い出せなくなったとしても。

 胸に焼きつけられたこの想いは、もう消えることはないから。

 ・・・・・この闇を抱いて、俺は生きていける。


 そう考えた時、胸のとても深い場所で、何かがチクリと痛んだ。


 俺が周りとの繋がりを全て断てば、この闇が俺をえさに誰かを誘いこむことはできなくなる。

 この人がこの場所に・・・・俺に縛り付けられている必要もなくなるんだ。

 彼の袖口から覗く飾りは、女物のように見える。

 きっと、待ってくれている人がいるんだ。

 

 「今まで、本当にありがとう。あなたにはもう、大切な人のところへ戻って欲しい。」声にできないその言葉をどうにかして伝えたくて、俺は近づいてくる彼の目を見つめた。

 見上げた俺の視線と、立っていた彼の視線がぶつかる直前、青年はゆっくりと前のめりに落ちていった。

 片膝をつき苦しそうにうずくまり、肩で大きく息をしている。

 顔色が真っ青だ。

 どこかケガをしているのかもしれない。


 「気にするな。ただの毒だ。」


 動揺している俺にそう言った次の瞬間、青年は何かに気づいたように鋭い視線を後ろへ向け、同時に背中の刀を引き抜いた。

 闇の中から伸びてきた蛇の頭を振り向きざまにぎ払って切り落とす。


 落とされた蛇の頭が闇の中をのたうちまわり、赤黒い霧となって消えていく。

 

 「開眼かいがん。」


 青年が唱えると、闇の中に巨大な目が浮かび出し、そこから物凄い数の銀色のトンボの大群が湧き出してきた。


 トンボの群れは頭を失った蛇の胴体を追って、すさまじい勢いで飛んでいく。

 ところが、蛇はトンボに追いつかれた瞬間、赤黒い霧となって霧散してしまった。

 無数にうごめく霧の残骸は、素早く四方へ散らばり闇へと溶け込んでいった。


 「逃すか!」


 眉間にしわをよせ叫んだ青年は、俺の視線に気づき、「安心しろ」と言うようにほんの少しだけ微笑みかけてきた。


 青年は、闇を刀で切り裂くと、腕を入れそこからむしり取るようにして、闇をいだ。

 闇は天井から巨大な布のようにはがれ落ち、足元で霧となって消えた。

 闇が消えた跡・・・・・青年の姿をそこに見つけることはできなかった。

 


 今朝・・・・・・夢の中に、あの青年が現れることはなかった。


 黒い霧を追って行ってしまったのだろうか。

 毒に侵され、歩くことすらおぼつかない身体で・・・・・?


 俺の中で、言い知れない不安だけがどこまでも大きく膨らんでいった。

 例え夢の中だとしても、もう誰も失いたくない。

 それなのに・・・・・。


 俺は自分のあまりの無力さに唇をかみしめた。

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