76話 「場違いな男」 前編

 荒い自分の息遣いがして、視界がクラクラと歪む。

 周囲の喧騒は、ナオにはもう耳に入らない。

 腰だめに構えた銃を、目の前の黒いガッパー車に向けている。

 しかしその銃身はプルプルと震え、狙いがまったく定まらない。

 血走った目をさせながら、荒い呼吸とともにだらしなく開いた口から、涎が線のようになって垂れ下がる。

 ナオの汚い口からは「あああ」とも「ううう」ともいう、声にならないうめき声が漏れるだけだった。


 ガチャリと目の前の車の助手席側のドアが開き、ナオがビクリとして銃身を少し降ろして、後ずさってしまう。

「よおっ! 兄ちゃん! てめえ今、自分が何してるのか、わかってんのか?」

 車内から出てきたユーフが、ニヤニヤとしながらナオに話しかけてくる。

 狂気に血走っていた表情をしていたナオだが、ユーフから語りかけられて、我に返ったような表情になる。

 賊の表情の変化を確認したユーフが不敵に笑い、身体を完全に車内から出してくる。

 賊の手にしていた銃は、ユーフは車内ですでに確認していた。

 ユーフだけでなく車内の四人全員が、賊は完全なド素人だということを、すでに認識していた。


「飲み会の、罰ゲームのノリか何かは知らないけどよぉ。酔っぱらってたら、なんでも許されるって、思わねぇほうがいいぞ? 大人の世界は、そういうのはもっと偉くなってからじゃないと、許されないんだぜ」

 ユーフがナオに話しながら、確実に距離を詰めてくる。

 ナオは、車内から出てきた大男の威圧感に圧倒され、もう銃を構えることも忘れ去っている。

 ジリジリと後ずさり、そのまま卒倒してしまいそうなほど、青い顔色に変色しているナオ。

 手にした銃は地面を向いていて、気がついたら目の前に巨漢の男が立っていた。


 車内ではハイハが状況を楽しむような感じで、腕を組んでことの成り行きを、瞳をキラキラさせて見守っている。

 命を狙われたライ・ローだが、賊の印象と初動、その後のヘタレぶりから、事態をそれほど深刻に捉えていなかった。

 相手が、本気で殺しにきたプロやテロリストなら、全力で排除か逃走を敢行していた。

 ライ・ローたちにそうさせないほど、現れた賊はノロノロと緩慢で、信念を持った刺客という印象を、受けなかったのだ。

 現場レベルで、解決可能と判断したのだ。


「シャッセくん、ことを荒立てないように頼みますよ……」

 ライ・ローが、運転席から外に出ようとするシャッセにいう。

「了解です。旦那は、車内から出ないでください」

 そういってシャッセも車外に出る。

 周囲にいた群衆はほとんど逃げ去ったが、それでもまだ残る野次馬が、固唾を呑んで事態を見守っている。

 シャッセは周囲に、賊の仲間らしき怪しい連中がいないかを確認しながら、慎重にユーフのところに歩く。


「ほら、用がないなら、さっさとどっか行けよ! 上手く逃げ切れたら、今回は特別に見逃してやるからよぉ。ほら、どうしたんだ?」

 賊をからかうようにいうユーフの元に、シャッセが合流して耳打ちする。

「周囲に、怪しいのはいないっすね。で、兄貴、あいつ」

「……ああ、わかってるよ」

 ふたりは賊の手に握られている、古いリボルバーをチラリと見る。

 撃鉄が未だ起こされていないのを、再確認するユーフとシャッセ。

「おいっ! なんとかいえよ、モヤシか? おまえは。それともビビって、考えてた口上、全部吹っ飛んだか?」

 一向に動かない賊に対して、ユーフがパンパン手をたたいて煽っていく。

 ユーフが煽る横で、シャッセがまた周囲に目を光らせる。

 やはり無関係な野次馬ばかりで、賊の関係者らしき者は見つけられない。

 これは何かしらの陽動で、別の奸計が裏で動いているのではないかと、シャッセは思いだす。


「こ、怖くなんかない……」

 ここでようやく賊が口を開くが、声は震えかすかに聞こえる程度だった。

「はい?」と、ユーフがナオに尋ねる。

「卑劣な侵略者どもめ! こ、この国を守るのは俺たちだ!」

 ナオは比較的ハッキリとした口調でそういうと、今まで地面に向けていた銃口をユーフに向けて構える。

 その様子を見て、刹那ユーフとシャッセの目つきが険しくなる。


 カチ……。


 弱々しい金属音が、銃から聞こえてくる。

 ナオの顔が引きつって、さらにトリガーを引く。

 しかし銃弾は発射されずに、虚しい金属音が響くだけだった。

 すると銃身が、ゴツい手によりガッチリつかまれる。

 驚いて手の主を見るナオ。

 ユーフのいかつい顔が、ニヤニヤと破顔していた。

 上から見下ろす視線は、ナオを完全にバカにしているようだった。

 ナオは怯えながらも、銃にしがみついたユーフの指を払おうとするがビクともしない。

 ユーフは、そんな賊の間抜けな必死ぶりを鼻で笑い、親指で撃鉄をガッチリ押さえる。

「撃鉄起こす! 兄ちゃん……。銃の扱いぐらい理解しとこうぜ。一世一代の大勝負なんだし、もっとしっかり準備しなきゃよぉ!」

 ナオの怯える顔に、ヌッと顔を寄せてユーフが語りかける。


「ウォォォイッ!!!!」


 そしてユーフはそのままの体勢で、大軍をも震え上がらせる得意のウォークライをナオに放つ。

 突然響き渡るユーフの一喝に、ナオは驚いて、そのまま腰から地面に崩れ落ちる。

 表情からは、戦意どころか生気まで喪失しており、虚空を見つめたまま地面に小便で水溜りを作る。

 そしてナオは、大の字になって後ろに倒れて失神してしまう。

「ったくよぉ! こんな骨董品持ちだして、よく大それたことしようと思ったな。この銃、手入れもまったくしてなかっただろ? 博物館からでも、盗みだしたのかよ?」

 地面で大の字で伸びて動かなくなったナオを見下しながら、ユーフは呆れたようにいう。

 すぐさまシャッセがナオを拘束し、失禁で濡れた下半身を、不快そうにしながらも身辺チェックをする。

 他に、凶器らしきものは持っていないのを確認するシャッセが、ユーフに目配せする。


「下手したらよぉ。兄ちゃん、手首吹っ飛んでたぞ?」

 ユーフは手際よく、弾倉から弾を抜きだすと、地面にパラパラと落とす。

 弾を抜きだしたシリンダーを銃身に戻すと、ユーフは埃が詰まった銃口を見て、ヤレヤレと肩をすくめる。

 意識を失ったナオが後ろ手にされ、シャッセに引っ立てられる。

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