44話 「暗愚始動」

 リアンを放っておいて、自分ひとりで自室に帰ってきたヨーベルは、ため息をしてベッドに潜り込む。

 ベッドの中から乱暴にカバンを漁り、恨めしそうにパンフレットを取りだす。

 それをヨーベルは、ふてくされた表情で眺める。

「せっかく、この路線が通れると思ったのに、残念です……」

 ヨーベルは、まだリアンから聞いた、路線が通れないという話しがショックなようだった。

 リアンは何も悪くないのに、完全にとばっちりを受けているようなものだった。


 ヨーベルにしたら、線路が使えないかもしれないということに怒っているだけで、別にリアンへの不満はないし、彼を困らせるつもりもなかった。

 しかし、ヨーベルはリアンを困惑させていることに気づいていない。

 実はかなり面倒で、自分勝手な性格の持ち主のヨーベル。

 そもそも通行不能かどうかは、リアンもいっていたことだが、実際に駅に行って列車の運行状況を確認すれば、それだけで解決する話しなのだ。

 しかしヨーベルの中には、通行不可能という思い込みが強すぎて、他の考えにいたらないのだ。

 独善的な思い込み、思考停止、視野狭窄。

 ここにきてヨーベルの、人間的脆弱性が表に出ようとしていた。

 しばらくの間、未練たらしくパラパラとパンフレットを眺めていたヨーベルだが、静かな部屋の中で、やがて眠気を催す。

 病院でもらった薬が効いてきだしたのか、そのまま眠りに落ちる。

 開いた窓からそよ風が流れ込み、カーテンが揺れる。


 コンコンという軽いノックのあと、部屋にリアンも帰ってくる。

 リアンの手には差し入れとしてもらった、パンと飲み物が乗ったトレーを持っていた。

 それをテーブルの上に置き、ため息をつくと、リビング奥のベッドでヨーベルが、ふて寝をしているのが見えた。頭までスッポリと毛布を被り、ヨーベルはベッドの中で丸まっているようだった。足元や枕元には、ヤケクソ気味に散らばったパンフレットが散乱している。


(拗ねたヨーベルは、ほんと面倒だなぁ……)


 バス内では、ヨーベルの興味を別に向けるために、必死に取り繕いをリアンは頑張った。

 それでもヨーベルは機嫌を直してくれずに、結局最後まで拗ねたままだった。

 話題に出してしまったのがマズかったんだろうなと、リアンは安易に、超高架鉄道橋のことを話してしまったのを後悔していた。

 よろこばせるつもりも、ガッカリさせるつもりもなく、普通に出した話題だったのだが、こんな感じで食いつかれるとは思いもよらなかった。

 リアンはヨーベルのために、あとでアモスを誘うなりして、駅前に行って運行表を確認しようかと思っていた。

「そういえば、アモスも急にどうしたんだろう……。いきなり単独行動、取りたいとか」

 リアンは何故か、ひとりで行動するといいだしたアモスの行動の謎を考える。

 しかし、何も思いつかないのですぐ考えるのを止める。


 ヨーベルが寝返りを打ちつつ、何かをいってきたような気がしたリアン。

 そっちを見ると、ヨーベルはまだぐっすり眠っている。

 足元が毛布の隙間から見えて、ドキリとしたリアンは、毛布をかけ直そうかと悩んだが止めておいた。

 ヨーベルが潜り込んだ毛布が、軽く上下しているのを見て、そのまま寝かせておこうと判断。

 すっかり疲れていたリアンは、ヨーベル相手にまた面倒な応対をするのは嫌だなぁと思い、そっとしておこうと決めた。

 差し入れをテーブルに置いたまま、リアンは風呂場に向かう。


 まっピンクのバスルームの脱衣所で、リアンは服を脱いでいく。

 さっきまで、自分のことを本物の子役と思っている従業員のオバチャン連中から、リアンはかなり拘束されていた。

 しかも、慣れない嘘をついたため、身体中冷や汗でビッショリだったのだ。

 時刻はまだ午前中だというのに、まるで一日が終わったかのような疲労感だった。

 それほど長い拘束ではなかったはずなのに、バスでのヨーベルの件も手伝って、リアンはオバチャン従業員たちとの会話を、思いだしてぐったりしていた。

 ちなみに、ヨーベルの健康面は何も問題ないことを説明して、それには納得してもらえた。

 しかし帰ってきた時に、彼女がいつもと違い元気がなかった理由は、説明するのに思いっきり嘘をつかなくてはいかなかった。

 嘘を前提で話しをしなくてはいけないという苦痛に、リアンの弱々しい精神は、かなりダメージを受けていた。

 それはリアンというまだ無垢な少年には、疲労困憊の原因足りえるにじゅうぶんだった。

 個人だといい人なのに、どうしてああもしゃべりまくれるのか、集団化した従業員たちのオバチャンパワーに、リアンは圧倒されっぱなしだった。


 リアンたちは、元はアモスのハッタリが原因で「南下してエングラスに向かう劇団」という設定で、この宿に潜り込んでいた。

 なのに、クウィン方面の超高架鉄道橋が通れないかもしれないというを知って、ショックを受けたヨーベルの話しを馬鹿正直にしたら、話しの辻褄が合わなくなってしまう。

 エングラスに向かうのに、どうしてクウィン方面に向えなくて残念がるの? と。

 リアンは必死に嘘をその場で考えて、即興で話したのだ。

 偶然立ち寄った劇団をのぞいたら、すごくいいお芝居をされていて、ヨーベルはその演技力にショックを受けたんですと。

 もっと勉強してお稽古しなきゃって、天狗になっていた自分を恥じているみたいで……。

 いや、あまり悲壮感強調し過ぎると、ヨーベルのことだから、数時間後には全部忘れてケロッとしてるかも……。

 いろんな可能性が脳裏によぎり、嘘が破綻しそうな恐怖と闘いながら、必死に嘘設定を身振り手振りを交えて話していたのだ。


 やがて話題が、従業員のひとりが所属している娘さんの話題になる。

 しかもそこに、劇団員だと偽る自分たちを交えてきそうで、さらに会話が長引きそうな予感がリアンはした。

 このまま話しを継続させていたら、どこでボロが出るかわからない。

 そろそろ仮病でも使って、部屋に逃げることをリアンは考えていると……。

「おまえたち! 仕事もせずに、何をしているんだ! しかも、こんな入口付近で固まって、何考えてやがる!」

 パン屋の男性従業員の怒号がして、そこには怒りの表情をした筋骨隆々の大男が仁王立ちしていた。

 その怒鳴り声で、従業員のオバちゃんたちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、リアンはやっと解放されたのだ。

 大きくため息をついて、解放されたことに安心したリアンだが、やってきた大男の存在感に少し恐怖を感じる。


 男性従業員は怯えるリアンに歩いてくると、ヨーベルに差し入れのパンと飲み物を手渡してくれる。

 いかつい顔が笑顔になり、リアンも安心したようにホッとする。

「口うるさい連中だったろう、すまなかったね。お仲間の病状は、大丈夫だったかい?」

 見かけに反して男性従業員とは比較的話しやすく、リアンは、ヨーベルはどこも問題がないですよ、とだけ説明して安心させた。

 帰りぎわ男性従業員が、階段を昇るリアンにいってくる。

「ここの従業員たちは、おせっかいなのが多いから、ひとりでいると面倒事に巻き込まれるよ。あと、ヒロトお嬢さんのことは、こちらできちんと考えてるから。君たちは、心配しなくていいから」

 聞いてもいない、ヒロトのことまでいってきたのが、リアンは妙に気になった。

 そして階段を昇るリアンの背中を、無言で眺める男性従業員。


 当然、リアンは知らないことだったのだが。

 この男性従業員は今朝、アモスがアートンに「宿の女将と寝ている」と、いっていた人物と同一人物だった。

 リアンは不思議に思いながらも、やっぱり心配してくれる人はいるんだなと、胸をなで下ろす。

 しかし実際は女将のいいつけで、ヒロトは放任しろといわれていたので、何の対策もしていないのが現実だった。

 リアンはその辺りの嘘を、当然のことながら見抜けず、ぐったりしながらも少し気分が晴れて部屋に帰ってきたのだ。


 シャワーを浴びてスッキリしたリアンは、ベッドにいるヨーベルを軽くのぞき込む。

 スヤスヤと寝ているのを見て、リアンは安心する。

 寝て起きたヨーベルは、たいてい以前のことは忘れているので、リアンはもう気にしないでおこうと思った。

 もしまだ機嫌が治っていなくても、アモスがいれば、なんとかしてくれるとも思っていた。

 時計を見ると、午前十一時を回ったところだ。

 リアンは、先程の差し入れの飲み物を一口だけもらう。


 そろそろお昼の時間だ。

 確か、休憩時間アートンが職場から抜けてきてくれて、ヨーベルに差し入れをする約束になっていた。

 そのことを、ヨーベルも楽しみにしていた。

 しかし、時間まであと一時間あった。

 リアンは極度の緊張から解放されたこともあり、自然とまぶたが重くなってくる。

 やがてソファーに腰掛けたまま、そのまま眠りに落ちてしまう。

 リアンが、眠りに落ちたと同時だった。

 いきなり、ベッドで寝ていたヨーベルが上半身を起こした。

 そして「そうだっ!」と、ヨーベルはいい放つ。

 キョロキョロと周囲を見渡し、目的のモノを見つけてヨーベルは、ベッドから起きてくる。

 ヨーベルは、ソファーで寝ているリアンに気がつくが、そっとしておこうと決めた。

 ヨーベルは見つけてきた、いくつかの低俗な雑誌類を、テーブルの上に広げる。

 興奮気味のヨーベルは、頬を紅潮させている。


 そして昨日、フロントの宿の主人から借りてきた雑誌を開く。

 さらに新聞をめくり、ネーブ主教の一糸まとわない、肉塊のような見開きページを見つけるのだ。

 ネーブの全裸に一切興味を示さず、ヨーベルはふたつの紙面を読み込む。

 ネーブ主教の映る見開き写真には、例の巨大な市庁舎が写っている。

 さらに地図を出してきて、ヨーベルは市庁舎付近を調べだす。

 そこから、ネーブのいる場所を予想して、だいたいの位置を考える。

 ヨーベルらしからぬ、やけに計画的でテキパキとした動きだった。


 そして新聞を取りだしてきて、その記事を読んで納得したようにうなずく。

「うん、これはきっと、いい考えなのです」

 納得したように記事を読むヨーベルは、自然と笑顔にあふれていた。

 そして再度、「そうだっ!」とヨーベルはポンと手をたたく。

 さらにいいアイデアを、思いついたようだった。

 視線の先には、アートンが持っていた、一番大きなかばんが見えていた。

「夕食前にサッといって、サッと帰れば問題ないでしょう~」

 そんなことを、ヨーベルは楽観的にいう。

 ヨーベルがテーブルの上のパンに気がつき、「ちょこっとだけなら、なんでも大丈夫なんです」という言葉をつぶやくと、パンを一口食べる。

 一口食べると、美味しくて手が勝手に次々とパンに伸びる。


 ヨーベルの側には、ネーブ主教のあられもない姿の写真が掲載された記事や、ネーブ主教にまつわる週刊誌が散らばっていた。

 窓から差す光が、下品な雑誌の画像や記事と、ヨーベルがパンを貪り食うその影を、床に映していた。

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