35話 「悪意無き策士」
宿に帰ってくると、フロントにいる従業員のオバチャンが、アモスと会話していた。
会話しているというより、従業員のオバチャンがアモスに謝罪をしているかのようだった。
アモスがさっきのヒロトの件で、何かクレームでも入れてるのではないかと思い、リアンは不安になる。
すると従業員とアモスが、宿に帰ってきたリアンに気づく。
すると「あの……、ごめんなさいね」と、いきなりリアンに謝罪してくる従業員のオバチャン。
リアンは、フロントの従業員に突然謝られて困惑する。
アモスがニヤニヤとして、その様子を見ている。
「え? 何が……、ですか?」
アモスの不敵な笑顔と、神妙な表情の従業員の顔を見比べて、リアンはオロオロする。
「実はですねぇ、聞かせてもらっていたんですよ」
そういって、フロントの横にある小窓をうっすらと開けて、表を見せてくる。
小窓から、店の外の景色が見える。
従業員が指差す、小窓の方向を見るリアンだが、彼のいる場所からはよくわからない。
「聞かせてもらってた? それだけじゃないでしょ、策士オバチャン」
アモスが、なんだか妙にうれしそうなトーンでいう。
従業員は身をすくめて、さらに申し訳なさそうにする。
「まあいいわよ、別に怒ってないわ。後は、あたしがいうわよ」
アモスが、従業員の顔を上げさせる。
「どういうこと、なんですか?」と、リアンが尋ねる。
アモスが、しょんぼりしてる従業員を見る。
「このオバチャンが、全部仕組んでたみたいなのよ。観察されてたみたいよ、あたしらとあのガキの件」
アモスがカウンターに肘をつきながら、ニヤニヤとリアンに笑ってくる。
「えっ? 仕組まれた? 観察?」
リアンは、まだよく理解できていないようだった。
そんな困惑中のリアンの横を、チェックアウトしたカップルがいちゃつきながら通り過ぎる。
その様子を見てリアンは赤面する。
そういえばこの宿は、そういう用途の宿だったことを、リアンはすっかり失念していた。
急いで出入り口付近から、アモスたちのいる場所に、リアンは小走りで向かう。
「やっぱり、坊やでも無理だったみたいで」
そう残念そうに、従業員のオバチャンが声をかけてきた。
その従業員の声と、小窓から見える光景で、なんとなくわかった気分になる。
カウンター横の小窓からは、外の様子がアヒルの餌やり場まで見下ろせるのだ。
「えーっと……」と、従業員のオバチャンがしようとしたことを、リアンは頭の中で整理しようとする。
「つまり、あのヒロトってガキをリアンくんにけしかけて、会話をさせようとしたってことよ」
アモスがうまく言語化できずにいるリアンに、そう教えてくれた。
「アヒルの餌やりをリアンくんにさせて、そのあとヒロトを向かわせる予定だったのよ。理解できた?」
「ああ、なるほど……」と、リアンはようやく完全に理解する。
「でも、あたしがいたのが失敗だったわね。ふたりだったら、なんとかなったかもしれないのに、残念ね」
アモスがニヤニヤしながらいう。
アモスに話しかけられると、従業員は自然と頭を下げてしまう。
「なかなか面白い試みだったけど、今のリアンくんにしたら、無力感でいっぱいかもね。覚えておいて、オバチャン! この子は、人一倍優しい子なのよ。あの娘を救えなかったっていって、逆に自分を責めるタイプなの」
アモスのやや強い語気に、従業員が恐縮する。
「はい、そのようで……。ほんと申し訳ありません……」
平謝りの従業員のオバチャン。
「やるならそうね、もう少しお膳立てしっかりしな。次の機会があるってんなら、あたしもちょっとは協力してあげるわよ」
勝手にアモスが、ヒロトとリアンをくっつけようとする策を、協力すると約束する。
それを聞いて、リアンは困惑の表情を浮かべる。
「ひょっとしたら、何かいいお話しでも、できるかと思いましてね。リアン坊っちゃんは、ヒロトお嬢さまと同じ年代ですから……。本当にごめんなさいね、勝手なことしちゃって」
従業員が何度も、申し訳なさそうに頭を下げてアモスとリアンにいう。
「もういいわ、謝るの中止!」
アモスが、従業員のオバチャンにいう。
「僕と、会話ですか……?」
リアンが、不思議そうに首をかしげる。
「歳も近いでしょ? リアン坊っちゃんなら、優しそうなので、餌やりの時に会話もできるかと……。ごめんなさいね、小賢しいことしちゃって」
「いえ、話す機会があれば、悩みとか聞いてあげたいと思っていたから、僕は別にいいですよ。でも、やっぱり逃げられちゃって、お力になれずにすみません」
リアンはダシに使われていたのに、自分の無力さを謝罪する。
「ほらね、こういう子なのよ」
アモスの指摘に、リアンはちょっと照れくさくなる。
「むしろその……」といって、リアンはアモスをチラリと見る。
「表で彼女にひどいこと、しちゃったから……」
アモスが、ヒロトにやった狼藉の件をリアンはそれとなく口にする。
「どんなひどいこと? リアンくん、そんなことしたの?」
アモスが平然と、はぐらかすようなセリフをいう。
それについて、従業員は黙り込んでしまう。
店先での出来事だったから、従業員も一部始終見ていたはずだが、その件には触れようとしない。
リアンの困ったような表情を見て、アモスがクスクスと笑う。
「う~ん、こんな優しそうな、いい男の子なのにねぇ……」
リアンから、鉄バケツを返してもらった従業員がいう。
「わたしだったら、よろこんでペラペラお話し、しちゃうと思うんですけどねぇ。これは運命的な出会いなんだとか思って、ヒロトお嬢さまも、心開くと思ったんですけどね……」
五十代ぐらいの従業員が、年甲斐もなくロマンチックな、まるでヨーベルのような物いいをする。
「運命って、オバチャン意外と、考え方が若いわね」
アモスがクスクス笑って、カウンター後ろにある、読みかけの恋愛小説を見つける。
「その後ろの、内容まっピンクの本の影響かしら?」
「アハハ、お恥ずかしい。娘の演劇の影響で、いろいろ読み込んでいくうちに、わたしもこういうのにハマっちゃいましてねぇ。いい歳して、お恥ずかしい趣味だとは思っているんですが」
照れ臭そうに、従業員は読んでいた恋愛小説を、そそくさと本棚に片づける。
「別にそれぐらい、隠すような趣味でもないでしょ。あたしの、人には絶対いえない趣味に比べたら、可愛らしいものよ」
アモスはニヤニヤする。
「それにしてもさぁ……。あの娘は、本気でヤバいわね。家族とも宿の人間とも、あたしらにも、運命の人リアンくんにさえも、心開こうとしないわね」
アモスがリアンに向けて、ニコニコしながらいってくる。
「なんですか、運命の人って……」
リアンが、困ったような表情をする。
アモスは、ヒロトを放っておけとはいっていたが、何故か彼女の話題になると楽しげなのだ。
その辺りのアモスの心理が、リアンにはよくわからない。
引っ掻き回して、状況がどんどん悪くするのを、楽しんでいるかのようでもあり、リアンは不安になってくる。
ヒロトのことを、なんとかしてあげたいと漠然と思っていたリアンだが、アモスの介入で悲惨な結果になりかねないのでは、とまで考えるようになっていた。
この宿に滞在する予定は、一週間しかない。
やっぱりさっきアモスがいったように、ヒロトの厚生は、部外者が何もせずに放っておいて家族に任せるのが一番なんだろうか。
「すべてを一変させ得る、そんな出会いが人生にはあるんですよ。それは一回きりなんかではなく、自分の生き方と努力、そして周囲の好意によって、何度も訪れるのよ」
フロントのオバちゃんが、ロマンスにあふれたセリフをいう。
「確かにね! でもそのセリフ、どのピンク小説から引用したの?」
アモスにいわれ、従業員が今読んでいる小説を、恥ずかしそうに見せてくる。
「あの日の華」と、いう小説のタイトルだった。
「人生を変える、そんな出会いは本当に存在する、ですか……。そういや、僕もそんな出会いに、けっこう満ちていますね。いいことや悪いことも、あったりしますけど」
リアンのセリフに、従業員のオバチャンが「それが人生ですよ」といってくる。
「自分の世界に引きこもって、今のヒロトお嬢さまは、そのチャンスを逃しているような気がしてならないのですよ。だから、申し訳ないと思いつつも、お客さんたちが改善へのきっかけに、なるかと思いまして。でも、本当に自分勝手な手段だったと、反省しています……」
従業員のオバチャンが、改めて謝罪してくる。
従業員の言葉に、リアンは少し思うところがあったのか、腕を組んで考え込んでしまう。
「えっと、あの……」
ここで従業員が、言葉を詰まらせる。
「盗み聞きしてた件なので、いいにくいんですが、この話しもしておこうかしら……。いおうかどうか、ものすごく悩んでいたんですが……」
従業員のおばちゃんが、腕を組んで、まるで演劇役者のような仕草で考え込む。
「その芝居がかった感じ、娘の趣味に影響受けすぎよ。でも、オバチャンの話し興味あるわね。せっかくだから、舞台女優みたいに話してよ」
アモスが気になって、カウンターに乗りだす。
「わ、わたしは別に、演劇には詳しくないですよぉ……」
「フフフ、実はあたしもね。あのガキの面白い場面、昨日見ちゃったのよねぇ。それと関係あるかもね」
アモスは、リアンに笑いかけながら話してくる。
なんだかヤバい話題に、突入しようだとリアンは察した。
もし昨日のデモ絡みの件なら、かなり重そうな話題になるはずだろうから、止めたほうがいいかもしれないとリアンは焦る。
小窓から、先ほどの一部始終を目撃していたとしたら、なおさらだろう。
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