5話 「教会の女神官」

 ドアが開き事務所に訪れたのは、やたら薄汚れた厚手のコート姿の大男だった。

 四十代ぐらいの頭髪が寂しい大男だが、柔和そうな印象の人物だった。

 男の名前はエニルといった。

 首にタオルを巻き、農夫のような格好をしているが腰には銃を装備し、姿勢の正しさからも彼が絶対、ただの農夫ではないのがうかがい知れる。

「おや……、この子は?」

 事務所に入ってきて、すぐにリアンを見つけてエニルは驚く。

 明らかに場違いな、燕尾服を着用したリアンを見つめる。

 リアンが、エニルに軽く会釈してくる。

 エニルが挨拶を返してから、キャラヘンたちの様子をチラリと見て、すべてを察する。

「ああ……。なるほど、またですか……」

 呆れたように、エニルはそんなことをいう。

 やはりこういったミスは、この島ではそう珍しくないようだった。


「じゃあ、リアンくんは一週間、教会でお世話になるってことで」

 キャラヘンとエニルが手早く、そう話しをつけてくれている。

 短時間で話しが進行したところを見ると、本当にこの謎のミスは多いようで、対処も手慣れた印象をリアンは受けた。

 しかも彼らは、リアンが気になることをいっていた。


(教会? オールズ教会なのかな?)


 リアンが、ふたりの話しを聞きながらそんなことを思う。

「オールズ教」は、この物語の舞台である、「エンドール王国」の国教だった。

 唯一神オールズを信仰する、エンドール王国でのみ布教されている、まだ歴史的には浅い宗教だった。

 エンドール王国出身のリアンだが、実はあまりオールズ教とは縁がなかったのだ。

「リアンくん、そういうことだから。今日から教会で、しばらくの間お世話になってくれるかい」

「はい、わかりました」

 キャラヘンの言葉に、リアンは素直に従うことにした。

 教会でのしきたりとか、そういったものには無知だったのだが、周囲の環境に空気のように溶け込めるリアンは、意外とはじめての環境でも、適応するのが得意だった。

 この島のオールズ教会が、どういった場所なのかはまだわからないが、リアンは特に不安もなかった。

 一週間刑務所に送られて、囚人と同じ牢屋に入れられるわけでもないのだから。


「じゃあ、さっそく出発しようか」

 エニルを先頭にして、リアンやキャラヘンが事務所から外に出る。

「正直、リアンくんに羨ましさを感じるよ……」

 外に出ると、いきなりキャラヘンがそんなセリフをポツリという。

「え? どうしてですか?」

 リアンが、驚いたように訊き返す。

「ん? い、いかんな、思っていたことが口に……。ハハハ、今のは忘れておくれ」

 キャラヘンは、失言を悔いる感じで苦笑いしながらいう。

 外では荷車を牽いたロバがいて、看守たちがそこに積み荷を積み込んでいる。

 食料品らしいが、けっこうな量がある。


(教会にいる人は、そんなに多いのかな?)


 荷物の量から、そんなことをリアンは思っていた。

 すると……。


「あっれ~! その可愛い子は、誰ですか~?」

 いきなり若い女性の声がして、リアンはそっちを見る。

 ヌーナンたち看守と談笑していた、リアンからは死角になって見えていなかった場所にいたのは、長い金髪の綺麗な女性神官だった。

 女性神官は、初対面のリアンに向かって無邪気に手を振ってくる。

 まだ二十代前半の若さで、若干身長が高く大柄だったが、間違いなく美人の部類に入る女性だった。

 しかし、どこか間の抜けた声と仕草で、女性的な容姿に反してかなり幼く思える。

 女性神官は麦わら帽を被り、首からかけている懐中時計を大事そうにいじってる。


 さっそく、リアンの側にドカドカ駆けよってきた女性神官。

 神官なのに厚底のブーツを履いているので、足音が大きかった。

 女神官は、興味深そうにリアンの周りを犬のように回り、値踏みをするかのような行動を取ってくる。

 しかも、くんくんと匂いまで嗅いでくる。

 初対面の人からされる、はじめてのリアクションにリアンは戸惑って固まってしまう。

「あ……」

 リアンはドキリとする。

 留置所からこの島に到着するまでの間、リアンは数日間風呂にも入らず着替えもしていないのだ。

 年頃の少年が女性に匂いを嗅がれて、強烈な羞恥心を覚える。

 リアンはたちまち真っ赤になる。

「アハハ、真っ赤だ! 可愛い~! わたしはヨーベル・ローフェだよ!」

 リアンの正面に立ち止まると、女性神官はそう元気に挨拶してくる。

 匂いのことについて、何もいってこないのがリアンは気になってソワソワする。

「こちらがローフェ神官だよ。島のオールズ教会で、暮らしておられるんだよ」

 エニルが、教会があるらしい方向を、指差して教えてくれる。

 港からは木々に阻まれ、肝心の教会は見えなかった。



 キャラヘンとバークがローフェ神官を交え、リアンがやってきた経緯と事情を説明している。

 いつの間にか、空はどんどん曇ってきていて、今にも雨が降りそうだったので、キャラヘンの説明もかなり早口だった。

 しかし、あれだけ疲れていたキャラヘンだったのに、ローフェ神官と話す時は相当元気になっていた。

 身振り手振りを交え、キャラヘンは終始笑顔を絶やさない。

 リアンは、キャラヘンとローフェ神官のじゃれ合いのような会話が終わるのを待っているが、終わりそうもなかった。

 仕方ないので、リアンは荷車を牽くロバの側に歩いてみる。

 大人しくて利口そうな、やや年老いた印象のロバだった。

 リアンはロバの首をなでると、なんだか途端に安心したような気持ちになる。

 故郷で飼っていた、家畜たちを思いだしたのだ。


「おっ待たせちゃ~ん! リアンく~ん!」

 キャラヘンとの会話を終えたローフェ神官が、リアンの側に小走りでやってきた。

 何故かローフェ神官はいきなり、リアンのほっぺたを軽くつねってくる。

 ローフェ神官なりの、緊張を解きほぐす挨拶なのかもしれない。

 特に痛みもないので、リアンはされるがままにしておくことにした。

「おおっ! この子に興味を持つとは、なかなかのセンスです! ほらセザン、この子はリアンくん! 可哀想な、迷子の男の子ですよ。はいっ! ご挨拶!」

 ローフェ神官が、リアンにロバを紹介してくる。

 セザンと呼ばれたロバが、リアンに向けて軽くいななく。

 ようやくリアンのほっぺたから、手を離してくれるローフェ神官。


「どうしてこの島に来たの? ひとりだけで? アムネークから来たんですか?」

 リアンの返答を待たずに、矢継ぎ早に質問してくるローフェ神官。

 あまりのテンポの早さに、リアンが答える隙がまるでない。

 というか、さっきまでキャラヘン副所長たちから、事情を聞いていたはずだったと思うのだが? とリアンは思う。

 リアンは、ローフェ神官のキャラクターに困惑する。

「アハハ、パーティー帰りなの?」

 リアンの着ている燕尾服を指差して、ローフェ神官がさらに訊いてくる。

 少し間が開いたので、リアンが答えようとする。

「えっと……」

「酔っ払って、ここ行きの船に、乗り込んだんですね~! きみぃ、やりますね!」

 やはりリアンの話しを聞く間もなく、勝手に話しが進む。

 リアンは終始、妙に饒舌な神官のテンションに圧されていた。

 うれしそうに話しかけてくるローフェ神官は、首からかけてる懐中時計の鎖を持って、ブンブン振り回してる。

 何かいろいろ、危ない感じがしたリアンが、言葉にしにくい不安に囚われる。


 リアンたちは、教会に向かって港を出る。

 舗装された緩やかな勾配のスロープを登ると、そこから先は未舗装の土道がふた手に別れて伸びていた。

 そのまま北上すればジャルダン刑務所に向かい、東に向かうとオールズ教会に到達するという。

 リアンは港を出た先にある、道を分岐する中央部分に位置していた岩山が、実はずっと気になっていた。

 北の方向に見える、ジャルダン刑務所の巨大な壁以上に、港にいた時から興味を引いていたのだ。

 岩山に掘られた巨大な彫刻群が、異様な雰囲気を醸しだしていたのだ。


(これ、なんだろうか……)


 見た目醜悪なバケモノ群が、岩山には彫刻として彫られていたのだ。

 特にその中央で目を引くのが、ひときわ大きな異形のバケモノだった。

 背中から無数の腕が生え、それぞれの手が凶器を持ち、逃げ惑う罪人らしき人々を殺害しているというおぞましい彫刻だったのだ。

 リアンが岩山の彫刻を眺めていると、後方からクラクションが鳴らされる。

 キャラヘンが、部下のヌーナンの運転する車で刑務所に帰るらしく、港から出てきたのだ。

 リアンの横に車をつけると、キャラヘンが窓を開けて彼を手招きする。

「ローフェ神官、とっても賑やかな人だけど、悪気はないから。一週間、彼女の話し相手になってあげておくれ。彼女ずっとひとりで、寂しかったってのもあるだろうから……」  

 キャラヘンが、リアンにこっそり話しかけてくる。

 その言葉にリアンは驚く。

「ひとり?」


「あら? 内緒話しですか~? 何? 何?」

 ローフェ神官が興味を持って、リアンの側にやってくる。

「一週間楽しくねって、いってたんですよ。ローフェ神官も、リアンくんのお世話、よろしくお願いしますよ」

 キャラヘンがそういうと、ローフェ神官が左手を使って敬礼を返す。

 右手は、首からかけた懐中時計をまだ振り回してる。

 その様子を見ていたリアンだが、彼女の神官とは思えない言動と行動に、若干の不安を覚えだしていた。

 しかも、キャラヘンは気になることをいっていた。

 教会には、もっと神官がいると思っていたいたのだが、ローフェ神官ひとりしかいないという。


(この人が、ひとりで?)


 リアンは失礼にあたると思いつつも、目の前のローフェ神官を疑惑の目で見てしまう。

 彼女のその背後には、岩山に彫刻された、おぞましいバケモノの姿があった。


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作品のヒロインの登場になります。

覚えてもらえるとありがたいです。

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