3話 「獄門島の洗礼」

「ところで……」

 事務作業をしていた看守が、周りを見渡す。

「メビー副所長は、まだ来ていないんですね」

 事務員は、メビーというもうひとりの副所長の姿を探す。

「来てるわけないだろ、これから、いつもの茶番がはじまるんだよ。前々回あたりから、登場演出まで考えるようになってきたからな、あの人。絶対向こうで、そのタイミング見計らってるんだろうよ」

 キャラヘンが指さした方向には、橋らしきものが見える。


「ああ、なるほど……」

 事務員が納得したようにつぶやく。

「毎度毎度同じことばっかやって、よく飽きないもんだなぁ」

 キャラヘンが、明らかに不快感を表す。

 同じ副所長のポストに就く人物への批判をするキャラヘンに、苦笑いするしかできない部下たち。


「でもまあ、刑務所の看守ですからね、第一印象は大事でしょう。特にあの方は、舐められるわけには、いけない立場ですからね」

 ヌーナンがそんなことをいって、もうひとりの副所長を擁護する。

「なんだい、そのセリフは。僕なら、舐められてもいいってのか?」

 不満そうにいうキャラヘンだが、別に怒ってもいない感じだった。

 その場で軽く笑いが起きる。

 彼らの人間関係には、それなりの信頼が成立しているようで、軽口をいい合える仲でもあるのだ。


「キャラヘン副所長には、信頼を自然と得る人徳がありますからね。それは、メビー副所長の厳格さとの対比も、大きく関係しているわけですよ。おふたりは、互いにそれぞれの役割を、きちんと担っているわけですよ。案外、管理システムとして、今の状態は最良なのかもしれませんね」

 事務員が急にそういいだす。

「おいおい、冗談はよしてくれ」

 不服だといわんばかりに、キャラヘンが事務員にいう。

「もちろん、冗談ですよ」

 事務員が即答すると、囚人が船から次々降りてくる。

「おっと、おしゃべりは、ここらにしておきますか。第一印象は、大事でしょうからね」

 ヌーナンが緩んでいた表情を、キリッと締める。

 他の看守も、口を真一文字に閉じたり、深呼吸後目つきを鋭くさせたり、自分の頬をぶって気合を入れる看守もいる。

 船から囚人たちが降ろされだすと現場が一気に緊張するが、キャラヘンだけはタバコを吸って、虚ろな目で関係のない方向を見つめていた。


 降りてきた新入りの囚人を、銃を構えた看守たちが整列させる。

 先ほどまで談笑していたヌーナンも、囚人たちの前では、厳格な老看守として立ち振る舞っていた。

 港の事務員のバークがいうには、今回は数こそ多いが、詐欺や窃盗等の比較的小物な罪人ばかりらしい。

 以前は、そういった小物はこの獄門島には来なかったのだが、ある時を境に、やたら罪状の軽い囚人も増加しだしたのだ。

 さらに、グランティル語を話すことができない外国人犯罪者の増加も頭を悩ませていた。

 キャラヘンは、さっきまで事務員が見ていた囚人ファイルをチラりと一瞥すると、すぐ地面に放り投げた。

 キャラヘンにとっては、こんな形式的な面倒な仕事はさっさと片づけて、自分の今やるべき作業に戻りたくてたまらないのだ。

 彼自身とても大事な作業があり、それの締め切り時間がけっこう逼迫してきていたのだ。

 キャラヘンがここのところ、まともに眠れていないのもその作業の追い込みのせいだったのだ。


「ってか、メビーはまだかよ!」

 珍しくキャラヘンが声を荒げる。

「もうそろそろ、いつもみたく……」

 部下の看守が、キャラヘンをなだめようとしたら、遠くからエンジン音が聞こえてくる。

 そっちを見ると、一台のバイクを先頭に二台のバスが、港の先にある橋方面から土煙を巻き上げてやってくる。

 仰々しい登場の仕方を見て、キャラヘンは舌打ちする。

「第一印象は、ほんと大事なんでしょうね」

 事務員のバークが苦笑いしながら、キャラヘンにいってくる。


 こちらに向かってくるバイクとバスの集団を見て、港に降り立ったばかりの新入りの囚人たちは、露骨に狼狽している感じだった。

 港を出た先にある、禍々しい彫刻が新入り囚人たちの興味の対象だったのだが、今やすべての注目をバイクとバスの集団がかっさらっていった感じだ。


 港にやってきたバイクが止まると、バスから集団の武装した看守が出てきて、バイクの男の後方に整列する。

 バイクから降りた男は、黒人の大男の部下から帽子をもらい、それを被る。

 そして、その男が警棒をこれみよがしにパシパシとたたいて、囚人たちに歩みよる。

 彼が、この刑務所のもうひとりの副所長、メビーだった。

 身長百八十センチほどの、たくましい男だった。

 制服の上からでも、筋骨隆々の肉体を持っているのがわかる。

 左腕にあった赤い腕章が、黒い制服姿によく似合っていた。

 到着したメビーはキャラヘンと目も合わせず、整列された囚人たちに歩いていく。

「ようこそ獄門島に!」

 囚人たちの前につくより先に、大声で発言するメビー。


「新しい絶望に満ちた新生活を、我らジャルダンの同士一同、心から歓迎しよう! わたしが、ここの副所長メビーだ! だが、今すぐ名前など覚える必要はない! これから嫌でも貴様らの記憶に、その名を刻みつけていってやるからだ!」

 囚人たちをにらみつけながら、メビーは前列の囚人ひとりひとりの顔を確認していく。

 いきなり現れた強面の看守に、目も合わせられない新入りの囚人たち。

 そんな中、メビーはひとりの若い新入りだけが、つまらなさそうにしているのを見つける。

 しかし、あえてそれを無視してメビーはつづける。


「最初に宣言しておこう! わたしたちは、貴様らにとって別に敵ではない。貴様らが、いわれたことをやり、しろといったことをして、やるなということをやりさえしなければ、よき協力者でもあり友にでもなりうる……。友だち作りの好きな、腑抜けたクソ看守も中にはいるからな」

 そういってメビーは、チラリと事務所前にいるキャラヘンを見る。

 キャラヘンは、挑発には乗らず無視することにしているようだ。


 そんなメビーの演説を、船から一緒に降ろされたリアンが、最後列で聞いていた。

 しかも何故かリアンだけ、目だけくり抜いた麻袋を被せられている。

 頑丈な手錠は重く、自分のだけ他の囚人たちと別物だというのはすぐわかった。

 リアンは、手錠をかけた手首に感じる鈍い痛みを我慢し、麻袋を被せられた頭頂部がかゆいのをこらえていた。

 視界には入らないものの、船で一緒だった「あの男」がすぐ後ろに立っている気配は、リアンには感じられた。

 確実に自分を監視している、無言の圧力が背後からビリビリと伝わってくる。


(いったい、この人なんなんだよ……)


 何度、この疑問を頭の中で繰り返したのか、リアンはもう覚えていないほどだった。

 この刺青男、船に乗る前から何故かリアンにだけ、ベッタリ張りついて行動を監視しつづけているのだ。


 周囲の看守や囚人は、リアンという子供がその場にいるということに、誰も気づいていない。

 リアンは、この状況がおかしいということに、誰かが気づいてくれないかとかすかな望みを託していた。

 しかし、メビーという副所長の威圧的な演説に萎縮した囚人だけでなく、看守までもその異変に気づかない。


「貴様らが、自分の立場が犬同様だと認識した時点で、ここでの暮らしが本格的にはじまるわけだが! その点でいえば、きみたちは早い段階でここの住人にふさわしい……。なかなかいい順応ぶりだ。賢しい人間は信用ならんが、賢い犬は好かれるものだ」

 メビーは歩きながら、後列の新入りの囚人たちの顔をひとりひとりチェックする。

 このままいけば、メビーは最後列のリアンに、気がついていたかもしれない。

 しかし、途中で足をピタリと止めるメビー。


「ただし……。きみ、以外を除いてな……」

 メビーは、終始態度の悪かった若い男の前に立つと、見下すような視線を投げつける。

 それでも若い男は、反抗的な態度をいっさい崩さない。

 周囲の新入りたちが、固唾を呑んでいる。

「あんたよぉ、話し長いんだよ……。っていうかよぉ。俺、ションベンがしてぇ、あんたの足元にしていいか? 俺、立派な犬なんだろ? 仲間外れにするなんてこと、ないよな?」

 若い男のメビーへの言動に、その場全体の空気が凍ったようになる。

「はぁ、今回はかなり、荒れそうですなぁ……」

 キャラヘン一味のヌーナンたちが、不穏な空気を察してため息をする。

 隣に座っていたキャラヘンが、何も知らないという顔つきになる。


「もちろん、構わないさ」

 メビーの口角がニヤリと上がる。

「きみが自分の立場を、よくわかってくれていて、うれしく思うよ。いったろ、賢い犬は大好きだと」

 メビーが、若い男の言動に笑顔で応える。

「へへへ、そうかい、じゃあっと」

 態度の悪い男がズボンのチャックに手をかけると、性器をボロンとだしてくる。

 その刹那、メビーの警棒が若い男の胸を強打する。

 いっさい躊躇のない一撃で、若い囚人はその場で飛び上がると、前のめりに倒れこむ。

 崩れた男の背中に、さらに容赦のない警棒の一撃を振り下ろす。

 聞いたこともないような、鈍い音が港中に響き渡る。


 地面に倒れこんだ男の背中に、何度も警棒を振り下ろし、トドメとばかりに脇腹を蹴り上げるメビー。

 若い男は、その場で失禁して気絶する。

 地面に広がる小便をゆっくり歩いて避けると、メビーは不幸な男の頭を踏みつける。

「頭はいいが、躾がなっていない犬なのが残念だ。きみには、熱烈な指導がこれからは必要なようだ、良い資質を持っているだけにな。フフフ、ジャルダン刑務所にようこそ! 改めて歓迎するからな、糞野郎ども!」

 メビーは、その場に響き渡るような大声で宣言する。

 そしてメビーは、手招きで部下たちを呼ぶ。


「この犬が、まずは医務室の見学をしたいそうだ! 首輪をつけて案内してやれ!」

 メビーがそういうと、部下の看守たちが男の襟首を乱暴に引きずっていく。

 小便でできた汚い道が、バスまでつづく。

「車内は、絶対汚すなよ! こいつは、死体袋にでも入れておけ! 汚い服も、脱がして捨てておけ!」

 メビーが部下に大声で怒鳴り、敬礼で応える部下の看守たち。


 その一部始終を見せつけられた他の囚人たちは、自分がとんでもない場所に来たということを、改めて認識したように震えていた。

 一方メビーにとっては、最高の自己紹介的初顔合わせだったようで、とても満足気のようだった。

 帰り際、メビーはだらけてタバコを吸っているキャラヘンを、無言で一瞥して去っていく。

 メビー副所長の左腕には、見せつけるように赤い腕章が、これ見よがしについていた。

 その腕章は、キャラヘンを含めた他の看守たちにはついていないものだった。

 しかし、不運な若者を丸裸にひん剥いて死体袋に詰め込んでいるメビーの一派は、全員同じ赤い腕章を左腕に装着していた。

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