グランティル大紀行

木村無効

第一章 『獄門島狂想曲』

1話 「目覚めの少年」

 少年は硬いベッドの上で、不快な室内の揺れに耐え切れず、うめきながら目を覚ます。

 天井にこびりついた赤茶けた汚れが、ぼんやりと視界に広がってくる。

 途端に、少年リアンは不愉快な気分に襲われる。


「やっぱり、夢じゃないんだよな……」

 身体を横たわらせたまま、リアンはそうつぶやく。

 身体全体が、ゆらゆらと揺れる不安定な感覚。

 自分が船の一室にいることを、改めて実感した。

 リアンを不安にさせる原因。

 彼が乗っているこの船は、囚人移送船だった。

 リアンと同じような作りの船室は他にもあり、そこには刑務所に移送される囚人たちが乗せられているのだ。


 殺風景な一室、窓には鉄格子が設置されていた。

 リアンは、ゆっくりとベットから立ちあがる。

 ベタつく壁に手をつくと顔をしかめ、リアンは小窓の方向に歩いていく。

 揺れる船内と気分の悪さから、足元がおぼつかない。

 さらに頭痛もひどく、先日殴られた箇所がまだジンジンと痛む。


 小窓付近にある、汚れた鏡に映った自分の姿を見て、リアンは愕然とする。

 自分とは思えないほど疲れ切った顔をした、少年の姿がそこにあったのだ。

 目の下に黒いクマのようなものが出ていて、髪はボサボサになっていた。

 汚いシーツのベッドで寝たせいで、顔がところどころ薄汚れている。

 ここまで別人に見えるほどひどいと感じたのは、まだ若いリアンにしたら、はじめてといっていいほどの衝撃だった。


 リアンは、なるべく自分の姿を鏡で見ないようにして、鉄格子に手をかけて窓から見える海を眺める。

 小窓から海を眺めると、遠くに島が見える。

「あの島が、目的地なんだろうか? っていうか、僕なんであんなとこに……」

 リアンは、これから向かう行き先を思い、暗澹たる気分になってくる。


 山育ちのリアン。

 故郷を出る時は、海に行くのが楽しみでもあったはずだったが、まさかこんな形で海を体験することになるとは思ってもいなかった。

 ひたすら気分が重い……。

 初めての海、初めての船、初めての航海。

 そのすべてが、こんな最悪の形での初体験になってしまうのだから。

 窓から見える島から、リアンは視線を自分の部屋に移す。

 そこには、異臭を放つ汚らしい便器があり、不快なきしみを発するベッドも置いてある。

 シーツも毛布もボロボロで、嫌な臭いまでさせている。

 やけにベタベタとする床や壁が、この部屋の空気をさらに汚染していた。

 とにかく、不潔で臭くてたまらない、最悪の航海なのだ。


「なんでこんなとこに、僕はいるんですか!」

 思わず感情が昂ぶりだしたリアン。

 すると、頭に刺すような痛みが走る。

 数日前に殴られた箇所が、鈍痛ではなく激痛として蘇ったのだ。

 思わずうずくまり、リアンはその姿勢のまま、頭痛が収まるのを待つことにした。


 しばらくすると、部屋の外から足音がしてリアンはドキリとする。

 部屋の外を歩く人間は限られている。

 その足音の主から発せられる口汚い罵声が、廊下全体に響き渡るのを航海中、何度も耳にした。

 まだ少年のリアンにしたら、それだけでも毎回相当なストレスになっていた。

 リアンの緊張が高まるにつれ、頭痛が激しくなっていく……。

 痛みを我慢しながら、足音の主が今回は誰を怒鳴りつけにやってきたのか、リアンはビクビクしながら息を潜める。


 カツン……。


 リアンの部屋の前で、人が立ち止まった気配がした。

 静寂の中、冷や汗が流れ出る。

 リアンは呼吸も忘れ、身動きすることすらできないほど怯える。

 自分の飲み込む唾の音だけが、ひときわ大きく聞こえるようだ。

 鉄格子のついたドアの小窓が、ガラリときしむ音を立てながら一気に開かれる。

 そして、眼光の鋭い男が、そこからリアンをにらみつけてくる。

 リアンは、恐怖で身体がすくみ上がる。


 この男が、何者なのかはリアンにはまったくわからない。

 ただ、自分に対して、極度の悪意を持っているのだけは確実だった。

 身長が百九十センチはありそうな筋骨隆々の大男で、刺青だらけの皮膚が薄い肌着から威嚇するようにのぞいている。

 凶暴そうな両目の上には、龍が瘴気を吐きだしている刺青が彫られていた。

 男が只者ではない人物であるのは、その容姿から容易で想像がつく。


「あなたは誰で、どうして僕にひどい扱いをするのですか?」

 人の悪意に触れたことが少ないリアンは、この男に純粋に尋ねたのだが。

 そう質問した結果が、数日前有無をいわさない暴力として、リアンに返ってきたのだ。

 人から殴られるという、はじめての体験をしたのだった。

 それ以来リアンは会話することも諦め、男にされるがまま、今回この航海に強制参加させられたのだ。


 このような経緯から、リアンはこの男が苦手を通り越して、怖くてたまらなかったのだ。

 だいたい、成人男性の囚人しかいない船に、十代の少年が乗せられているのだ。

 何故少年が、囚人移送船に乗っているのか?

 考えればすぐに、おかしいということに気づくはずだ。

 ひょっとしたら、海に投棄されるのでは、という恐怖心が浮かんでもおかしくなかった。

 ただでさえ、リアンは妄想癖のある内向的な少年だった。


 しばらく無言でリアンをにらみつけている男。

 僅かな時間のはずが、リアンには何時間にも感じられた。

 結局、男は何もいわず小窓を乱暴に閉めると、ドア下からスープのようなものを滑りこませる。

 一日に二回だけある食事なのだが、何故かリアンにだけはいつもあの男が、他の囚人とは時間も別にして渡しにくるのだ。


 立ち去る男の足音が完全に消えるまで、リアンは一歩も動けずにいた。

 質素なスープは、船の揺れで食器からこぼれ落ち、床を汚していく。

 この部屋全体がやけにベタベタしているのは、このこぼれたスープのせいなのかもしれない。

 いったい何のスープなのか、得体の知れなさをリアンは毎回感じる。


 すると、リアンは急にこみ上げてくる吐き気に襲われ、便器に駆けよる。

 汚い便器の臭気が、さらに嘔吐感を刺激する。

 リアンは、水のような吐瀉物を一気に吐きだす。

 リアンがトイレで嘔吐している間、小窓には「獄門島」として名高い、「ジャルダン刑務所」の姿がうっすらと見えてきていた。

 島にある港が見え、リアンを乗せた船がそこに近づいてくる。


 リアンというこの少年……。

 何故か今回、囚人として刑務所に移送されてきたのだった。


 そして、ここからこのリアンという少年に焦点を当てた、「グランティル」という地域で起きた、歴史的大事件を巡る壮大な物語が始まるのだった……。


──────────────────────────────────────


完走できるように頑張ります。

長い物語なので、少しずつ読んでいってもらえたらと思っています。


https://twitter.com/muukononaka/status/1784385688995258416

これが現在作成されている、グランティルの地図になります。

ただ、物語進行と同時に、地形が変化してしまい、最新版には対応していません。

とりあえずの暫定的な地図としてお使いください。

最新版地図の作成も近く書かせてもらいますので、もう少しお待ちください。

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