第48話・紅竜の反逆(それほどマジな話ではない)

 「………正気かね?」


 研究課題の提出に行ったとき、お嬢さまが意気軒昂として差し出した書類を見て、指導教官の先生はモノクルを取り落とさんばかりに目を見開いていた。


 「ええ、もちろんですわ。そして正気なだけではなく、本気ですとも」


 教官室の中、この帝国高等学校でも最年長の教師になるビアール先生は、若者特有の怖いもの知らずを年長者らしく窘めた方がいいのか、その挑戦を称揚した方がいいのか迷った挙げ句、何も言わないことを選んだ。ように見えた。


 「……分かった。研究計画書の作成に入ってよろしい」


 そしてそれだけを言うと、計画書の作成について細かいことはバスカール先生に聞くように、と告げて、わたしとお嬢さまは教官室から追い出すよーな空気に背中を押されて、部屋を出たのだった。


 「どうでしたか?アイナ様」

 「ふふ、感触は良好ですわ。ビアール先生もわたくしたちの本気の気概に気圧されたようでしたもの」


 あれを見てそう感じ取れるお嬢さまの感性も大概理解し難いなあ。主との関係性を少し考え直した方がいいかも、とネアスの方にすりよるわたし。


 「あれ?どうしたのコルセア。お腹空いた?」

 『その言い方だとわたしネアスをゴハンくれるだけの人に思ってるみたいじゃない。そんな失礼なこと考えてないからね?』

 「ふふ、ありがと」

 「聞き捨てなりませんわね。それならわたくしはあなたのゴハン係ということになるのかしら?」

 『なんでそーなるのかワケの分かんないダダのこね方しないでくださいってば。別にお嬢さまからネアスん家に乗り換えようなんて考えちゃいませんし』

 「どうかしら?この間も当家を見限るようなこと言っていたと思うのだけれど」

 『お嬢さまぁ、信頼と信用に醸成された冗句の発露は、人間関係を円滑にする秘訣だと知っておいた方が良いですよぉ?』

 「火を吐いて空を飛ぶトカゲに良好な人間関係を保つ秘訣を説かれるとは思わなかったわね。それでは先日の恩知らずな発言と、わたくしからの追求を逃れようとネアス・トリーネの影に隠れているのも、信頼と信用に裏打ちされた行為、ということでよろしいのね?」


 わたし、ネアスの背中から顔を覗かせながら「はい、そうです」とこくこく頷く。だってお嬢さまがニコニコしててすんげぇ怖いんだもん。


 「……そう。それなら今からわたくしが行うのも、あなたに対する篤い信義の求めるままに執り行われる行為であり、わたくしとあなたは以後離れ分かたれることの無い永遠の契りを結ぶが如き、信頼を固められることになる、ということでよろしいわね」

 『よろしくないです。ていうかお嬢さまが何を言ってるのか分かりません。今日のところはお嬢さまも混乱しておいでなので一日頭を冷やされた方がよろしいと存じます。これは忠勇を誇るペットの衷心からの申し出です。なのでわたしは今日は退勤しますねっ。じゃっ!』

 「あっ!こら待ちなさいコルセア!ネアスも逃がすんじゃありませんっ!!」

 「えっ?!あ、は、はいっ!コルセア待ってっ!!」


 誰が待つもんかーい。

 お嬢さまはもとより、わたしがすりすりしてたネアスの手からも逃れ、大きく開け放たれた窓から中庭に向けてあーいきゃーんふらーい…って実際飛べるけど。

 なのでわたしは二人の手の届かないところまで来ると、スピードを落として呑気にギニャッ?!


 「あ、すまね。当たっちまったか?」


 突然全身が痺れるように打たれて、それからなっ、なに?なにごとっ?!……と慌てる心中とは裏腹に、言うことを聞かないわたしの体は、二階の高さから真っ逆さまに落ちていく。そして暗素界とは全く関係の無い力であるところの重力に従って、ドタマから地面に着地した。いや墜落した。


 「大丈夫か?いやネアスとお前んとこのお嬢様が言い争う声が聞こえてさ。何ごとかと思ったら何かが飛び出してきたんで、つい撃っちまった。わりーわりー」

 『わりーわりー、で済ますなコラ!噛むぞ!』


 なんのことはない、窓から出てきたわたしをバナードが撃墜してしまったというわけだった。「つい撃ってしまって」。ざけんなコラ。


 「いやいつもみたいな騒ぎになってたからさ。ネアスを援護してやんねーと、と思って待ち構えてたらいつか撃ち落としてやろうと思ってたヤツが飛び出てくるんだから、撃って当然てもんだろ?」

 『お前覚えてろ。そのうち照り焼きにしてやる!』

 「へ、やれるもんならやってみろ!」


 わたしを撃ち落としてくれた弓状の触媒を揺らしながら、バナードは軽く挑発してきた。

 しかし、油断していたとはいえ暗素界由来の紅竜を撃ち落としてくれるとは……いくら攻略対象とはいえ、あなどれないわねー。お嬢さまに刃向かえない程度にはいつかいてこましてやるつもりはあったけど、それも簡単にはいきそうにないや。

 ……って、あれ?そういやバナードは部室で留守番してるハズだったんだけど。


 『バナード。あんた部屋空けてなにやってんの』

 「え?あ、ああ……まあ、なんていうか落ち着いて部屋にいられる気分でもなかったっていうか…」

 『そんなにネアスのことが心配だった?』

 「いやそうじゃなくて」


 撃ち落とされた件はさておき、お嬢さまたちと合流する必要はあるかと思って、バナードを引き連れて移動を始めたわたしだったけど。


 「今部室に面倒な客が来ていてさ」

 『面倒?誰よ』

 「第三皇子」


 ……………は?


 顎が落ちるとはこのことか。

 わたしは、あんぐり開いた自分の口の中に、暗素界の秘密をバナードに見せてしまったのではないかと、完全に方向のずれた心配を、していた。

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