第46話・紅竜の対気物理学講座(教材という意味で)
今更だけど、対気物理学という学問は、現界に存在する森羅万象と対なる存在があるという暗素界、それから現界と暗素界の間にある気界という、三つの世界の謎を解く学問だ。
対気砲術なる魔法めいたものはその活用方法の一つであるし、軍事に突出した力を帝国が有するのもその対気砲術が特に発達しているからだ。
その一方で、いわば対気物理学の民生活用方法というものも研究や技術開発の対象となる。こっちは個の才覚に負うところの多い軍事利用とは違い、ある意味誰でも何処でも使えなければ意味がない。その意味では、軍事利用よりもはるかに難題の多い分野になる。
例えば、人間が空を飛ぶ、なんて真似もやりようによっては可能になるわけだ。
まず大元の前提として、暗素界に存する現界の現し身は、現界において人間が作り上げるものにおいても、存在する。
仮に、ここに小舟を作ったとする。出来上がって現界という世界がそれを承認すると同時に、暗素界にも同じものが生まれる。
人間は、触媒を通じてその小舟と暗素界の同じものの間にあるものを掴み、やっぱり触媒を通じて暗素界の小舟と現界の小舟の間にズレを生む。その生じたズレが現界に作用する力を、小舟を空に浮かべるように働かせてやれば小舟が空に浮かぶ、というわけだ。
ちなみにわたしが空を飛ぶ仕組みも、これだ。だから実は人間が生身で空を飛ぶ、なんて真似もやりようによっては出来るんだけど、触媒なんてものを使わないといけない人の身では簡単に力のズレを制御すべくもない。自分の意志と肉体だけで気界、暗素界と通じることの可能な竜なればこそ、容易に出来ることなのである。すごいだろ。
「……ということなので、実際にやってみてもらいましょう。コルセアさん、お願いします……って、なんで怒ってるんですか?」
四本の脚をひとまとめにされ、あまつさえ背中の一対の翼まで縛られたわたしは、世にも物騒な顔でバスカール先生を睨み付けていた。
『怒るに決まってるでしょーが。授業の手伝いをしてくれといわれて何をすればいーのかと思ったら、手足が動かないようにされこのかわいい翼までふん縛られて、これでまだ火を吐いてないわたし人格者として後世に名を残したっておかしくねーですよ』
しかもこの有様にしてくれたのがお嬢さまとネアスだってところがまたムカつく。お嬢さまに喉をかいぐりかいぐりされてるうちにネアスが手際良く縛ってくれたんだもの。為す術無くこんな格好にさせられた自分にも腹が立つってもんでしょーが。
「………(知らん顔)」
「………(目そらし)」
後ろの方の席でしらばっくれてるお嬢さまとネアスには後で何らかの形でお礼をするとして。
「それでコルセアさんにやってもらいたいのはですね」
『ちょいまち。この有様に対する弁解すっ飛ばして話進めんな。いい加減火を吐くぞ』
「………この状態でも空を飛ぶことで、対気物理学の環界現象の実証をしてもらうことなんです」
『無視すんなこらーっ!』
じたばた暴れるわたし。いやそりゃこれくらいの拘束は解こうと思えば解けるけど。要するにわたしが宙に浮かんでいるのはこの翼のためじゃなく対気物理学の応用によるものだ、ってことを説明するため、ってことだろーし、それなら最初っからそう言ってくれれば手伝うってのに。もう。
「コルセア。後でモウタナ牧場から仕入れたとっておきのシクロの肉を奢ってあげますから、先生に協力しなさいな」
『はい先生!今のわたしはあなたの忠実な下僕……犬とお呼び下さいっ、がうがう』
「ええと、まずは気界散知の触媒をコルセアさんの周りに置きます」
無視かい。いいけど。
「この触媒の働きによって、コルセアさんが気界を通じて暗素界に働きかける力を可視化出来ます。では浮かび上がって下さい」
話しながら先生は、横倒れになったわたしの周囲に小石サイズの宝石みたいなものを置いていく。大体十個てところか。
わたしには必要無いものだからあんまり詳しくはないけれど、触媒の中には気界と現界の間で交わされる力を感知出来るものもあるらしいから、これもそういったものの一種なんだろう。
まあだからといってわたしのやることに違いは無いわけだから、言われた通り特に考えも無くいつも通りに浮上を開始する。
これはもうクセみたいなものだから背中の翼がはためくのは止められず、縛られたまんまの双翼がうごめくよーにピクピクしてたけど、わたしに注視する先生と教室内の生徒たちの視線はとくにそれを気にすることもなく、わたしが浮き上がるのを見守っていた。
そして教室の床から離れるのと前後して、先生の置いた触媒が奇妙な光を灯し始める。赤っぽいのだったり黄色っぽいのだったりと、三色くらいの光が明るくなったり暗くなったりで、先生はそれをメモしているし、生徒たちは固唾を呑んで見ているし。
まあそんなことはあったけど、わたしはやっぱりいつも通りに浮上し、先生に「それで結構です」と止められたところで止まった。ちょうど、先生の肩の高さの辺り。
「床の上の触媒の色が変化したのは皆さん見ていたと思います……大体この通りですね」
そして先生は、手元のメモを黒板に板書し始め、それが終わるとわたしの動きと触媒の放った光、それからわたしが気界、暗素界とどのように通じていたかを図を描いて説明する。
…こっから先はわたしにとっては退屈極まりない内容だったので割愛するけど、要するに対気物理学の応用によって人が空も飛べたり、あるいは沢山の人を乗せた船を空に浮かべたり、といった可能性の話をしてくれたのだ。
そして、これも対気物理学の百年以上の歴史においてまだ誰もなし得ていない事なのだから、君たちが世界で初めての成果を残すことだって可能なのだよ、というひじょーに良いお話で今日の授業は終わった……そこで終わっていれば、わたしにとってはご褒美のシクロのお肉で満足して一日を終えました、ってことになったんだけどね……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます