第30話・長い幸せの終わりと女神の企み 前編

 特筆するよーなこともないけど、幸せな日々が続くかのような中等部時代を経て、お嬢さまとネアスは帝国高等学校へ進学した。

 この年代の学校は帝国には公立、私立を問わずいくつもあり、その中でも帝国高等学校は中等部を優秀な成績で卒業した生徒、難解な入学試験を突破した一般入学生、幼年学校で八年を過ごした生徒の中から選ばれた生徒が入学する、帝国最高峰の学校なのだ。もちろん、その上に大学にあたる学校もあるけれど、それは研究機関としての色合いが濃くて、教育機関としてならば、これからお嬢さまとネアスが入学して三年間を過ごすこの学校が、最も高位になるというわけだ。


 「ネアス。これから三年間、負けませんわよ」

 「はい、アイナ様。わたしも与えられた才能に恥じない努力をします!」


 ……いいなあ。わたし、日本じゃあこんな風に切磋琢磨しあえる友人とかいなかったもんなあ。

 なんとなく羨ましくも思えたわたしは、やっぱり二人と一緒に学校に通う。なんかもー、立場とかどうなってんの?って感じだけど。

 でも。

 今年から高等学校に転任になったバスカール先生。

 お嬢さまと時を同じくして帰国し、編入するバッフェル殿下。

 幼年学校からの選抜で入学を許されたバナード。

 この三人と…ああいや、そのうち二人との、ネアスの恋模様なんかも一緒に、わたしたちの前途は洋々、ってものに違い無い。



   ・・・・・



 そして、三年が過ぎた。


 二人は学校創設以来最高の成績を極め、辛うじて、ネアスがハナの差で主席を獲得した。

 その卒業は祝福され、旅立つ先も明るい未来にきっと彩られていることだろう。


 お嬢さまは、卒業と同時に殿下と結婚する。

 伯爵家を離れ、帝室の一員としてこれからは帝国のために働くことになる。


 二人は、道を違える。

 結局、バナードともバスカール先生ともくっつくことはなくて、ネアスは一人で帝国首都から遠く離れた、対気物理学の研究所に所属することになった。

 そこは各国から優秀な学者や術者が集められ、汎人類的に重要な研究が成されている。実はわたしもそっちに来ないかと誘われたんだけど、お嬢さまの側を離れるのが嫌で断った。そんなわたしの外見は、もう犬に例えるのも難しいサイズになっている。牛とか馬とか、なんかそんな感じだ。


 『ネアス、遠くに行っても手紙くらい書きなよ』

 「分かってる。アイナ様と……コルセアは、どんなに離れててもわたしの大事な……一番大切な、友、だち……だから」

 「………ネアス」


 別れの時は、本当に悲しかった。

 わたしがその気になれば、ネアスのところまでひとっ飛びで行けないことも無いけれど、今までの自分を赦せなくなりそうだから、って変な理由でネアスには来ないように厳しく言われてしまった。


 「……アイナ様。本当にこれまで……お世話になりました。この身は遠く離れてしまいますが、わたしの気持ちはもう、アイナ様のお側に置いてゆきます。だから……どうか、わたしのことを、忘れないで……ください……ね……ぐすっ」

 「ネアス……わたくしこそ、本当に……ごめんなさい。それから、ありがとう。あなたがいたから、わたくしの人生は誰にも真似出来ない程に輝いていた……だから、泣いてもいいのよ……」

 「は……はい……アイナ様、アイナ様……アイナ、さまぁ………」


 卒業式の後、誰もいない教室で泣きながら抱き合っていた二人の間に、一体何があったんだろうか。

 わたしの知らないところでどこか通じ合っていたようにも思える。

 それが寂しくもあり、嬉しくもあり、今日この日、アイナハッフェ・フィン・ブリガーナと、ネアス・トリーネは、生涯の別れを、終えていた。



   ・・・・・



 その後、お嬢さまは分家したバッフェル殿下の奥方として一家の主婦となり、殿下改めティクロン侯爵と帝室を陰に日向に支えた。

 わたしはそうなると、もう気軽にほいほい会いに行ける身分でもなくなって、ブリガーナ伯爵家に居候しながらお嬢さまからの手紙を読んだり、伯爵家を継いだブロンヴィードくんの子どもたちの子守りをしたり、そんな感じで過ごした。


 ネアスは、遠く聞こえたところによると帝国を離れ、他国で出世したらしい。

 結婚したとかしなかったとかは聞いてないし、卒業後何度か手紙のやりとりもしたけれど、お嬢さまがティクロン侯爵夫人となってからはそれも絶えて、対気物理学の研究者の間で名前が挙がるくらいのものだった。

 数年後、お嬢さまの方にも便りは途切れたみたいで、ごくたまにお会いした時も、話題はそのことばかりだった。


 そして、お嬢さまが亡くなり、わたしもブリガーナ家にいる理由が無くなると、わたしは帝国を離れた。

 数百年、一人で過ごした。

 他の竜がいると聞いても会いに行ったりもせず、向こうの方から会いに来たりもしなかった。

 お嬢さまやネアスのことを思うと人間と交わる気にもならなかったから、本当に一人でいた。


 わたしが老いるまでの間、何度か大きな戦争が起こって帝国も滅びた。お嬢さまの子孫がどうなったかも分からない。

 一度だけ、廃墟になった帝国首都の、懐かしいブリガーナ伯爵家の屋敷跡に来てみたけれど、わたしがいた頃を思い出すようなものは何も無くて、来るんじゃなかったと酷く悲しくなってしまった。




 青銅帝国が滅びても人間がいなくなったわけじゃない。

 他の竜に比べればまだわたしは人間に近いところにいるらしく、噂を聞きつけてわたしに会いに来るような物好きもいた。

 もういいか、と思って、年老いたわたしは人間と一緒に暮らしていた頃の話を聞かせてやった。

 彼らは皆、対気物理学に関わる話を聞きたかっただけのようだから、そんな話をされても困ったように愛想笑いをするだけだったけれど、構わず自分のしたい話だけをした。そうしたら、いつしか訪れる人間もいなくなり、死を悟る頃には今度こそ本当の本当に、一人になった。


 『お嬢さま……ネアス……わたし、これでよかったのかな……』


 本当に、歳を重ねるというのはその分後悔も重くなるものだ。


 わたしは、側にいた女の子が幸せに過ごせることを祈って、がんばった。

 たぶん、それはかなえられたんだと思う。最後に見たお嬢さまの……もう、しわくちゃのおばあちゃんだったけど……お顔は、孫に囲まれてとても幸せそうだったもの。


 ネアスとは、結局卒業後は一度も会えなかった。

 ただ、わたしに会いに来た対気物理学の学者にネアスのことを話してあげた時には、みんな一様に驚いていたから、きっと対気物理学の専門家としては歴史に名を残す活躍をしたんじゃないかな。

 あの日、お嬢さまに取り縋って泣いていた女の子が、そんなことで、幸せになっていただろうとは言い切れないんだけれど……。


 ふと、今まで遠くにあったはずの、暗素界の匂いが濃くなる。

 わたしは、そこに還る。

 そこで生まれて、現界で人間と僅かに交わり、何をしたのでもなく何を残したのでもなく、ただ一人の少女を破滅から救って、またそこに戻るだけなんだ。


 誰も寄りつかない、とある山脈の奥で。

 わたしは、紅竜の身体を得る前の前世のことなんかちっとも思い出すこともなく、一人で静かに、最後を迎えた。
















 「……そうじゃないでしょっ!!」


 え?

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