第23話・帝国初等学校大運動会 その6
バナード・ラッシュの射撃が終わった時点での幼年学校側の得点は、三百九十九点。
これは大台に一点足りていないとはいえ、両校が対抗する形に運動大会が行われるようになってからの最高得点だ。
対して我らが初等学校の得点は三百一点。つまり、勝つためにはネアスが九十九点以上取らないといけないのだ。ほとんど奇蹟みたいな話になる。
「……そうね。ああは言ったものの、簡単なことではないわ」
三三七拍子三連発の応援に不承不承お付き合いしたお嬢さまでも、そんなに安穏としてられる状況じゃない。
実際わたしだって、「ラインファメルの乙女たち」に無かった展開だからどーなるかは分かんない。まあ主人公の見せ場なんだから、シナリオ的には百点取っちゃう場面なんだろうけど……それを言ったらお終いってものよね。
「みなさん、静粛に!最後の選手が撃ちます!」
今回こーゆー役割の多いバスカール先生が観衆を宥める中、ネアスは自前の触媒を埋め込んだ杖を握り、射場に立つ。
その表情は、不敵に微笑んでいた時から一転して真剣そのもの。といって今までがふざけてたわけじゃなくて、ただ楽しかったんだろうなあ。
それが、自分に出来ることと対面した途端に、あの顔になる。それが、お嬢さまとわたしの親友の、姿。
「ネアス・トリーネ、参ります!」
凜と響く名乗りを経て、ネアスは杖をひと回し。
彼女の身の丈半分くらいのそれは、杖というよりステッキのようにも思える。
実は見た目よりもずうっと重い杖を軽々と回すと、両手で握って額にコツンと当てた。暗素界にいるもう一つの自分に、投げかける時の彼女の仕草だ。
杖の向こうに見える的を、ではなく、気界を越えて人の手の届かない場所を見据えると、今日は漆黒の、ネアスの髪よりもずっと黒々とした気球が、杖を挟んで眼と対になる位置に生じる。
早い。とても、気合いが入ってる。バナードの光の矢に、何か思うことがあったんだろう。
『がんばって、ネアス』
彼女の内にある、うねりみたいなものがわたしにも分かる。
気界と対話し、暗素界に徹したものをほとんど本能でコントロール。
静かなその見た目からは想像もつかない大きな流れが、ネアスをとりまく。
来た。
完全に近いものが。
暗素界から還るのは、余程の術者でなければ生涯でも知ることのない、ざわめき。
目に見えない、耳に届かない音と光が、瞬時にネアスの杖に宿る。
と、同時に。
息を呑む間も無く、大きくもなく小さくもない球が、爆ぜた。
そして、遠くにあるはずの的が、砕けた。飛ぶものなんか誰の目にも止まらない。
そこを見たら、そうなった。
求めると同時に結果を生む、ネアスにしか出来ない砲術。
派手では無く、その結果だけを引き寄せる異端の技は、ふう、っと大きく息を吐いたネアスが「あの、終わりましたけど」と告げるまで、そこにいた人の大半を呆けさせていた。
そうでないのは、初等学校の先生たちと、同学年の生徒たち。そこにはもちろんお嬢さまも含まれていて、お嬢さまはとても満足そうに笑っていたのだった。
「以上で、第八十七回運動大会を閉幕する!」
始まった時と同様に、バッフェル殿下の宣言で今回の運動大会は終了した。
結果としては……残念ながら、初等学校の負け。
ただ、大会の目玉であるところの砲術競技は、ネアスが九十九点を獲得したことで初等学校が勝利し、わたしたちとしては面目を保った、ってところだろうなあ。
「どうしてあれが満点ではないのか、まだ納得いきません!」
「あはは……帝国の歴史でもあの競技で満点なんて、数えるほどしか無いんですから仕方ないですよ、アイナ様」
僅か一点の差での勝利をもたらしたネアスは、悔しいはずの本人よりもよっぽど憤慨しているお嬢さまを苦笑しながら宥めていた。
まあねー…わたしだって、あの見事な一発をもっと高く評価して欲しかったトコなんだけど、砲術競技が終わった後、ネアスは参加者だけでなく幼年学校の客席からも万雷の拍手をもらっていたことで満足出来たかなー。
……バナードが興奮した様子で、ネアスとの再会を約束したのも、これから先の二人の未来に、期待を寄せられる出来事だったわけだしぃ。くふふふ…。
「…なんですコルセア。気味の悪い笑い方をして」
『べつにぃ?ね、お嬢さま。ネアスにも…いい友だちが増えそうで、嬉しいと思います、わたし』
「そうね。わたしとあなただけを友だちにするのでなくて、あの子にはもっと輝かしい未来があるって、そう思えるわ」
うん。お嬢さまはとても優しく育った。
乙女ゲームの主人公と対になり、不安定な立ち位置で酷い終わり方を迎えたり、望まない結末に顔で笑って影で泣いたり、すっかり思い入れを抱いてしまったわたしが泣き叫びたくなるようなことになんか、きっとなるまい。
……でも。
そう思って安堵したわたしは、とても重要なことを忘れていて。
こんな暮らしがずっと続くといいな、なんて考えたことを後悔することになるのは、きっとわたしの油断ってものが招いたことだったんだろう。
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