第6話 不和の悪魔の正義
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
フラワーパークの事件が片付いてから3日後の昼休み。あれから特に何事もなく平穏に日々が過ぎていたが、食堂に向かう途中理事長に声をかけられた一馬は思わずどもってしまう。
またなにかあったのだろうと邪推していたが、理事長から出た言葉は思っていたよりは平和的な内容だった。
「新たに72柱のうち1柱を宿してる子が分かってね、来週頭にここに編入してくることになったよ。待望の同級生だし、何より少々訳ありだから、仲良くしてやってほしい」
理事長のもつソロモンの指輪は、72柱の悪魔の力を最大限に引き出すことができるほか、悪魔を宿す人間を探し出すこともできる優れものだ。しかもテレビやスマホの画面越しだったり新聞記事のような紙媒体でも通用するのだから、まるで死角は見当たらない。こうして新たな生徒候補を探し、学園の庇護下に置くのだ。理事長室からでる古新聞がやたらと多い上に統一感が全くないのはその情報収集に使っているからである。
「なんか中途半端な時期ですね」
「まあ僕の方で『確定診断』をしたタイミングもあるからね、こういうところも普通の学校とは違うかもしれない」
指輪は優れものオブ優れものではあるものの、星の数ほどいる人間たちから悪魔を宿す者を探すとなると、しらみつぶしかつ理事長一人の作業になるのでとにかく膨大な時間がかかるのだ。そのため編入生が来るタイミングは必ずしも新学期や月を跨ぐのと同時というわけではなく、作業の進捗に大きく左右される。理事長がたまに濃いめの隈をつくって生徒の前に現れるのも、その作業が大詰めであるという理由からだ。
男子か女子か、運動部だったのか自分同様文化部だったのか。新しい同級生がどんな人かを想像し期待に胸を膨らませつつ食堂へ向かう一馬。理事長は訳ありとは言ったが、そもそも最高ランク級の悪魔を宿している段階で校内全員訳ありのようなものなので、そのあたりは全く気にならなかった。
「この間はありがとうね」
「あっこちらこそどうも…」
食堂で火耶に出くわした一馬は、理事長とばったり会った時同様にやはりどもってしまう。
自分のキャリアをかさに着るようなタイプではないことは分かっているとはいえ、一馬にとって火耶と話すのは海生や翠のとき以上に緊張するものだった。ここにいる間の彼女は女優ではなくいち生徒だが、どうしても先入観のようなものはある。
そしてなにより――トレーの上のカレーの色が危険物のそれだ。煮え立つ溶岩のようなカレーからは咳がとまらなくなりそうな香りを帯びた湯気が立ち上り、目と鼻が嫌でもその方向を向いてしまう。
「カレーの色ヤバくないですか」
「それはそうよ、だって辛さ最高レベルの『ヤバめ』だもん」
「ヤバめ」
驚くあまり火耶の言葉を反芻する一馬。食堂のカレーには『甘め』『ふつう』『辛め』の3種類の辛さがあるが、さらにその上があったことはさすがに知らなかった。
「まあ私しか食べないからほとんど裏メニューだけど…3、4年前かなあ、急に辛いものが大好きになって。今思えばきっとアミーのせい。炎の悪魔だから」
でもお陰で激辛チャレンジの仕事もとれるし悪いことではないかな、と笑いながら話す火耶。自分に宿る悪魔と上手に付き合っていくというのはこういうことでもあるのだろうな、と一馬は噛み締める。
そのうちヤバめカレーのせいか本当に3分弱むせ続けることになったので、火耶と椅子3つ分ほどの距離をあけて一馬も昼食をとった。
教室に戻って海生に同級生が増える旨を伝えると、やはりというか海生もそれは嬉しいようで、花が咲くような笑顔を浮かべた。
「あんまり盛大なことはできないけど、ちょっとした歓迎会くらいできたらいいよね、お菓子パーティー開けしたりしてさ!」
「割り勘な」
「それはそうでしょ。いつ頃来るかってもう分かってるの?」
「来週頭って理事長は」
一馬から編入生がいつ来るかを聞いた海生は、いそいそと自分の手帳を確認する。
「火曜日なら塾ないけど、そっちのレッスンは?」
「水木土だから大丈夫かな」
こうしてあれよあれよという間に新たな同級生のプチ歓迎会の日取りが決まっていった。
週が明け理事長の言っていた通り編入生が教室にやってきたのだが、一馬はもちろん海生も「これは二重の意味で訳ありかもしれない」という感想を持ち、それを視線で共有した。
それもそのはず、編入生は精悍な顔つきではあるもののやや明るく長めの髪を結んでおり、そのうえ顔や手のあちこちに最近作ったであろう傷がある。きっと札付きの不良かなにかで、ここに来る少し前まで喧嘩にでも明け暮れていたのだろうと二人とも考えていた。
「安藤 翔(あんどう しょう)です…よろしく」
ボソボソとした声で簡単な自己紹介をすると、編入生――翔は一馬と海生の間の席に新たに用意された席に座る。それ以降なんともいえぬ威圧感を放ち続けた。
ホームルームが終わると、海生は椅子と体を翔の方に向け、先ほどの翔と同様の簡単な自己紹介を始めた。
「私車田 海生っていうの。これからよろしくね。…ところで明日の放課後って時間あったりする?私たち二人ともあなたが来るって事前に分かってたから、プチ歓迎会的なの準備してるんだけど…」
――こいつ勇者か、と一馬は思った。
海生は見た目に寄らず思い切りのよい性格で、「やるしかない」と思ったらわき目もふらず突き進んでいくところがあるが、少なくとも見た目での判断では二重の意味で訳ありな奴に、闘牛士に突っ込んでいく猛牛もかくや、という勢いでぐいぐい絡んでいくとは思わなかった。
「あるけど…俺なんかにそこまでしてくれなくても」
「あなただからするんだけど。同級生増えるの嬉しいから」
翔の顔に「自分の負けだ」という表情が浮かぶ。かくして勇者のおかげでプチ歓迎会は無事に執り行われることとなった。
「一馬くんもちゃんと自己紹介したら?」
その勇者に促され、一馬も名前のみの簡単な自己紹介をする。
各々の詳細についてはいずれにせよ明日の放課後語ることになるし分かるはずなので、『訳あり』がどういうことなのかも見えてくるはずだ。楽しみと不安とが半々の状態で、一馬と海生は明日を待った。
予定があるのが分かっていると時間が経つのも早いもので、ついにプチ歓迎会の予定時刻となった。
食堂フロアの片隅にある丸テーブルに三人腰掛け、一馬と海生で見繕ったお菓子やジュースをつまみやすいようにその上に広げる。
翔はまだ二人に遠慮しているのか、少し申し訳なさそうにコンソメ味のポテトチップをつまんでいる。
一馬は音大、海生は医大への進学を目標にしていることから好きな食べ物や教科の話まで、話題を反復横跳びさせながら話が弾んできたタイミングで、海生がついに「どういう理由でここに来たの?」と切り出した。彼女はここでも勇者だった。
「話すとけっこう長いけど…」
やはり少し申し訳なさそうに、淡々と翔は語り始めた。
翔はもともと志部谷区内の私立高校に通っていたが、入学して2か月くらい過ぎたころ、2年生の女生徒がどうやったのやら昼休み中に屋上に忍び込み、そのまま学校北側方向に飛び降り――自死を選んだ事件があったという。授業の時間になっても戻ってこないため教師が探しに行ったところ、テニス部が使っている用具倉庫そばで頭から血を流して倒れていたのが発見されたが、即死だったらしくすでにこと切れていた。
自死はいじめを苦にしてのものだったが、そのような理由の場合、ネットが発展し世論やひいては社会を形作るものとなった今は、その情報が明るみに出たとたん各種掲示板で叩かれ盛大に炎上、瞬く間に学校の評判は地に落ちる。学校といいつつ会社のような側面もある私立高校において悪評が出回ることは致命的だ。それを恐れた教師陣はいじめの事実をあの手この手でもみ消そうとしたが、当時新聞部だった翔はそれをすっぱ抜いてしまったのだ。
翔は正義感からその情報を大手新聞社に渡し、そしてそれは次の日の一面とはいかなくともそれなりに目立つ場所に掲載された。学校には抗議電話が授業や業務に支障が出るほどかかってきた他、テレビの取材も何社か来たという。
このような事態を招いた翔は当然のごとく校長に問い詰められたが、卑怯な教師陣もいじめの犯人と同じくらい許せなかったため、問い詰められれば問い詰められるほどに頭に血が昇って、あろうことかその場で校長の顔面に渾身のパンチを入れてしまったという。
退学にはならなかったものの、おそらくそれは「居場所のないこの場所で卒業まで苦しめ」という校長他の意図だったのだろう。腫れ物のように扱われる日々が続き翔は不登校気味にもなったが、そのタイミングで五星学園からの編入案内が届き、これ幸いと編入したとのことだった。
「こんなんでも変わらず接してくれる友達はいて、だいぶ後になってそいつから聞いたんだけど、先公どもも一枚岩じゃなかったらしくて、俺が校長殴ったあともみ消し推進派と反対派に分裂して大揉めしたみたいなんだ。それこそ職員室で顔合わせてもお互い挨拶しないくらい」
「…」
「…」
一馬はもちろん海生もさすがにこんな事件には出くわしたことがなく、開いた口が塞がらなくなる。海生はもしかしたら聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと思っているのか、不安そうな表情も浮かべている。
「俺の中にいるのはアンドラスっていう悪魔で、敵陣営に不和をまき散らす殺意にあふれた悪魔だって理事長から聞いたんだけど、先公どもが内部分裂したってのも今にしてみればそういうことだったんだなって思うよ」
「自分がもたらしたいち集団の不和ってことか?」
そんな感じ、と翔は一馬に返した。
一連の行動の動機は全て正義感だが、どこまでが正解でどこからが間違いだったのか、今もぼんやり考えたりする、と付け加えるように翔は語る。
「…大人に聞いたら違う答えが返ってくるかも知れないけど、個人的には校長先生殴った以外は間違ったところはないと思う。他人に降りかかったことに対して、それを許せない一心でここまでの行動ができる奴そうはいないよ」
「私も全面的に一馬くんと同じ思い。校長先生殴ったのは単純に手を上げたのがだめってだけで、正義感は間違いじゃないと思う」
一馬と海生にこう返された翔はようやく二人にかすかな笑顔を見せた。
「そういってもらえて、ようやく少し楽になった気がしてきた。…まあ冷静になれてなかったのは反省点だけど…」
「…思ったんだけどそのついカッとなって校長先生殴ったって話、そのアンドラスって悪魔のせいもあるんじゃないか?」
突拍子もなく話の流れを変えた一馬に、翔も海生も驚きの表情を浮かべた。翔のそれには若干の恐怖も含まれているように見える。
「えっ恐」
「なにもいきなり脅すようなこと言わなくても…」
「ちゃんと最後まで話聞いてくれよ。理事長が言うには72柱にもいろんな性格の奴がいて、基本的に話は通じるけど、温厚な奴もいれば執着心が強かったり、キレやすかったりするのもいるみたいなんだ。自分の中にいる悪魔の性格や好みに影響されることも当然あるんだけど、ここはそういうのとうまく付き合ってく方法を学ぶ場所でもあるし、自分も含めてみんな大なり小なりもがきながらだから、仮にカッとなりやすくなったのが悪魔のせいだったにしても、そんなに心配することはない…と思う。お前がいい奴なのは話聞いてて分かったし」
実際に攻撃的とされる悪魔の力をうまく御している翠や火耶のような先輩たちを思い出しつつ一馬は語る。火耶に至っては食の好みまで悪魔アミーの影響で変わっているのだが、それでも仕事に繋がるとかなり前向きに捉えていた。
「そのうち慣れるってことか?」
「まあ簡単に言えば」
一馬が自分を脅すつもりで話題を変えたのではないことが分かった翔は、ほっとしたのかふっと軽いため息をついた後、一馬と海生に対してこう語った。
「力の制御とは少し違うけど、二人にちょっと頼みたいことがあるんだ…初歩の初歩みたいなことだからあれだけど…」
「構わないよ。なー車田?」
「ぜんぜん大丈夫!」
二人の力強さと頼もしさにあふれた返事を聞いた翔はその場で変身を始めた。72柱の悪魔は人型よりはむしろ動物の特徴を持つものが多く、レラジェのような完全に人型のタイプはかなり珍しい。動物タイプの悪魔を宿している場合耳や四肢が動物のパーツに置き換わるなど外見に大きな変化が出るが、翔の場合骨格まで変わっているように見える。
――翔がもといた場所に立っていたのは、確かに彼の面影はあるが、頭にはオオカミの耳が、背中には大きな猛禽類を思わせる力強い翼が生え、腰から下はオオカミの四肢となった、ケンタウロスのオオカミ版のような悪魔――アンドラスだった。
アムドゥシアスもブエルも動物タイプの悪魔だがここまで外見が変わるような変身ではないため、一馬も海生も物珍しげな反応をする。
「頼みたいことってのはその…歩く練習なんだ。入寮した日から個人的に練習してたんだけどまあクソほど歩きづらくて。体中傷だらけで来たからギョッとしたと思うけど、喧嘩してきたとか事故ったとかじゃなくて、ただ練習中にコケまくってこうなっただけなんだ…」
「そういうことならいつでも。…あと本当にごめん、俺お前のこと初見でつい最近まで喧嘩に明け暮れてた不良だと思ってた。ごめん」
かわいらしい内容ではあるが真剣な提案を一馬は二つ返事で了承する。
「私にはブエルっていうお医者さんみたいな悪魔が憑いてて、ひどくない傷なら治せるから、また転んだらすぐ言ってね」
「二人ともサンキューな」
まずは男子寮入り口まで、ということで、二人と正義感に溢れた不和の悪魔は、ゆったりとした足取りで日が落ちつつある渡り廊下へ消えていった。
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ソロモン72柱 序列63番 アンドラス
30の悪霊軍団を率いる地獄の侯爵。大きな黒いオオカミに騎乗し、フクロウないしは大鴉の頭を持ち、帯剣した天使の姿で現れるとされる。
敵陣営に不和をばらまき内部分裂を起こしたり、また皆殺しにする方法を教えたり、最悪の場合召喚者を仲間共々殺そうとするなど殺意に満ちた悪魔だが、細心の注意を払って命令すれば自分の前に立ち塞がるあらゆる障害を排除してくれる。
安藤 翔(あんどう しょう)
一馬や海生の新しい同級生。編入してくる前は県外の私立高校の新聞部員だったが、教師たちがいじめによって自死を選んだ女生徒の事件をもみ消そうとしていたのをすっぱ抜き、それを新聞社に渡した結果学校が炎上する大事件になり、そのことを問い詰めた校長を殴ったことが半ばきっかけとなり編入してくることとなった。
上記のアンドラスが憑依しており、変身後は猛禽類の翼とオオカミの耳と四肢を持つ、いわばケンタウロスのオオカミ版のような姿。形は様々だが敵陣営を内部分裂させる能力を有するとみられる。
またとにかく歩きづらいらしく目下練習中である。
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