Report 17 円島縁起(1)

 翌夕よくせき

 賢治とイソマツは授業へ終わると、現世を迎えに行ってから青梅邸へ赴いた。ダイニングキッチンで賢治と現世は、約束の時間まで徳長から言い渡されていた宿題をやることにした。そしてイソマツがそろそろヒマで痺れを切らし始めた頃にピンポーン、と備え付けられたインターホンが鳴った。受話器を取ると、相手は予想通り桐野だった。

 三人はサッと片づけて、玄関に向かう。扉を開けると、そこには桐野が立っていた。


「ん」


 桐野が片手をあげて、素っ気なく挨拶をする。

 現世が「それじゃあ、円秋寺へ行くのだ!」と先導して、青梅邸を後にする。

 外に出ると、太陽が沈む気配がまるでなかった。これから夏至へ向けて、さらに日は長くなっていくだろう。


「堺。お前最近、現世にいきなり抱きつくことしなくなったな。一日ぶりなのに」

「あのときは少し情緒不安定だったから。今は、元気な姿を見るだけで十分」


 そう言う桐野の目線は、現世に向けられていた。

 それは、濡れたような滑らかな黒髪から白いミニスカート、そして剥きだしの脚へ流れていく。じっとり、ねっとりと、舐め回すように桐野は凝視していた。


「……」


 賢治は怪訝な表情をして、桐野の目の前で右腕をブンブンと振った。


「ちょっ、わたしは元気な姿を……」

「目つきと表情がアウトなんだよ」


 賢治たちは、青梅邸を出て正面すぐの道路である県道801号線を、南へ下っていた。この道は相模湾を一望することができ、潮風が堪えず吹き付けてくる。青梅邸から円秋寺までは1キロ以上ある。影になるものがないから、熱中症が怖い。


「あの林のなかが、円秋寺なのだ!」


 現世が言った。

 海岸の途中で、クロマツで囲まれた林が見えた。あの中に、賢治たちが目指す円秋寺はある。やがて土塀が現われ、しばらく歩いていると「円秋寺」という表号が設えられた威圧的な門が見えた。

 扉は開かれている。賢治たちは門を潜ると、こけら葺の屋根をした低い本堂が視界に飛び込んできた。


「海沿いなのに、あまり潮風にやられている様子はないな」


 賢治が門や塀、本堂を見ながら言った。


「このクロマツの林が守ってくれているのだよ。平塚の防砂林と同じなのだ」


 門を入ってすぐ脇の通路の先に、寺務所じむじょがあった。窓口には、若い女性が立っていた。


「あのすみません。僕たち、住職の恒光さんに誘われて来たのですが……」


 賢治がそう言って切り出した。すると女性は、「恒光ですね。少々お待ちください」と言って内線をかけた。


僧坊そうぼうの一番奥の部屋にいるから、直接来て欲しいとのことです。参拝客は立入禁止のエリアですので、この関係者証を首から下げてください」


 そう言って賢治たちは、関係者証が入っているプレートを渡された。僧坊とは、僧侶が生活を送る居住空間のことである。

 僧坊までも道順を教えて貰い、礼を言って受付を辞去する。


「えっと、本堂の裏側だったな……。あった。この細い道だ」


 土塀に、林への出口がある。賢治はそこから林へ出て、小道が進む。

 ツクルルルル……ギョーチン、ギョーチン、ギョーチ……。

 松林の中から、葉擦れの音に混じって機械が震えるような音が聞こえる。


「これ……、ハルゼミか?」


 賢治は小学生のころ、クロマツのなかで鳴くハルゼミの動画を観たことがあった。ヒグラシのような澄んだ鳴き声でもなければ、ミンミンゼミのようなけたたましい音でもなく、まるで機械の駆動音みたいな不思議な鳴き方をするセミだなあと、幼い頃の賢治は思っていた。


「なのだよ。この辺でも滅多におらず、円秋寺の松林くらいしかいないのだ」


 そんなことを言い合っていたら、瓦屋根の家屋に突き当たった。これが僧坊だろう。見かけはどこにでもある日本家屋と言った感じだ。

 正面玄関のインターホンを鳴らす。すると足音が聴こえてきて、ガラス戸が開けられた。

 出迎えたのは恒光だった。


「おおー、来てくれたのか。さあ上がって上がって」


 賢治たちは「お邪魔します」と、招き入れられた。僧坊の廊下は因幡邸などとあまり変わらず、宗教建築の雰囲気はまるでなかった。

 恒光は、ふすまが何枚も連なる部屋の前で止まった。恐らく、演奏はこの大部屋でやるのだろう。


「おーい。来たぞー」


 そう言って恒光は、ガラリとふすまを開ける。


「こんちはー」

「んちゃす」

「どうも」

「ウッス」


 若い四人の僧侶が挨拶をする。恒光とは違って皆頭を刈り上げており、僧侶といった風体だった。

 だが、その手に持っているものはおよそ僧服に似つかわしくないものだった。

 ギター、ベース、ドラム、キーボード、アンプ、スピーカー。そしてヴォーカル用のスタンドマイク。


「……」


 一同は黙り込んだ。

 それらの楽器や機材は、彼らのやろうとしていることを如実に示していた。


「あの……。演奏って、ロックなんですか……?」

「坊主だから、木魚や鐘でも叩くと思っていたのかい?」


 そう軽く笑いながら、恒光はスタンドマイクの前に置いてあったギターケースから、赤と白のシンプルな意匠のエレキギターを取り出した。どうやら彼が、リズムギター兼リードヴォーカルみたいだ。


(どうしよう。想像していたのと違うぞ……)


 どんな演奏をするのか、想像もつかなかった。賢治はそもそも、普段から音楽を聴かない。賢助が聴いていたり授業で聴かされて覚えた、昔の海外のロックバンドくらいしかわからない。


「おおっ! ストラトキャスターなのだ!」


 現世が鼻息を荒くして言った。


「おお。現世ちゃんはフェンダーカスタムショップ1959年の復刻版を知っているのかい」


 恒光がそう言うと、現世は興奮冷めやらぬ様子で喋り続ける。


「もちろんなのだ! 『ワンダーツリープロジェクト』のムクロジPが愛用しているギターなのだ!」


 賢治が「ワンダー? 無患子むくろじ?」と怪訝そうに桐野に訊く。


「現世が大好きなアニメの原作にあたる、ボーカマトンの楽曲シリーズ」


 そう耳打ちされても、賢治は首を傾けたままだ。彼はアニメなど、自分と同世代の子どもたちの趣味にはとことん疎い。


「『オッツキイムワンダラーズ』って、日曜六時にやってるでしょ? アレだよ」


 賢治は思い起こす。そういえば、現世が楽しみにしているアニメがあると言っていて、いつもダイニングキッチンにあるテレビをつけていた。ナイフを両手に持った赤いパーカーの少女やその仲間の少年たちが、白い詰襟の軍服の男たち相手に超能力を使って戦っているシーンを思い出す。


「……ああ、あれか! で、それがギターと何の関係があるんだ?」


 桐野はカクン、と首をもたげる。


「だから、あのアニメは『ワンプロ』のメディアミックスで――」


 桐野がそう言いかけると、「シッ。そろそろ始まるよ」とイソマツがたしなめる。

 前を向くと、準備が恒光たちが準備を終えてスタンバっていた。スタンドマイクの上に両腕を重ねる恒光の立ち姿はなかなかサマになっていて、一朝一夕のそれではないことを思わせた。


(趣味で音楽やっている人なんていくらでもいるしな……。先入観は捨てて、ちゃんと聴こう!)


 姿勢を正して、傾聴の態度を示す賢治たち。

 ドラマーがスティックを叩いて、拍子を打つ。


「ワン、ツー、スリー、フォー!!」


 ボンッ!!!


「ぎゃあんっ!」


 ディストーションの効いた爆音に、賢治が思わず耳を塞いだ。音量ゲインは最大で、ライブに全く慣れていない賢治には余りにも刺激が強すぎた。

 ――ぎゅいおおおおん(ツタツタツタツタ)



 ドーマンドーマンドーマンドーマン

 ドーマンドーマンドーマンドーマン

 愛別離苦あいべつりく 怨憎会苦おんぞうえく 求不得苦ぐふくとく 五陰盛苦ごおんじょうく

 愛別離苦 怨憎会苦 求不得苦 五陰盛苦



 鼓膜がズキンと痛んで、耳を塞ぐ賢治たち。全くリズムの取れていない演奏によって、ひどい音酔いが襲ってくる。



 晴明の野郎に破れ 流刑されたよはるばると

 播磨から相模 食い扶持に困りてツラぽよな日々

 生きる望み全てnothing 自棄になりて酒を呑む



「何だよこの歌詞……」


 ぼやく桐野。だがその不平に一切構うことなく、演奏は続く。



 だが満月の夜 我は天女と出逢う

 海にたたずむマブい比丘尼チャンネー 我、秒で告る

 月がまた満ちるまでに 二人フォーリンラブマジまぐわい



「ドーマンドーマンドーマンドーマン……」

「あ、Estribilloエストリビーヨするのね」


 イソマツが、半ば放心状態でつぶやいた。



 崖の上あばらや住まい ねんごろな二人睦まじく

 バカップルから夫婦めおと 食い扶持に困るもアゲぽよな日々

 生きる望み全てall right 意気揚々とくわを持つ


 だが満月の夜 我は別れを告げられる

 海に広がるエモい赤気オーロラ 曰く「迎えが来た」

 彼女ガチで天女だった 二人別れ惜しんでマジぴえん



「ドーマンドーマンドーマンドーマン……」

「しつけーんだよ、このリフレイン!」


 思わずブーイングを飛ばす桐野。

 だが、熱唱する恒光の耳にはまるで届いていないようだ。


「ギターソロに入ったのだ!」


 現世の言うとおり、二度目のリフレインが終わったらギターソロに入った。

 だが、そのリードギターはひどいものだった。コードという概念を知っているのか? と聞き返したくなるほど、調和がとれていない。間違えまくるものだから、リズムギターとの不協和音が凄まじい。



 海へ向かう天女 式神しきで追いかける我

 天女の御迎え カム着火インフェルノォォォォオオウ ていうかボルケーノ

 仙人の使い 龍神様ご乱心


 地は割れ波は立ち 我は岸へ流される

 海に火の島 隠れる天女 我、秒で「あなや」

 島が冷え円島まるしま生まる 一人ティアーズドロップマジまんじ


 愛別離苦 愛別離苦 愛別離苦 愛別離苦……I need you!!!



 ジャーン。

 

「……」


 やり切った感に満ちたエモい表情の恒光と、お通夜状態の賢治たち。

 余りの対比のエグさに、賢治は閉口してしまう。ここまで酷い演奏は、未だかつて聴いたことがなかった。


「ふぅ……。いかがだったかな? 拙僧たちのギグは」


 叫喚地獄きょうかんじごくだよ。

 ……とは言えず、目を白黒させる賢治。


(やべえ、ロクな感想が出てこない……! 道路工事の騒音の方がまだマシだよ……)

「ドラムが異様にツタツタしていました」


 桐野が、無表情で言った。


「おお! そうか!! よかったな敦太とんた! 強迫きょうはくを叩くだけの2ビートしかできないお前のドラミングに、ノってくれるリスナーがいて!」


 恒光が、太っちょの坊主をそう言って褒めた。

 ビキビキッ……桐野の手と額に静脈がはっきりと浮き出た。(誰も褒めてなんかねえよ。つーか、そんな奴降ろせよ)と言っているような怒気が、賢治にもひしひしと伝わってきた。


「いやー、エモい歌詞だなー」


 死んだ目をしたイソマツが、棒読みで言った。


(心にもないことを言うなイソマツ! これはエモじゃない!! ヘボ・・だッ!!)

「この歌、円島の誕生伝説だのう」


 現世が言った。


「円島の……?」


 そう言われて賢治は、歌詞の中に「円島」があったことを思い出した。


「その通りだ現世。よく知っているな。――これは安倍清明の宿敵である道摩法師どうまほうしと円島の縁起を歌っているのだ」


 賢治が「道摩法師が?」と首を捻った。


 道摩法師。その男は安倍清明あべのせいめいと同時代を生きた陰陽師であり、後世の伝承や文芸作品では晴明の宿敵としてたびたびその姿を現した。日本の汎人のなかでは、晴明の次に有名な陰陽師と言っていいだろう。賢治も、当然知っていた。


「故郷の播磨に流された後、日本全国に回って色々なところに伝説があるのは知っていましたが……湘南にも来ていたんですね」


 そう言いながら賢治は、中学の頃に賢助と一緒に福井の若狭を旅行したとき、逗留とうりゅうの記念碑が建てられていたことを思い出した。


「来ていたどころかさっき歌ったように、円島そのものが道摩法師の記念碑と言ってよい」


 恒光がコホンと咳払いをする。

 そして、ゆっくりと語り始めた。道摩法師と円島の縁起を――

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