第2話 友達の妹の手料理に舌鼓を打つ話(2)

    ◇◇◇


 というわけで、俺達は近所にある、そこそこ大きめなスーパーにやってきた。

 全国展開されている、安さと品ぞろえを売りにした学生の懐事情にも優しい店だが、俺がここを利用するのは実に三月ほどぶりとなる。

 早々に自炊を投げ出した俺には徒歩5分の距離にコンビニがあれば十分だし、調理されるのを待つ食材がどっさり並んでいるスーパーに入るのはなんだか妙な後ろめたさを感じさせるのだ。

「さぁて、何を作ろっかなぁ~」

 料理が得意ということや、彼女の家が裕福ということもあり、庶民派のスーパーに連れてきたら嫌な顔されるかも……とほんの少し心配していたけれどそれは懸念だったようで、むしろ朱莉ちゃんはご機嫌そうに鼻歌を奏でつつ店内を物色していた。

 そんな彼女は着てきたセーラー服から、Tシャツ&ショートパンツというカジュアルでクールビズな服装に着替えていた。まぁ、夏服とはいえ暑いだろうからなぁ。だったらなんで着てきたんだという話だけれど──

「そりゃあ、高校生というブランドは大切にしたいじゃないですかっ」

 とのことらしい。よく分からな……くない。

 大学生になった今は特に思う。失ってから気付く高校生の魅力というものを。


 まぁでも、セーラー服を脱いだからといって、それで朱莉ちゃんの魅力がそこなわれるかといえば全くそんなことはなく、二の腕や太ももを惜しげなくさらした夏らしい薄着は実に健康的でよろしい。

 当然、朱莉ちゃんが着替えている最中は外に出て待っていたのだけれど、部屋から出てきた朱莉ちゃんの姿を見た時、つい一瞬言葉を失ってしまったくらいに、やはり美少女は美少女だった。

 夏の暑さも吹っ飛……びはしないか、さすがに。アプリの天気予報によれば今日は雲一つない快晴で、最高気温は35度を超えるとか。やだなぁもう。

 俺はスーパーに来るまでの熱気と、反対にクーラーのよく効いた店内の温度差にやられて中々のだるさを感じていたが、朱莉ちゃんにはそんな様子は見られない。これが若さというものか。

「先輩、突然ですがクイズですっ」

「本当に突然だね」

「一人暮らしの男性に最も足りていないものはなんでしょう!」

「えぇ……?」

 一人暮らしの男性に最も足りないもの?

 すぐにパッと浮かんだのはお金、マネーだ。けれどそれは男性に限ったことじゃない。

 むしろ色々ズボラにすませられる男性より、化粧とかもろもろの消費が多い女性の方が大変だというし、男性と限定されたクイズの回答にはならないだろう。

 となれば……話の流れ的に料理関係のことか? 男に足りないもの、足りないもの──

「……野菜?」

 と、口にしてみれば中々悪くないんじゃないかと思えた。

 というのも朱莉ちゃんの兄である昴は大の野菜嫌いだ。草を食べるという感覚が駄目らしい。

 きっと一人暮らしになってからは偏食を爆発させているだろうし、朱莉ちゃんもそんな彼を男性代表として見てきたはず

 となれば男性に野菜嫌いという偏見がついていてもおかしくは──

「ぶっぶー。不正解ですー」

 ……普通に間違ってた。恥ずかしい。

「正解は……ズバリ、女の子の手料理ですっ!」

「そんな答え有り!?」

 男の一人暮らしだろ!? そんなの不足するに決まってる!

「念のために聞くけど、その情報は一体どこから引っ張ってきたものなんだ……?」

「私の勝手な印象ですっ」

「本当に勝手だね!?」

 その勝手な印象は非モテ男子に刺さる……深く刺さる……!

「でも、あながち間違いじゃないと思うんです。もしかしたら女の子の手料理成分が不足した先輩はそう遠くない内に死に至ってしまうかもしれません」

「至らないから! 仮に至ったとしても全く別の理由だから!」

 俺が今生きているのがその証拠である。とは、さすがに悲しくて口にできないけれど。

 いや、本当に、友達の妹に非モテアピールするとか前世でどんなごうを積んだら起きるイベントなんだろうか。

「でも安心してくださいっ。ほら、今先輩の目の前にはピチピチの女の子がいらっしゃいますでしょう?」

「自分にいらっしゃいますなんていう?」

「私が先輩に手料理を振る舞うことで先輩は不足している女の子の手料理成分をせつしゆでき、そして私は私という存在がいかに先輩にとって有用なものか証明できる……これがウィンウィンというやつですねっ!」

 朱莉ちゃんは本気とも冗談ともつかない口調でそんなことを言いながら、慣れた手つきでショッピングカートに野菜やらなんやら、様々な食材を入れていく。

「ああ、先輩。ご心配なく。先輩の好き嫌いはしっかり兄を通して熟知していますから」

 昴のやつ、そんなことまで教えてたのか。

「戦いは戦いが始まる前に始まってるんです」

「なんか大げさだなぁ」

「大げさなんかじゃありませんっ。小学校の卒業文集で、将来の夢の欄にお嫁さんと書いて以来最強のお嫁さんを目指してきた私にとって、キッチンやスーパーは戦場そのものですから。これは先輩をお世話する者として避けて通れない、胃袋をがっちり攻め落とすためのいくさなのですっ!」

「胃袋を攻め落とす!?」

「ふふふ、覚悟していてくださいね、先輩」

 最後、少し意地悪に見える笑みを浮かべた朱莉ちゃんを見て、俺は「ああ、小悪魔ってこういう子のことを指すんだろうな」と、しみじみ思うのだった。


    ◇◇◇


「よーしっ! それじゃあさっそくご飯の準備始めますねー!」

 スーパーから帰ってすぐ、朱莉ちゃんは自前のエプロンをまとうとすぐさまキッチンに立った。

 スーパーからそこそこの距離を、そこそこ重い荷物を持って歩いてきたというのに随分元気だ。

「ちなみに先輩、何を作ると思います?」

「……カレー?」

「ピンポンピンポン、正解です! まさか言い当てられるなんて! 先輩、もしかして私の考えていることが読めてたりします? それとも以心伝心につながっちゃってるとか……!? きゃーっ!」

「いや、だってカレールー買ってたし」

 食材費は俺の財布から出しているので、当然何を買ったかは把握している。

 他に買ったのもニンジンや玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉と、いかにもカレーを作りますと宣言しているようなものだ。

 あと米も買った。5キロ。メチャクチャ重かった。

「でも、先輩。カレールーを買ったからといってカレーを作るとは限りませんよ?」

「え、そうなの?」

「はい、例えば………………」

 顎に手を当て、宙をながめること数秒。

「さっ! それでは早速調理に取り掛かりましょう!」

「誤魔化したっ!?」

 朱莉ちゃんは自分で広げた会話を強引に畳む。まぁ、さっき自分で正解って言ってたからなぁ。

「べ、別に誤魔化すとかじゃないですし。先輩、あまり細かいことを気にする男性はモテませんよ?」

「細かいことかな……?」

「あっ、でもそれだったら細かいことをたくさん気にしていただいて、モテてもらわない方がいいかも……?」

「いや、良くはないでしょ」

 現状モテてないし、モテたいという願望があるわけじゃないけれど、でも、モテない方がいいと言われると否定したくなる。

 ただ、やっぱりモテていないのは事実なので、否定してもむなしくなるだけだった。

「さて先輩。それじゃあたくしますので、どうぞ気にせずごゆるりとくつろいで待っていてください」

「えっ、待ってるだけは悪いし手伝うよ」

「手伝う……!? それって、いわゆる共同作業……い、いえ、その申し出は大変魅力的ですが、その、緊張で手元が狂ったりしたら危ないですし……」

 朱莉ちゃんはそう、途中ぶつぶつとひとごとを混ぜつつ、手で顔を覆うように隠しながらまごまごと言う。

「それに、その……料理しているところを見られるの、恥ずかしくて。私はただ、先輩に美味しいって言ってもらえれば、それでいいので……」

「……そっか。それじゃあ、楽しみに待たせてもらうよ」

「は、はいっ! 先輩のぎもを抜いてあげますよっ!」

「あはは……お手柔らかに」

 胃袋の次は肝かぁ……やはり臓器は狙われる定めらしい。

 なんて冗談はさておき、料理に関しては朱莉ちゃんに全部任せることにした。

 ここは確かに俺の家で朱莉ちゃんはお客さんではあるが、どちらがキッチンに立つに相応ふさわしいかは考えるまでもない。

 俺にできるのは、少しでも彼女がやりやすいように……。


    ◇◇◇


「じゃーん! 朱莉ちゃん特製トマトカレーですっ!」

「おおっ……!」

 待つこと1時間ほど。

 しばらく使っていなかった皿によそわれた、少し赤みを帯びたカレーライスに俺はついつい感嘆の声を上げた。

 久々に稼働した炊飯器によって炊かれた、てらてらに輝く米はもちろんのこと、その上に乗った赤みを帯びたカレールーが何とも……アッ、いい香り……!

「控え目に言ってもそうだな……」

「えへへ……ささっ、先輩、冷めない内にどうぞっ!」

 照れくさそうにはにかみつつ、そううながしてくる朱莉ちゃんに頷き、スプーンの上に小さなカレーライスを作るようにすくいあげ、口に運ぶ。

「んむっ!?」

 瞬間、口の中に広がるスパイスの辛みと溶けだした肉のうま、そしてトマトの酸味ッ!

 美味い。それ以外には言い表しようのないくらい、美味い!

 それこそここ最近で一番の食体験かもしれない。思えば朝起きてから夕日が差す今まで、飲み物くらいしか口にしていなかったからなぁ……。

 朱莉ちゃんと話していて退屈しなかったおかげで空腹を強く感じることはなかったけれど、それでも『空腹は一番のスパイス』と言うだけあって、とにかく美味い。

 もちろん、それを差し引いても中々に絶品だけれど。

「これ、滅茶苦茶美味いよっ!」

 もうそんな、小学生レベルの感想しか言えなくなるくらい美味かった。

「ほ、本当ですか? 良かったぁ……でも、なんだか照れちゃいますね……」

 朱莉ちゃんはそううれしそうにはにかみつつ、自身も一口食べ、満足げにほおを緩ませる。

 美味しいものを食べた時、「ほっぺたが落ちる」なんて表現するけれど、朱莉ちゃんの頰は本当に落ちそうなくらい緩んでいて、少しおかしかった。

「な、なんか先輩、笑ってません?」

「そう?」

「そうですよっ。なんだかちょっと、こそばゆいです……」

 ぼそぼそ言いつつ俯いてしまう朱莉ちゃん。

 そんな姿もおかしくて、でもそれだけじゃない。

「それにしたって不思議な感覚だな。まさか朱莉ちゃんと二人きりでご飯を食べる日が来るなんて」

 不思議というか、やっぱり想像もしていなかったことだ。

 俺にとって彼女の兄である昴は親友で、高校でも、今も、ほとんどずっと一緒にいるヤツだけれど、その妹である朱莉ちゃんとはそうじゃなかったから。

 けれど、これまた不思議なことだけれど、気まずさはあまりない。昴の妹だからだろうか、それとも朱莉ちゃん自身の気質によるものだろうか。

 話していても、沈黙が場を支配しても、居心地のよさを感じる。

「私は、全然不思議なんかじゃないですよ」

 朱莉ちゃんは、照れたように、それでいて少しねるように、スプーンでカレーライスを崩しながらつぶやいた。

「だって、ずっと……」

 その後に続いた声は更に小さく、耳を澄ませてもとても聞こえないもので──


 不意に朱莉ちゃんが視線を上げ、俺の目を真っすぐに見つめてきた。

 なんだか俺も言葉を発するのをはばかられて、ただ吸い寄せられるように見つめ返していた。

 何もない、ただそれだけの時間が少し流れて、やがて──

「え、えと……」

 朱莉ちゃんはじんわりと顔を赤くして、照れくさそうにはにかんだ。

「わ、分かりましたか、先輩っ。男性の一人暮らしには女の子の手料理が必要だって!」

「あ、それまだ生きてるんだ」

「そ、そりゃあそうですよ!」

 朱莉ちゃんは誇るように胸を張る。けれど、つんと逸らした顔は耳も、首筋まで真っ赤だ。

 しっかりした雰囲気と、それとは対照的な純粋で幼いと感じる仕草と……今まで思い描いていた宮前朱莉という女の子のイメージとは全く違う魅力的な少女の姿に、そりゃあ昴のやつもメロメロになるなぁと納得できた。

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