大失敗4
「駄目だよ。子猫ちゃん。こんなところまで出張してきたら」
いかん。このままではまた時間を食ってしまう、という心の叫びとは裏腹に、身体はぐんにゃりと弛緩してしまう。今日から、
珊瑚は俺に、
「騒いじゃ駄目だよ? ね、ね」
と
おおお、仕事現場だ。これを興奮するなというほうが無理だ。
室内には、他の部員はいなかった。なるほど、弱小部なだけある。珊瑚があまりにも有能なので、他の部員が入って来ないという噂もあるが。
しかし考えてみると、この学校噂が多いな。まあ、学校なんてすべからくそんなものか。
興味深く機器類を眺める俺を、床にそっと置くと、珊瑚は椅子に腰掛けた。
スピーカーからは趣味のいいバロック音楽が流れている。どうやら珊瑚は中座してトイレにでも行っていたのだろう。
珊瑚は歌らしきものを口ずさみながら、卓に置かれた弁当箱を片づけはじめた。
「にゃんにゃんにゃーん。ねこにゃんにゃーん」
何だこの歌は。は恥ずかしいじゃないか。部屋に一人だからといって、さすがに引くものがあるぞ。
珊瑚は、たじろぐ俺を見つめると、身体をくねり、と傾け、
「うーん、可愛い。ねこちゃんかわいー。あああ、ねこちゃん、ねこちゃんー。こねこちゃん、ちいさい、ちいさいよー。むはー。にゃにゃにゃにゃにゃー」
等々と口走り、目を細めた。
うーむ。珊瑚がこんなに激烈な猫好きとは知らなかった。完全にメロメロじゃないか。
やがて曲が終わり、着席した珊瑚は、うって変わった調子でマイクに喋りはじめる。
「ヨハン・セバスチャン・バッハのブランデンブルク協奏曲第三番の一をお聴きいただきました。バッハのこの曲は涼やかで、今みたいな初夏の季節にぴったりですよね。さて今日は、『知らない間にしていた恥ずかしい勘違い』をテーマにお送りしています。皆さん、沢山のメッセージをありがとうございます。かくいうわたしも沢山ありますよー。勘違い」
珊瑚は艶々と輝く長い黒髪をそっとかきあげながら、桜色の口元をほころばせた。何気ないが、品の良い仕草だ。
「以前、DVDディスクを再生しようとして、デッキに裏表逆に入れたんです。裏でも表でも、再生されると思っていたんですね。父には、『昔のレコードじゃないんだから』って笑われました」
少し恥ずかしかったのだろうか。白く柔らかそうな頬にぽっと朱がさす。
「それからテレビのリモコン。ボタンを押してもテレビが反応しなくなったんで、壊れたのかなって思ったら、父が『それは電池が切れただけだ』って。わたしは驚いて、『リモコンって電池で動いていたの?』って言ったんです。『電池じゃなかったら何なんだ。永久機関か?』って父に思いきり突っ込まれました」
照れ笑いをしながら、珊瑚は前屈みになった。偉大なる胸がコンソールの上に乗っかり、ぽよんとたわむ。
「わたしは、永久機関とまではいかないまでも、太陽エネルギーとかで動いているのかなぁって、ぼんやり思っていたんです。ていうか、もしかしたら何が動力源かなんて、よく考えてなかったかもしれません。今使っている校内放送の機械も、使い方を覚えるまで時間がかかっちゃったんですよー」
珊瑚の名誉のために言うが、彼女は理科の成績も決して悪くない。こういうのはたまたま、思考の抜けというものであろう。
また、こういうのを吐露する姿を、作為的とかあざといとか評する者もあるかもしれない。だがそれは意地悪というものであり、褒められることではない。厳に慎むがよかろう。
珊瑚はそれから、時候のお喋りをした。
ちょっと珊瑚、その猫のこと、詳しく教えてくれ!
と口走りそうになるのを、寸前で止める。今は放送中。静かにしろと珊瑚に言われている。どうせ喋っても一〇〇〇%通じないだろうし。
しかしこれで明らかになった。ブチはこの学校にやって来た。緊張臭を辿ってやって来た俺の鼻と勘は間違っていなかったのだ。
それにしても、どうして学校なんかに来たんだろう。理由がわからない。これは是が非でも本人を見つけて詰問せねば。というか呪いを解かねば。
考え込んでいるうち、珊瑚の喋りは終わりに近づき、本日のオンエアも最後の曲になったようだった。
「――では最後に、二年の
バッハの次はロックか。たしか大昔のプログレバンドの長い曲だったように思うが、渋いな。
リクエストは蜂須賀。もしかして、『俺は違いがわかる男です』というアピールか? はちわれ猫のような髪型をして生意気な。
珊瑚はカフボックスを操作してマイクを切ると、
「にゃんにゃんにゃーん。ねこにゃんにゃーん」
と、またしても謎の歌を口ずさみながら、傍らに置いてあったA4プリントを手に取った。
空き時間にも勉強だろうか。感心なことだ、と思っていると、珊瑚が意外な行動に及んだ。
小説の朗読だ。それもただ座って読むのではない。立ち上がり、踊るように身振り手振りをしながら、朗々と演技をはじめたのだ。
読んでいるものもふるっている。バリバリのラノベ、ウェブ小説だ。
俺もたまたま知っていた、『ネコ型戦闘騎獣 サバトラ!』というタイトルで、巨大な猫に人がまたがり、崩壊した世界で謎の敵生命体を相手に闘う、というSFアクションものだ。
珊瑚は見事に役柄を演じ分けながら読んでいる。
なんということだ。ラノベにしろ演技にしろ、こんな趣味を珊瑚が持っていたなんて。
おそらく、最後に長い曲をかけたのは、これに集中をしたいからだったのだろう。
なぜ、他人に黙って、こんなところでやっているのだろう。
そのとき俺の中で記憶の歯車が合致した。さっきサバエとキジコが話していたときには忘れていたこと――そう、珊瑚の黒歴史だ。
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