大失敗1

 翌日から俺はブチ猫とクロの捜索に乗り出した。

 捜索先では犬や子供など、数々の困難が待ち受けた。

 俺は変化した身体能力を発揮し、ひらりと高所へと退避し、難局を乗り越えた。

 塀に飛び上がるときには、筋肉のしなやかな収縮に快感を感じ、地面に飛び降りるときには、硬いアスファルトをもものともしない足腰のサスペンションと肉球の弾力がものを言った。

 人間だったら、身長の何倍もある場所から飛び降りれば、しばらく痺れて動けなくなってしまうだろうが、猫になった身体には、お茶の子さいさいである。

 身体はかのように猫として適応しつつあったが、コミュニケーションの面では、猫としてさっぱりだ。

 他の猫が何を意図しているのか、仕草を見てもさっぱりわからない。

 いやさすがに、常識的にリラックスしているのか威嚇いかくしているのかくらいはわかる。

 が、会話が成立しない。

 俺はどこまでいっても猫社会の異物であり、だからしてブチ猫やクロの行方を聞き出すのなど、夢のまた夢であることが明らかになるばかりである。

 これはもしかして、はなはだ使いたくない言葉だが、俺が〈コミュ障〉で相手の表情や空気を読めない類いの人間だったからか? いやいや違うそんなはずはない。あくまでも相手が猫だからだ。そうに違いない。決まっている。だがしかし――。

 等々、ああだこうだと思考を巡らせつつ、執念深く自分の脚で目標を探す。さながら老いた刑事のようである。

 しかし手がかりは見つからない。人間であるときに比べて視覚が著しく衰えている。

 視細胞には色を感じるものと、明るさを感じるものとがあり、人をのぞいた哺乳類では、明るさを感じるものが発達していると聞いた。多分これが原因で、視力が落ちたように感じるのだろう。

 世界は淡いセピアのように映っていた。

 嗅覚のほうは格段によくなったが、連中の匂いを覚えていない。どうするべきか。

 困った俺は、あてどなく近所をうろついて日々を過ごした。

 気がつけば二日ばかり過ぎてしまっていた。

 優しい白猫嬢とともに、夜露に濡れながら考えた。

 家では俺のことはどうなっているのだろう。いくら能天気な母と妹だからといって、部屋から煙のごとく消えた俺のことを心配しはじめているのではなかろうか。警察に捜索願を出したりして。

 学校だってもうはじまっている。俺はクラス内で存在感皆無だが、ぼちぼち話題になっていてもおかしくはないだろう。

 早くブチ猫を見つけ出して、何とかしなければ。

 その時、天啓が俺に舞い降りた。

 奴らの臭いを覚えていないなら、今から覚えればいいのではないか。

 俺は、連中がいた空き地へときびすを返す。

 あそこなら臭いが残っているはずだ。もしかして本人ならぬ本猫がいたりして。

 何ブロックかを歩き、空き地に向う。いがらっぽい排気ガスの臭いに辟易へきえきしつつ車をやり過ごし、小走りで道を渡り、子供の嬌声が遠くから聞こえたら隠れる。いちいち面倒臭いが、いたしかたない。

 やっと空き地に辿りつく。残念ながら、二匹ともに姿は見あたらない。そう都合よくはいかないようだ。ともかく臭いを探す。

 くんくんと鼻をひくつかせる。初夏の草叢くさむらは青臭い。雑草の茎を折って、断面からしたたる樹液を鼻先に突きつけたようだ。それら臭いに混じって、猫っぽい臭い、というのも変だが、そうとしか表現できないものがあった。

 だが種類が多い。どうやらここは辺りの猫の通り道になっているようだ。それでも念入りに嗅いでいるうち、強い緊張感を含んだ臭いが残っているのに気づく。

 もしかしたらこれが、小渕おぶちつまりブチ猫の臭いかもしれない。奴が自分の姿にたまげたせいだろうか、あいつは草叢から出てきたとき、緊張していたようだったし。

 追跡をはじめる。

 恰好はまるで犬だが、猫は犬ほどに鼻がよくない。またしても排気ガスの臭いや、飼い犬のマーキング臭に辟易へきえきとしながら、それでも緊張臭を追っていく。

 ビーズを繋ぐように、途切れ途切れになった跡を辿り、気がつくと俺は学校に来ていた。

 校門前で立ち尽くす。

 学校? どうして猫がこんな場所に。間違えたか?

 いやいやいや、あの臭いは間違いじゃない。ブチであるかどうかは自信がないが、猫かどうかくらいは判別できる。草叢から出た猫は、町内をうろついた挙げ句、最終的に俺の通っていた高校にやって来たのだ。

 校庭では女子がランニングをしていた。もう暑い季節なのに気の毒なことだ。せめて体育館でバレーボールでもやらせたらいいのに。体育教師というのは実に気がかない。

 同情しつつ、校庭に入る。はたして猫が学校に入っていいのかわからないが、せいぜい見つからないようにして探るしか、今はできることはなかろう。

 むせるような汗の臭いがあっちゃこっちゃに散っていて閉口するが、それでもなんとか俺は校庭を横切り、昇降口に行きついた。

 が、ここで追跡行は頓挫とんざする。

 玄関に満ちた靴たちの臭気が強烈すぎて、猫の臭いが紛れてしまっている。

 無理もない。一日に数百人が出入りする場所だ。犬だって混乱するだろう。

 だが途方に暮れてはいられない。ともかく猫が学校に来たことはわかった。どうしてかは見当もつかないが、まだここに奴がいる可能性はある。

 あとはくまなく探して廻るだけだ。そうすればきっと出会う。俺、自分を信じろ。

 下駄箱の前を通り過ぎ、ひんやりと冷えた廊下の上を、音を立てずに歩く。

 天井は遥か高く、扉も消化器もロッカーも、見上げる高さで俺を威圧してくる。普段と違う眺めに、目眩めまいを起こしそうになる。

 ここから先は、さすがに見つかったらつまみ出されるだろう。心して行かなければ。

 教室では授業中だ。自慢じゃないが、成績が優等生に程遠い俺は、このまま休みつづければ、なおさら授業に置いてけぼりになることだろう。

 これ以上の劣等生になる前に、早く人間に戻らなければ。

 焦る気持ちを抑えつつ、俺は自分のクラスである2―Aの扉付近で鼻をひくつかせる。さっき鼻が馬鹿になってしまったが、それでも確かに猫の臭いがあった。

 中を見てみるか。

 俺は窓際のロッカーの上に跳び乗った。

 やっと教室の中が見渡せた。あまり目立たないように、できるだけ動きをおさえて覗き込む。気持ちは猫の彫像ちょうぞうである。

 いたいた。ずらりと皆着席し、授業を受けている。ついでに俺の机の上には、まだ花も飾られていないし、悪意の落書きもされていないようだ。よかった。

 だが、わかるのはその程度だ。視力が思った以上に悪いらしく、中に他の猫が隠れているかどうかなど、到底わかりそうにない。

 やはり入ってみる必要があるか。となると、校庭側の窓から回り込み飛び込むか、あるいは休み時間まで待って出てくる生徒と入れ替わりに――。

 と考えていると、一人の生徒がばたばたと慌ただしく廊下を早足でやって来た。

 俺は物陰に隠れ、やり過ごすことにする。

 近づいてくるにつれ、今の俺の視力でも相手が誰か判ぜられるようになってきた。

 寅瀬花連とらせかれんだ。遅刻をしてきたらしく、バッグを肩にかけ、小さめの胸を揺らしている。

 この後の彼女の行動を想像した俺は、一つ、大胆なる行動に打って出ようという気になった。

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